2016/09/19

若者が躍動する丘──駒場

2016.9.3【東京都】──「目黒川を歩く_11」 空川(そらかわ)

 今回は、井の頭線 駒場東大前駅周辺の、駒場野公園「ケルネル田圃」、駒場小学校付近、東大駒場キャンパス「駒場池」を水源とし、大橋付近で目黒川に流れ込む空川を歩きます。





 前身の東京府立第三高等女学校は、現 港区立六本木中学校の地に所在し(六本木ヒルズの目の前)、戦後当地に移転します(吉永小百合さん入学も翌年転校)。
 文武両道の方針からスポーツが奨励され、「足の大きくなる学校:昭和的表現!」の運動部はみな強豪らしい。
 丘の上の学校へ向かう坂道は住宅地の中にあっても、卒業後には記憶をよみがえらせてくれそうです。
 香淳皇后(こうじゅんこうごう:昭和天皇の皇后)の、お妃教育の場とされた「仰光寮:お花御殿」も移設保存される。右は石のモニュメント「五大陸」。




 女子高の学園祭練習らしき集団は、クラブ活動ではないため強制的参加者もいるようで、目が合った際の不安げな表情に、高校時分の記憶がよみがえります。
 男たちは、恥ずかしさを振り払おうと「思いっきりやろうぜ〜!」と開き直れたが、女子はリーダーが鼓舞しても、心が揺れるようで思い切れない娘もいました。
 若い娘が羽ばたこうとする姿は、「この年ごろ」にしか見られないと背中を追ううちに、娘を持つ父親の切なさが察せるような気がしてきます……

 右はケルネル田圃で、筑波大学附属駒場中・高等学校の生徒が世話をする様子がリンク先にあります。




 隣接の駒場公園(旧前田家本邸)同様に元駒場農学校の敷地で、東京大学農学部として本郷移転(1935年)で交換移転してきた旧制第一高等学校がありました。後の新制大学に移行の際、東京大学教養学部(2年間の前期課程履修)が設置されることになります。
 中庭やピロティーでダンスをするグループが多く、頭で逆立ち回転する姿に「東大の頭の使い方も変わった」と…… 近所の連中が集まるにしても、とても自由な雰囲気が感じられます。


 上はキャンパス内の「駒場池」で、愛称は本郷キャンパスの三四郎池の弟分「一二郎(浪?)池:いちにろういけ」。入学前に一人で見ると浪人する、入学後に一人で見ると留年するなどのジンクスは昭和的と感じるも、縁起への意識は時代を超えるものです。
 原風景と思える緑や谷の湧水が残る付近は、若者の情緒を育む環境にふさわしい印象を受けます(駒場東大前駅を最寄りとする高校を6校確認しました)。



 駒場野公園の湧水付近には、谷頭(こくとう)らしい急峻な斜面があります。駒場東大前駅付近で、駒場小学校からの流れが合流した下流では、高度差はさらに大きくなりますが、以前は他にも流れがあったのではないか。
 右は駒場池からの流れが合流する付近の、家も建てられない狭い崖下(奥行きは2m程度)に作られた、倉庫と作業場?(木は崖上に生える)
 高さはあるので長ものを立てかけられそうだが、狭く折れ曲がる暗きょの歩道(車の通行は不可)から、運び込むのは大変そう……

 淡島通りと山手通りが交差する松見坂交差点付近には、丘陵地東側の渋谷より急峻な峡谷があります。
 峡谷形成には激しい流れが必要ですが、谷に広がりがないことから、その勢いは短期間だったように見えます。
 水量が減った川は汚れる一方のため、東京オリンピック(1964年)開催前の「汚いものにはフタをしろ!」の整備で暗きょとされたそう。
 日本の食の新しい中心地となる豊洲市場にはフタではなく、業者、庶民、観光客が納得できる安全性・安心感を担保してもらわねばなりません。


追記──スリリングなリオ パラリンピック閉幕

 200以上の世界新記録が生まれるなど、参加する意義だけではなく、競技に注目が集まるレベルの高い大会となりました(認知の段階をクリアし、レベル向上のステップに至った)。
 ハンデのレベルが同じには見えない選手に注目することも、ルールへの関心につながりますし、マスコミに取り上げられる機会が増えれば注目も高まり、選手たちの志気も上がることでしょう。
 金メダル0個の結果から、東京大会で「チーム ジャパンここにあり!」との存在感を示すためには、全体の底上げが必要であることを共有できたので、われわれにできることを割り振ってもらえば、国民は協力を惜しまないのではないだろうか。 

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