2016/12/19

落書きしたくなる路地──目黒川河口

2016.12.3【東京都】──「目黒川を歩く_21」

 江戸時代の「朱引図:江戸の範囲を示す図」で西側境界を目黒川沿いとしたのは、川沿いの湿地帯を堀、市中側の急斜面を城壁に見立て、狭い海岸線を通る旧東海道を押さえれば、防御は可能と考えたためでは? →目黒川西側は雑木林で人家は少なかった。



新幹線高架下

 目黒川河口付近は昔から交通の要衝で、江戸時代は東海道や海運の拠点、現在も第一京浜、新幹線・東海道線等の大動脈が集中します。上図の旧東海道右側は海でした。
 これまでの交通路は丘陵地を迂回しましたが、リニア新幹線は地下を通され、近辺を通るとしても初めて地理的制約から解放されることになります。
 右は大崎駅に近い新幹線の高架下で、背後の第一三共(製薬会社)研究開発センターでは増築工事が行なわれます。大崎副都心の再開発にはマンションだけでなく企業誘致も重要ですが、中小零細工場を立ち退かせ大企業を誘致できたのは、地の利が強気にさせたようにも。




 隣接の大きなマンションにも負けない、力強い山門の存在感に導かれます。
 広い墓地(家康の長女 亀姫を妻とした譜代大名 奥平家の墓などがある)に比べ境内は狭い印象ながらも、禅寺の整えられた庭に接すると、姿勢が正される心地よさを覚えます。
 心安らぐ場を提供し、きちっと自身と向き合う「座禅:めい想」にいざなう精神性には、ゆとりの大切さを教えられるようにも。
 四阿(あずまや)の屋根(細く薄い板を幾重も重ねた構造)に目が止まったりすると、純粋な観察眼を取り戻せたような気がしてきます。



 目黒川から三重塔が見えるお寺で、宗派の変遷があったらしいが、日蓮宗の橘(たちばな)をアレンジした寺紋から、流れが想像できる気がします。
 タチバナは日本固有の柑橘類らしいも、われわれが判別できないのは、酸味が強く加工向けとされ接する機会が少ないためらしい(右は本当にタチバナ?)。
 文化勲章のモチーフとされるはピンと来ても、平安時代の左近桜・右近橘の様式は京都で目にした程度なので、日常とはほど遠い存在ですが、庶民に格式を感じさせる見事なデザインです。


東海橋(目黒川に架かる第一京浜の橋)

 目黒川に隣接する東海寺(臨済宗:たくあん漬けの発祥)は、以前広大な敷地を有したようで、接する東海道本線の鉄橋には「東海寺裏架道橋」と記されます(上述の清光院は東海寺の塔頭:たっちゅう)。
 目黒川(烏山川)水源地にある高源院は、東海寺の塔頭に始まり、目黒川河口付近から水源地へ移転しました。

 ここは、京浜急行線車窓から「墓が多い」と感じ始める付近か?(乗車の機会に確認します)
 朱引図外側に墓が多いことは、市中に墓を持てない家は近場に、無縁仏は市外に葬るなどからも理解できます。


旧東海道裏

 旧東海道の商店街が景観保存に注力するおかげで(?)、脇の路地まで守られているように見えます。
 路地脇には、共同の手押し井戸とスペースが往時のまま残されており、家のすだれ越しにテレビの音声が聞こえてくる情景から、昭和期のガキ時分の記憶がよみがえってきます。
 この路地なら、路面にろう石で落書きをしても「道路で遊んじゃダメ!」と怒られないのではないか? なんて思うのはオヤジだけのようで、きれいな路面を目にすると、近ごろの子どもはそんな遊びはしないのか? とも。
 ですが、子どもが少ないとされたら、本当のノスタルジーに……


河口付近


 目黒川は東品川海上公園付近で、東京湾(天王洲南運河)に注ぎます。
 公園隣接地には、東品川ポンプ所(下流域の洪水対策、自然排水困難地域のポンプ排水施設)があり、上は施設の屋上庭園(2007年オープン)。
 手入れには手間がかかりそうですが、常連と思われる老婦人が巡回するように草木を確認する姿は、都会のオアシスとして受け入れられた成果とも。
 上は枯れ葉ですが、この季節にしては花が多くカラフルなことを宣伝しておかないと……


 上は、天王洲南運河と京浜運河が接する付近の天王洲アイル第九公園
 隣接ビルは以前、JALビルディング(JAL本社)とされました。何の用事か忘れたが、一帯がまだ工事中に訪れたことがあり、荒涼とした景色の中にこのビルだけがポツンと建つ姿が印象に残っています(経営悪化により売却)。

 東京モノレール 天王洲アイル駅前のシーフォートスクエアがざわつくのは、銀河劇場に出演するアイドルに群がる若い女性たちなので、作品が変われば客層も変わりそうですが、集客は劇場だのみの印象で、付近のブームはとっくに終わっているようにも……

 河口にたどり着きましたが、まだ目黒川を歩きます。


追記──NHK大河ドラマ『真田丸』終了

 今年の助演男優賞は草刈正雄しかないでしょう! 本人も演技を楽しんでいるように見ましたから、視聴者が楽しめないはずがありません。
 1985年『真田太平記』で、草刈は真田幸村(本作では堺雅人)を演じ、本作で草刈が演じた父 真田昌幸を丹波哲郎が演じていたとのこと。丹波哲郎の昌幸も見たかったが、大霊界を手本に思いっきり演じる怪演(?)に引き込まれました。
 脚本 三谷幸喜カラーへの賛辞は「秒殺 関ヶ原合戦」にスカッとした! 程度で、木村佳乃・長澤まさみの「にぎやかし脚色」は場繫ぎ的に感じられた。
 『ブラタモリ』等、他番組のフォローもあり、大阪は盛り上がったのではないか?


追記──健さんの思いを受け継ぐ薬師丸ひろ子

 NHK「SONGSスペシャル 薬師丸ひろ子 ~高倉健さんが教えてくれた映画のすべて~」で、映画デビュー作『野生の証明:1978年(13歳)』以来の健さんへの思いを語ります。
 後年も薬師丸を可愛がった健さんは、ガキ娘の面倒見は暖かいが、映画への思いについては態度で示していたそう。健さんから学んだ映画への思いとして、彼女が『犬神家の一族:1976年』の「愛のバラード:YouTube」を選曲し歌う姿には、日本映画を愛する「同志!」と驚喜したものの、先月発売になったCD「Cinema Songs」(野生〜の主題歌「戦士の休息」等が含まれる)の宣伝だったようです。
 生涯「角川」の十字架を背負い続ける彼女が、この世界で生きる覚悟を持てたのは、健さんの背中に育てられた(背負われた)との、思いによるのではないか……

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