2016/12/12

再開発にも場数が必要?──大崎

2016.11.26【東京都】──「目黒川を歩く_20」

 付近の目黒川は、北東(都心)側に急峻な斜面がある洪水常習地域のため、以前から様々な対策が施されますが、被害軽減(回数を減らす)が目標のようです。





 上は、東急 目黒線車窓の下流側に見える、都営・品川区営住宅+高齢者福祉施設で、堤防のスリットは地下にある洪水防止用調節池の取水口です。
 以前目にした妙正寺川第一調節池は、普段は公園や運動場とされる堀込式のオープン施設で、住宅利用は一部(調節池部分は柱だけ。貯留量:30,000m³)でしたが、都心下流部の調節池では、上部空間の有効活用のため施設が建設されることは当然かもしれません。
 貯留量も200,000m³と桁違いな容量が必要とされるのは、被害の経済的損失の大きさや、海水の影響を受ける立地によりそうです。自治体の目標は住民の安心・安全でも、ゲリラ豪雨の想定は不可能なため、現実的な被害軽減を当面の目標にしているようです。
 ※調節池は河川管理施設で、調整池は下水道施設の名称だそう。


東急池上線 五反田駅橋脚


 池上線は、池上本門寺参拝客輸送のため蒲田〜池上駅(1922年:大正11年)に始まり、反対側の五反田駅開業は最後とされ、1928年(昭和3年)目黒川西側の高台から、川沿いの低地にある五反田駅への高架橋建設により全線開通します(上はホーム下の橋脚)。
 開業時のローカル線設計(車両長 18m×3両編成&ホーム長:現在の車両長標準20m)が見直されなかったのは、「多額の費用>輸送力増強の必要性」に加え、ローカル線に親近感を抱く利用者は、東横線・目黒線のように地下鉄相互乗り入れをしなくても「別に〜」と気に止めてないため、という気もします……


副都心化が続きそうな大崎

 初めて歩いた五反田〜大崎間の目黒川沿いには、東京都が策定した大崎副都心化により、取ってつけたような「不自然な空間」が広がります。
 「家は3回建てないと満足できるものはできない」は、人生では不可能とも受け止められるように、住民の不満を耳にし都市計画側が「こうすればよかった」と後悔する部分がありそうな気がします。
 工場地帯の再開発から生まれた町の周辺には、まだ多くの工場が残りますから、今後も続く再開発で設計側・住民側双方が満足できる町が生まれるのかもしれません。
 でも、築地のような工場跡地の土壌汚染は大丈夫?
 右は、アートヴィレッジ大崎


 オフィスビル+ホテル+美術館+飲食店街+ショッピングアーケードで十分と考えられた時代(1987年)に作られた大崎ニュー・シティでは、ホッとできる場所は喫煙所だけという印象を受けます。
 一方、右&下のゲートシティ大崎(1999年)には、広いパブリックスペースが設けられ、周辺住民が集える場もあるため、気軽に立ち寄れる雰囲気があります。
 バブル絶頂期に計画されたおかげらしいが、これでも崩壊後に何度も計画が見直されたとのこと。
 上は、光のおかげでトワイライトゾーンへの入口のように見えた、駅と大崎ニュー・シティを結ぶ「O歩道橋」。

 土・日のまったり感には落ち着くものの、平日のビジネスマンがごった返す様を目にしたらゾッとするかも知れません。
 寒い冬の週末に、ぬくぬくのんびりできる屋内空間として利用できそうです。

 駅反対の西口側には、工場が広がった頃から続くような中華料理屋が健在です。特にうまくなくても、新しさを気取るばかりのビルよりもこっちの方が落ち着ける、が本音です……


追記──韓国大統領には、跡を濁して去る慣習が?

 与党支持派の離反者を加え弾劾訴追案が可決されても、国民は反対票を投じた議員を「民衆の敵」と、徹底的に吊るし上げます。その状況でも、大統領府に居座り対策を練る彼女に勝算はあるのか?(さらに反感を買います)
 大統領家の家訓もしくは、伝説の英雄 等のことばに「信念は最後まで貫け」などの教えがあるためか、この国の大統領交代時はいつも騒がしい印象があり、大統領には跡を濁して去る慣習がありそうとも……

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