2016/03/28

「春の小川」の遊び方──参宮橋

2016.3.12【東京都】──「渋谷川水系を歩く_4」 河骨川(こうほねがわ)

 初台付近を源流とし、代々木八幡付近で宇田川に合流する河骨川は、童謡『春の小川:高野辰之 作詞』のモデルとされ、暗きょとなった現在も川筋の面影が残ります。





 参宮橋を渡った明治神宮の手前に、東京乗馬倶楽部(旧陸軍練兵場跡に立地)があります。
 便利な立地ゆえ人気が高く、予約が取れないとの苦情もあるらしいが、訪問時の馬場は空なので、隣接の代々木ポニー公園へ。
 管理は乗馬倶楽部ですが渋谷区立公園なので、無料でエサやり、ブラッシングや、引き馬での乗馬ができます。
 都心では子どもに限らず、馬に接する機会は皆無ですが、明治神宮には流鏑馬(やぶさめ)が奉納されるように、神社の近くで馬を養う様子からは、人と馬との間柄の歴史が感じられます。


参宮橋


 これまで下車の目的は明治神宮方面ばかりのため、町を歩くのは初めてです。
 旧河骨川の谷筋は狭いことに加え、駅の東側は明治神宮や代々木公園が広がり住宅も限られるため、商店街はこぢんまりとしています。小規模店が連なる町ゆえ国際色豊かな店が並んだようだが、これだけ集まると外から人を呼べそうに見えます。
 穴場スポット的で、何より「縛られない(?)」雰囲気・空気感に引かれます。

 下の路地奥にあるアトリエのようなテントは、荒れた庭に立てられたもの。路地が未整備とはいえ、新宿から2駅の地でこんなにルーズな使い方ができるのは、贅沢とも……





 広い敷地のどこもガラーンとしているのは、土曜日だから? と、予約状況のページを見ると、ホール、会議室、運動施設も、1カ月先までかなり埋まっています。
 体育系ではレスリングの大会や、指導員の研修会。文科系では音楽コンクールや、NHK放送コンテストなど、全国から泊まりがけで参加する催しに利用されるようです。人の気配を感じない静寂感は、近隣に配慮した「防音設備」のためか?
 以前、中国残留孤児調査の際に宿泊先とされた建物は建て替えられ、ド派手で奇抜なデザインになっています。


春の小川(旧河骨川)

 小田急線の車窓から見える水路跡のような道は、「春の小川」とされる旧河骨川流路とのこと。
 大正時代、作詞の高野辰之が家族と歩きながら思い浮かべたとの逸話、付近に設置された石碑や、右の電柱案内が渋谷まで続く様などは、地元や自治体が仕立て上げたようにも見えます。
 当時の付近には、そんな田園風景が広がったと思いますが、旧陸軍練兵場に隣接した地よりも(それ故、の意図もありそうだが)、高野氏の出身地である長野の方がふさわしく思えたりします。



 プレーパークとは、ブランコやシーソーなど既成の遊具を設置せず、一般の公園では禁止される木登り、穴堀り、たき火などを可能とし、「自分の責任で自由に遊ぶ」を基本ルールとした遊び場のこと(プレーリーダーや地域ボランティアの方が支える)。
 樹上に築いたやぐらからの眺めや爽快感は格別なのに、そこでスマホなんか見ていたら取り上げたくなります。
 それにしても女の子ばかりとは、どういうこと? われわれも親をガッカリさせたように、子どもに期待することは間違いと思いながらも、「仕方ないじゃん」と言われたら力が抜けてしまいそうです……



 奥のカフェは店外にも人があふれる人気で、「ここかぁ〜!」と足を運ぶ方もいます。
 ここは、ニューヨークタイムズ紙に「世界で最高、飛行機に乗ってまで試しに行く価値あり」と絶賛された、ノルウェーの首都オスロにあるカフェの、海外初出店となる2号店。
 窓際のカウンター席は春の小川に面し、外を向いて並んで座る光景はおもしろいのですが、全員がこっちを見ているので撮れませんでした……


追記──ベースボールの力

 アメリカ vs. キューバのにらみ合いは、ソ連崩壊後は指導者間の意地の張り合いの様相でしたが、54年ぶりの和解を、両国民がガチンコで熱狂できるベースボールゲームでアピールするとは見事です。
 ダメ押しのような、ローリング・ストーンズ初めてのキューバコンサート(無料!)は、民主主義陣営からの「ボランティア要請」としても、彼らが「平和の使者」を引き受ける時代にこそ、「Love&Peaceな世界:古くても構わない!」の実現を願いたい……
 一部で「野球」と訳されたが、ここでは「ベースボール」以外の表現は当てはまらない。


追記──北海道新幹線開通、その先は?

 北海道にとっての悲願と、国政側の「地域格差穴埋めへの出費」との温度差はあるが、北海道から九州まで新幹線でつながった意義は、国民も納得できるものです。
 ですが、東京圏〜北海道が4時間は時代遅れですし(飛行機は1.5時間)、近ごろ目にする青函トンネル内でのトラブルから、遭遇時の絶望感を避けたい意識も広まりました。
 北陸新幹線とは違い、不祥事続きのJR北海道の余命を短縮させる(開業日の乗車率は61%)、パンドラの匣を開いてしまったのではないか、とも……

2016/03/21

珍しいものを見る目──代々木上原

2016.3.5【東京都】──「渋谷川水系を歩く_3」 宇田川

 渋谷の繁華街「宇田川町」の由来となる流れは幡ヶ谷付近に始まり、初台から東北沢に刻まれた複数の谷筋が代々木八幡付近に集まり渋谷へ向かいますが、現在は全流域が暗きょとされます。



JICA東京宇田川源流付近)

 幡ヶ谷駅近くで見かけた「SAKURA HOUSE:外国人向けシェアハウス」は、新宿に近い交通の便のよさと、JICAに近いことも立地選定の理由か?
 京王新線の初台、幡ヶ谷駅の利用機会は少なくても、新宿駅での乗り換えは不便と感じたりします。

 JICA東京は、開発途上国からの研修生に、技術・知識・制度構築の支援をし、指導者として育成するための施設。
 右はレストランの案内で(この日はアフリカメニュー?)、ワールドランチには世界の料理が並ぶらしいが、胃袋がビックリしそう…… 部外者も利用可能です。


 宇田川の源流は、JICA内から木立の雰囲気を眺めただけですが、以前森永製菓創業者の屋敷があったらしい。
 付近には、代々幡斎場(江戸期寺院の共同火葬場がルーツ)に加え、NITE:製品評価技術基盤機構東京消防庁消防学校が隣接する場所柄から、以前は国の管理地とも。
 戦後GHQ管轄下に置かれ、後に東京医療少年院とされた経緯から、知られたくない軍の施設があったようにも。
 上は付近の家。右は代々木上原駅に近い料亭?


東京ジャーミイ

 小田急線代々木上原付近の車窓に見えるモスクは、「東京ジャーミイ・トルコ文化センター」として2000年に再建され、現在は再建を支援したトルコ大使館に所属(ジャーミイ=モスクのことで、アラビア語で「人の集まる場所」の意。ミナレット=塔のこと)。
 ロシア革命(社会主義政権樹立:1917年)の際、日本に移住したイスラム教徒(タタール人:元は遊牧民)のモスクを、日本が「対イスラム宣撫政策:反社会主義勢力の擁護」の寄付で建設したことに始まるそう。

 トルコの前身オスマン帝国(多民族・多宗教国家)は、第一次世界大戦の敗北で分断されて以来、現在も民族問題(クルド人だけでない)や隣国(シリア・イラク等)との火種を抱え続けます。
 ムスリムの国籍は多様(中東、中央・南・東南アジア等)であっても、どの国でも同一の教典が読まれるのですから、「目には目を…:犯した罪は自分に返ってくる(犯罪抑止が本来の趣旨)」の解釈は同じであるべきで、過激派組織の勝手な解釈は許されるものではありません。

 東北沢駅近くの旧上原川の谷筋で、小田急線が高架となる以前、代々木上原〜東北沢間の坂に真っすぐ続いた軌道の光景を思い出しました。
 また東北沢からは、テレビ朝日『タモリ倶楽部』で、鉄ちゃんの故 原田芳雄さんが興奮し「オレの家が見えた!」と、はしゃいでいた姿が思い出されます。

 右の坂道も「モスクへ続く道」に見える光景は、彼らの狙いとはいえインパクトありすぎです。
 町中で遭遇した異文化への接し方には、ガキ時分の遠足で訪れた「旧ユネスコ村」で「珍しいものを見る目」のような、純粋さが大切と思うのですが……

 代々木上原駅に近い古賀政男音楽博物館の背後には、サポートする(?)JASRACのビルがそびえます。
 日本の音楽著作権保護は、1939年に設立された大日本音楽著作権協会(JASRACの前身)に始まったとのこと。
 近ごろでは、音楽配信サービスからのダウンロード利用(複製)や、動画共有サイトから著作権料を徴収する方針などの問題が指摘され、裁判も行われています。
 新しいルールに抜け道は付きものでも、みんなで足並みを揃えようとするのは、海外との取引で不利とならない仕組みづくりのため、であれば納得できる気がします。
 右は、代々木八幡宮。


追記──3月21日 東京で桜が開花しました。

 そのうち咲くものですから、急ぐ必要もないのですが、東京タワーの「ピンク」のライトアップを目にすると表情もほころびますから、この国に暮らす人々にはとても重要なことだと感じ入ります。
 だって、条件反射的にゆるみますもの……

2016/03/14

路地をさまよう習性──原宿

2016.2.27【東京都】──「渋谷川水系を歩く_2」

 江戸時代の隠田川(渋谷川本流)流域には、葛飾北斎『富嶽三十六景:穏田の水車』のような田園風景が広がりましたが、玉川上水廃止後に水質が悪化し暗きょ化されたことで、流れ沿いに現在のキャットストリートのにぎわいが生まれました。



都営霞ヶ丘アパート


 旧国立競技場に隣接するこの施設は、1964年東京オリンピックの競技場建設のため、立ち退きを強いられた住民の移転先でしたが、今回の新競技場敷地とされ「白紙に戻し、ゼロベースで見直す」設計変更後も取り壊しは進められ、2度目の立ち退きになります。
 退去期限後も居座る方には驚きましたが、地元への愛着だけではなく、この先の行き場が無いのではないか? 都営住宅の入居条件を、独居は「60歳以上」と年配者対策としながらも、建て替えなどの理由で追い出そうとする対応(家賃の高い住宅を斡旋)には、「うばすて」と感じるのも当然と思います。


明治神宮御苑


 パワースポットとされる湧水「清正井(きよまさのいど)」の人気は相変わらずです(風水で富士山と皇居を結ぶ「龍脈:気が流れる地下の道」にあるとされる)。
 その流れは、竹下通り地下の暗きょを経て旧隠田川に合流します。都心では珍しい湧水を、数百mで下水に流すのはもったいない気もするが、竹下通りのにぎわいは地下の「気の流れ」のおかげとすれば、納得できる気がします。


表参道

 ロボットも、Oh My God ? コミュニケーションロボットには、相手がいない場合は自分でアピールしろとプログラムされているのか?
 将来、自走式となれば行動範囲が広がり… とステップを考えていくと、ロボットが身近な存在になる日は遠い未来ではなさそう、と思えてきます。

 参道は、冬至の朝に太陽が昇る南東向きに建設されたため、沿道のウインドウは南西 or 北東向きとなります。人の流れは夕方まで日の当たる旧同潤会アパートがあった南西向き側が圧倒的です(家賃もかなり違いそう)。


キャットストリート


 週末の表参道は上京組が多いため、目的を持った(バーゲン?)人の流れに見えますが、路地にあたるキャットストリートには、のんびり散策を楽しむ雰囲気が感じられます。
 ここは、暗きょ化された旧穏田川(渋谷川)上に整備された遊歩道で、路地に潜む店舗を求めて歩く若者の姿は、新橋の路地裏をさまようオヤジと変わらないのでは? とも。
 上はキャットストリート(右)と旧隠田川(左)の分岐点で、以前同じ場所の写真を目にした記憶があるが、誰が撮ってもおもしろい絵に。


宮下公園

 スポーツクライミング(東京オリンピック追加種目に期待!)施設を、大人顔負けのサルのように登る右の姿+木登りが得意な同級生がいた記憶から、浅田真央ちゃんが大人になりジャンプに苦しむ姿を想起しました。
 子どもの体で可能だったジャンプでも、成長に伴う心身のバランス変化から生じる壁は大きく、それを乗り越えようとする努力は並大抵ではないのだろうと……
 彼は、いつまでサルでいられるのだろうか?

 以前ブルーシートが並んだ場は、健康的な公園として生まれ変わりました。下は、ダンス練習用のスペース。



のんべい横丁(ホームページがあるんだ…)

 渋谷駅に近い「のんべい横丁」は、山手線と旧渋谷川の間に残された昭和遺産(宮下公園の並び)。
 オヤジの「落ち着く〜!」場所は若者や女性にも落ち着けますから、そんな姿もチラホラ見られます。
 数少ない聖域を侵略されては「居場所が無くなる」との、オヤジの嘆き声が聞こえそう……

 駅ビル工事のため、渋谷駅周辺では工事状況で通路が変更されます。副都心線建設時は何とかなったが、東横線ホームや駅ビルの代わりに「ヒカリエ」を目印にと思うが、フェンスで見通せずとまどってしまいます……


追記──東日本大震災から5年

 復興事業がようやく住民が具体的に判断できる段階に至ったようで、住民からの要望を受けた計画の見直しが各地で行なわれています。当然ながら地域の将来は、国の押しつけではなく、住民の自主性を持った行動が築くものです。
 踏み出すためには、自己責任を背負う勇気が必要ですが、国、自治体、住民ともに、その準備には5年という時間が必要だったようです。
 原発事故の後始末費用は、運用・管理で「金を稼ぐ」東京電力以上に、国民の税金から支払われ続ける「国民の不利益」の理解を広めれば、国際社会からの懸念をはねのけ「日本は核兵器、原子力発電にNO!」と宣言できるはずです。

2016/03/07

記憶の上書きが可能な町──新宿

2016.2.13【東京都】──「渋谷川水系を歩く_1」

 今回から、現在再開発中の渋谷駅ビルの地下を流れる渋谷川水系を歩きます(再開発に伴い流路が変更されるそう)。
 現在の渋谷川が、渋谷駅前の宮益橋(穏田川・宇田川合流地点)から天現寺橋までの2.6kmとされるのは、古くから各流域に伝わる名称を残そうとする配慮ではないか(ここでは渋谷川を総称とします)。




新宿四丁目(旧旭町:あさひまち)


 以前ドヤ街だった一画(戦後は連れ込み宿が並んだ)では、いまも簡易宿泊所を続ける宿や、リニューアルした施設が営業中です(上は比較的安価なデザイナーズホテルのよう)。裏路地に息づく新宿らしい猥雑さには、再開発もどこ吹く風とのバイタリティが感じられ、懇意になりたくないも応援したくなります。

 渋谷川本流とされる旧穏田(おんでん)川の水源は、付近の天龍寺や新宿御苑の池など複数あるらしいも、谷幅の狭さから水量は少なかったようです(江戸時代には玉川上水の余剰水が流され流量が増えたそう)。


新宿御苑

 2012年リニューアルオープンの新宿御苑大温室は閉館が早く、何度も入れずでしたがようやく「あったか!」とゆるめました。
 この施設に欧米系の旅行者が多いのは、気候・環境が珍しいためか?(アジア系は少ない)

 下の早咲きの桜に目をとめた旅行者には、「次は是非、ソメイヨシノの季節に!」と、広報担当のようなアピールをしたくなります。
 爆買い商品のクオリティも自慢ですが、「桜の季節こそ!」と胸を張れる時季は、もうすぐです……



鳩森八幡神社(はとのもり)


 境内の「千駄ヶ谷の富士塚」は建造当時の場所に残ることから、都の有形民俗文化財とされます。当時の江戸からよく見えた富士山が信仰の対象とされ、山での祈りをかなえられない人々が、代用の富士塚を信仰する気持ちは理解できます。
 隣接する将棋会館(日本将棋連盟)は、公式戦やタイトル戦が行なわれる施設。館内の道場は1日一般1,000円で、大人と対局する子どもの姿に、いつか羽生善治名人に挑戦する棋士が育つことを。

 千駄ヶ谷の名称は、付近に群生した萱(カヤ)を、一日に「千駄(駄は馬に積む荷の重さの単位)」積むことに由来するそうで、谷じゃないんですって。
 江戸開城により徳川宗家は千駄ヶ谷に移り、篤姫はこの地で亡くなりました。


神宮前二丁目〜北参道


 渋谷川支流とされる旧原宿川沿いの通りには、ウインドウショッピングや散策が楽しいシャレた雰囲気の店舗が、北参道方面へと続きます。
 ですがそんな地域も、終戦直後は都内屈指の「温泉マーク街」(懐かしい表現)とされたそうで、所々に残る古い建物に息づく生活感からは、世代交代を含む「地域更新」は始まったばかりとも。
 そんな地域再生を後押しするのが、以前の記憶が上書きされても「仕方ない」とあきらめ、前しか見ようとしない東京という町の「都合のよさ」かも知れません。


北参道ガード


 明治通りから明治神宮北参道鳥居に至る北参道は、表参道に対する「裏参道」と呼ばれ、裏なら大丈夫(?)と上空に首都高を通され、神聖さが失われてしまったようにも(旧原宿川もこのガードをくぐったらしい)。

 周辺を調べるうちに「代々木の非人頭(ひにんがしら)」に目が止まります。
 非人とは乞食のことで、地方(付近では甲州街道)から入り込んだ浮浪者を、幕府から任命された非人頭が非人溜に収容し働かせ、その上司に穢多(えた)頭(広範囲の被差別民統轄)を置き、江戸の秩序を保ったらしい。
 よそ者が切り開いた歴史の浅い江戸では、役割分担として受け入れたようですが、歴史を重ねた関西の差別意識には、容易には揺るがない根深さがあると感じます。


南新宿


 小田急線利用者の多くが、通過する車内から眺めるだけの南新宿駅(新宿のひとつ手前)では、「イメージ通り!」に迫る高層ビル群を、反射的に見上げてしまいます。
 無抵抗な地域に迫る理不尽さはあるが、位置関係から日陰にならないだけましとも……

  文化学園付近を水源とした旧原宿川は、神宮前で合流する旧穏田川より谷幅が広いことから、元は本流だったかも知れませんが、いずれにしても、下流域の耕作地をうるおしたのは玉川上水からの配水によるようです。


追記──「なでしこジャパン」から澤が去り……

 足が地に着かない状況を改善できるのは、監督?(責任は監督にあるが) グラウンドに立つチームリーダー? 一般的には各ポジションのリーダーやキャプテンの責任が問われるも、今大会では全員が「指示を待つ甘えん坊」のように突っ立っていました。
 実績を重視したメンバー選考にもかかわらず、「澤の名前」を欠くことで崩れるチームならば、根本的な再構築が必要になります。
 その裏(?)で行なわれた、卓球女子「世界選手権団体戦」では、キャプテン福原愛や石川佳純が、若手を「千尋の谷」から引きずり上げて決勝まで勝ち上がりました。決勝で敗れても若手に厳しい経験をさせる「若手育成」の姿勢は、将来につながるはずです。
 いまさらですが、愛ちゃんのうまさに目を見張りました……