2016/12/05

旧木造駅が消える前に──戸越銀座

2016.11.20【東京都】──「目黒川を歩く_19」 古戸越川(ことごえがわ)

 古戸越川(暗きょ)は戸越公園に始まる流れで、以前、戸越銀座商店街を流れた川と合流し目黒川にそそぎました(江戸時代は「戸越:とごえ」とされた)。




 目黒線 武蔵小山駅前で最初に目に入る、たこ焼き屋、やきとり屋の人だかりは、庶民の町の手招きのようでしたが、その店舗が消え「あら、どうしましょう!」と。
 駅前では再開発に向けた取り壊しが終わり、41階建て(144m)マンションが工事中です。
 町に愛着を抱く人々が感じる「無粋」な印象と、東京都がしゃれた街並みづくり推進条例で、再生地区に指定した目的は正反対なので、オヤジたちは新橋のオヤジの聖地包囲網のような危機感を抱きます。
 裕福ではなくも、肩を寄せて作り上げた庶民生活圏を、自治体は「明るい未来」と称した都市計画で、上書きしていきます。それが歴史とはいえ、自治体は明るい未来まで保証できないため、各人が切り開かねばなりません……
 右は、完成後の活気を期待する武蔵小山商店街パルム。



 この日、公募制推薦入学選考試験が行なわれるため、キャンパス内の薬草園見学は断念と思ったら、もとより日曜は休園でした……
 大学ホームページの「合格後に入学を辞退する者があった場合には、以降当該高等学校からの推薦を受け付けないことがあります」に、そりゃそうだろうと高校時分の記憶がよみがえります(わたしに縁はなかったが)。
 付近に、窓を開けキーを差したまま放置された(?)車を見かけますが、右の道で腕組みして受験生の娘を待つオヤジの車のようです。
 娘を心配する父親の、車の中で待っていられない気持ちが痛いほど伝わってきました……




 12月11日に竣工セレモニーが行なわれた駅舎改修を、東急は「木になるリニューアル」としますが、以前も木造の駅舎でしたよね。木(気)になる設計者が不明なのは、時代が求める隈 研吾さんではないため?
 新駅舎を目にし、「いつまでもあると思うな東急線の旧木造駅」の日が近いことに気付かされます。現目黒線の駅はすべてリニューアルされましたし、大井町線旗の台駅の木造ベンチも消えました(リンク先は池上線ホーム)。現存する「木造駅探訪」はテーマになりそうですし、今ならまだ格好になると思ったりします。

 戸越銀座商店街の流れ(武蔵小山商店街付近が水源)沿いには、元祖銀座から譲り受けたレンガ(関東大震災復興の際に不要となった)を使用した、商店街の礎が築かれます。
 それは時代の要請で、震災後の転入者増加〜池上線開通(1928年:昭和3年)後は市街地が広がったように、都心西側の高台にある町の多くは、震災後に発展したと言えます。



 前回訪問時も、この柵の前に子どもが群れていましたが、今回は指南役(?)と楽しんでいるようです。
 奥には人工の水源があり、魚類の稚魚が生息するなら保護についても指導してもらいたい、とも。
 ここは、1932年(昭和7年)三井家(元は江戸時代の熊本藩主細川家下屋敷)から当時の荏原町(品川区)に寄付され、35年東京市立戸越公園として開園します。
 付近は古東海道以前の街道筋の中心地で、都心西側の高台は荏原郡(東京の歴史でよく目にする)とされました。エバラ焼き肉のたれ(エバラ食品工業)のルーツ。
 この地に始まる古戸越川は、新幹線高架下で戸越銀座商店街の流れと合流し、目黒川へ向かいます。



鉄道の立体交差

 右は、斜面際を通された3段目の横須賀線+湘南新宿ラインと、最上段の新幹線高架の間を、高台からの高架で抜ける東急 大井町線の交差地点。左下に道路があるので4段の交差になります。
 横須賀線や新幹線の線路や土地は、品川〜鶴見間の元貨物線(品鶴線:ひんかくせん)を利用したもので、下のガードは貨物線敷設当時に、人の往来目的で通されたままの姿のようにも(高さ制限1.8m)。
 山手線新駅工事が始まった、品川〜田町駅間にあるガード(高さ1.5m)のように、低地には鉄道優先時代の名残りと感じられる場所が現存します。



追記──冬に扇風機が壊れ……

 冷暖房効率向上のため年中使用する扇風機が壊れ、量販店の店員さんに尋ねると「夏の季節もの」との認識のため、季節外れには置かないとのこと。
 ネットショップでは、季節外れの商品を倉庫から直送できるのだから、売り手側にはおいしい話ですが、目で確認したいのが買い手側の本音だったりします……

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