2017/03/27

よみがえる記憶は祈りに──奥沢

2017.3.11【東京都】──「呑川(のみがわ)を歩く_7」 奥沢支流

 今回は、東急目黒線 奥沢駅付近に始まり、奥沢中学校の先で合流する奥沢支流(開きょ区間も残る)周辺を歩きます。



奥沢駅周辺


 奥沢駅があるため地域の中心的な印象を持ちますが、地名由来は九品仏川水源の湿地帯で、室町時代から奥沢城(現 九品仏 浄真寺境内)があり江戸時代に新田開発が行われた、城の周辺が中心地だったようです。
 奥澤神社は城の守護神「八幡神社(武家にとって武運の神)」として建立されるも、江戸時代の流行病を治したとされる「厄除の大蛇」が鳥居に祭られ(上)、「大蛇お練り神事」は東京都の無形民俗文化財(風俗慣習)とされように、しっかと地域に根付いています。
 右の鈴からは、神楽などで耳にする涼やかな「シャン シャン」の音が……

 利用する機会はなくなりましたが、東急目黒線 奥沢駅付近からは、東日本大震災の晩の記憶がよみがえります。
 交通網がマヒし、勤め先の六本木から当時暮らした新丸子へ向かう途中の駅から、「間もなく運転再開」の案内が聞こえた瞬間の安堵感は忘れられません。
 普段なら幹線道沿いを歩くと思うも、鉄道沿いにこだわったのは、運転再開時の空気感を共有したかったようです。
 あの晩、家路を歩いた人々が体験した特殊な「一体感」を忘れない限り、よみがえる記憶は大震災被害への祈りになるものと……


 奥澤神社の弁才天は、駅南側にあった湧水池が1950年(昭和25年)に移転したもので、右は付近に健在の銭湯 松の湯。時間ですよ〜!(リンク先YouTube)って伝わる?

 周辺の町並みは格子状に整備されますが、そこに斜めの道が通されます。下は、格子状の十字路に左下から右上に斜めの道が交差する六叉路。
 水道道路のようですが、右奥は明治時代奥澤神社に合祀された子安稲荷神社があった「稲荷山」に通じるため、二つの神社を結ぶ参道だったのではないか?
 区画を断つというよりも、斜めの道に合わせて区画されたような印象があります。



東急池上線 石川台駅

 テレビなどで目にする、線路沿いの坂道はここではないかと初めて登りました。かなりキツい傾斜ながら猛スピードで下る母娘が乗る自転車は、「ここで発散するの〜!」の勢いですが、駅に突っ込まないように!

 小津安二郎監督の映画『秋刀魚の味』(1962年)に、当駅のホームが登場することを知り確認せねばと。
 思わぬきっかけが景色に厚みを与えてくれることも、散策の楽しみと……


追記──稀勢の里のあきらめない勇気

 前日は、深刻そうなケガを負い土俵に立つ姿を無謀と感じるも、横綱の務めを果たそうとする姿勢は賞賛すべき、と思っていたが……
 負傷した体でも可能な闘い方をシュミレーションし、それを実現する精神力こそ賞賛すべきと、シビレました。まねはできなくても、多くの心に響く勇姿でした。
 とにかくケガを早く治して、万全な体を取り戻されますことを……

2017/03/20

おしゃれな町は気取らない──自由が丘

2017.3.4【東京都】──「呑川(のみがわ)を歩く_6」 九品仏川(くほんぶつ)_2

 以前、武蔵小杉(現在はショッピングモールが開業)や新丸子に暮らした時分は、もっとも近い繁華街でよく足を運んだことから、似合わないにしても勝手に親しみを感じています。



自由が丘


 久しぶりの散策を楽しみましたが、生活圏の変化や年齢を重ねたためか、町の見え方や受け止め方が変わったように。
 以前は、駅から女性が多い町に踏み出す際、先の読めない動きをどう避けるか身構えましたが、生活圏から離れ急ぐ必要がなくなったせいか、ブラブラしながら急に踵を返す女性の脇をすり抜けられたりします。
 「何か楽しいモノない?」の散策と、「おもしろい絵はない?」とカメラを下げて歩く気分が似てると感じるのは、関心のない存在をスルーする判断が速いためか……

 東急東横線×大井町線 自由が丘駅周辺は名称とは異なり、九品仏川が流れる谷地に広がった衾沼(ふすまぬま)を、埋め立て造成された地域になります。
 1927年(昭和2年)東横線開通の際は九品仏前駅とされますが、29年大井町線の現 九品仏駅開業に伴い、付近に開校した自由ヶ丘学園の名称から「自由ヶ丘駅」に改称されます(当初は学校名の「ヶ」)。
 当時の東横線は、碑文谷駅→学芸大学駅、柿の木坂駅→都立大学駅のように、学校名に駅のビジョンを託すしかないローカル線だったようです。

 「自由が丘でどう?」の誘いに足を運んだためか、道すがら記憶がよみがえる場所もありますが、個人経営の店は後継者難のためか、多くが閉店した様子。
 閉店した喫茶店で「よくコーヒーを飲んだ」の記憶から、買い物+ひと息がセットの散策って、女性の行動と変わらないのかと……(ケーキは食べません!)
 気持ちがなじんだらしく、よく足を運んだ無印良品で枕カバーを買う(前もここで買った)自然な流れから、記憶が「つながっている」ことを再認識したりします。
 オヤジでも右のように、関心を持てる場を見つけられれば町になじめることと。

 往年の映画情報誌『ぴあ』で、「武蔵野推理劇場→自由ヶ丘武蔵野館」の魅惑的な上映作品をチェックした、こづかいの少ない映画ファンは多かったのではないか?
 若い時分は時間を持て余すくせに有効活用せず、ギリギリで行動していたため、乗り換え時間が読めない当劇場には足を運べなかった記憶があります。
 年齢と共に時間の短さを実感するため「ねじ込みたい!」と思うものの、失敗によるロスの大きさを痛いほど学んできたため、「時間の余裕は大切」と肝に銘じているようです(右は旧映画館前の熊野神社)。

 上の女性のスカートが揺れる姿(もっと膨らむ瞬間があった)や、右の娘たちがはしゃぐ騒がしさ(ラ・ヴィータ)に目が留ったのは、待ち望む季節への期待感によりそうです。

 モンブラン(モンブラン発祥の洋菓子店:1945年現在地に移転)がトレンドとされ町も注目を集めましたが、近ごろは「おしゃれでも気取らない町」を落としどころとするらしく、そんな姿勢が好感度維持につながっているようにも感じます(物価は高いが……)。
 下の九品仏川緑道沿いにあるフラワーショップのディスプレイは見事で、歩きながらも目が止まってしまう。



追記──選抜高校野球の練習に参加する女子マネージャーの自然な姿

 大会前の甲子園グラウンド練習への女子マネージャーの参加が認められました。これが普段の練習風景ですし、野郎どもも張り切っているように……
 スポーツには危険が潜んでいますから、安全なプレーには準備と心構えが必要であることを体現し、甲子園大会への参加を楽しんでください。
 そんな流れから女子高校野球への気運の高まりが楽しみ、と思ったりします。


追記──WBC日本代表、決勝ラウンド進出

 この先は運も絡む一発勝負なので祈るばかりです(昼間の中継では応援できない)。
 深夜まで声援を送った観客の「応援?」「終電?」の決断は、投手交代のような難題なので(あの場面では帰れないよね)、「終電ダッシュ」回避のためにも、次回の試合開始は早めるべきと……

2017/03/13

世田谷の香り──等々力

2017.2.25【東京都】──「呑川(のみがわ)を歩く_5」 九品仏川(くほんぶつ)_1

 今回から、九品仏(浄真寺)裏手を水源とし、東京工業大学付近(東急大井町線 緑が丘駅〜大岡山駅)で呑川に合流する、支流の九品仏川(暗きょ)を歩きます。



等々力周辺

 右の満願寺や下の玉川神社は、室町時代に世田谷城を築いた吉良氏による「兎々呂城:とどろじょう」に由来するらしいも、廃城後は明治期まで放ったらかしだったようです。
 昔ながらの世田谷の光景を目にすると、父方の伯母の「何にも無い田舎でタヌキがいたのよ!」を思い出し、「世田谷の香りが残っている」と思いを馳せますが、現在も等々力渓谷ではタヌキを見かけるそうです。

 世田谷区は地方からの転入者が多いためか、ふるさと納税による税収減がダントツで大変らしい……

 右の「岩獅子:子を谷底に落とす獅子」は、ライオンが原型とされる伝説上の生き物(現在の狛犬)で、飛鳥時代に伝来したとされます。

 今回等々力に足を運んだのは、等々力渓谷を刻む矢沢川が、以前九品仏川に流れていたと目にしたためですが、それは水が届かない農地への水路だったようで、一帯には縦横に水路跡の暗きょが残ります。
 旧農地だった尾山台駅北側は碁盤目状に整備されるも、特徴(目印)が無いため、歩きづらかったりします。


 周辺には現在も農地が点在しますが、上のような構えの農家は少ないようです。
 ここまで立派だと家の方には申し訳ないが、このままマルッと保存するために、寄付してもらえないかと思ったりします。

 付近に点在する体験・市民農園は、遊休農地を貸す・売る・転用が制限されるため、農地を遊ばせるよりはマシと、収入は少なくても市民向けに提供されるようです。
 下の農園は無農薬が売りとしても、ここまで必要? というネット掛けのサービスに驚きます。都心では出荷品並に配慮された体験農業への関心が集まるようですが、普段口にする作物が育てられる環境こそ知っておくべきでは? と思ったりします……





 九品仏川の水源は、九品仏(浄真寺)裏手のねこじゃらし公園(上)周辺とされるが、標高図で北側に丘陵地が迫る様子から、斜面からの湧水が付近に集まったように見えるが、付近の九品仏池は埋め立てられました。
 その地形は等々力以北に続くので、古くから湧水周辺に人が住み着いたようです。

 寺の境内にあった奥沢城は吉良氏に築かれますが、秀吉の小田原征伐後に廃城となり、1678年浄真寺(浄土宗)とされます。
 参拝者は多めながらも、落ち着いた空気のお寺です。



追記──どうしても見てしまうWBC(ワールドベースボールクラシック)

 ハマらないようにチラッと経過だけ見るつもりが、何とベンチから権藤さん(ピッチングコーチ:78歳だそう)が表れ、「勝利の方程式?」(もう大魔神はいないが)と、リモコンを置きました。
 解説の元WBC優勝監督 原 辰徳氏が、牧田のクローザー起用を疑問視していましたが、あれこそ権藤マジックかと最後まで目が離せずに……
 筒香の「ここに来たら打ちますよ」と球を待ち、好球を呼び込みスタンドへ放り込む姿にホームランバッターの資質を感じます(大谷と並び中田 翔への刺激になりそう)。
 選手たちが躍動する姿は頼もしく見えるので、応援しなければ!

2017/03/06

うるおいを肌で感じる──都立大学

2017.2.18【東京都】──「呑川(のみがわ)を歩く_4」

 呑川上流域の主な流れは、東急東横線 都立大学駅付近でひとつの流れとなるため、呑川の名称由来と思われる「大雨時に周囲が飲み込まれた」のは、この付近ではないかと。



都立大学駅周辺

 右は、柿の木坂支流(暗きょ)の上に、なごりとして(?)設置された小便小僧+池ですが、駅周辺では乾燥する季節も、うるおい(湿度)が肌で感じられます。
 周辺は、学芸大学駅方面からは柿の木坂の下で、自由が丘駅側にも丘陵地があるため、雨水が集中する谷底になります。これは推測ですが、車窓から見える駅前に並ぶ古いコンクリートの建物は、洪水対策として自治体から奨励されたのではないかと(一枚下の飲み屋のビルもかなり年季が入っている)。
 下水道幹線だから不衛生とは感じないも、湿気の滞留は望まぬ産物をもたらしそうと。

 東横沿線風景とされる(?)狭い駅周辺には、若い住民向けの活気を感じる店舗が並ぶ中、右の魚屋は水産業界の流通変革を目指すらしく、この地への出店はいい狙いと。
 当然魚が食べたくなり、近くの「鉄火丼」の看板に誘われるも、刺身は及第点なのにしゃりがイマイチ(水分多め)なのは、回すため(回転寿し)の仕込みかと……

 下のビルで、現在どれだけの店が健在か不明ですが、スナックがこんなに必要な場所柄だったの? なんて言うと、「おだまり!」の声が聞こえてきそう……




 右は境内の庚申塔で、子どもの供養にぬいぐるみを置きたい気持ちは、ご近所に理解されるようです。
 京都 伏見稲荷とのつながりや、桜の森だった痕跡は見受けられませんが、地域の人々から慕われるようできちんと手入れされています。
 現在花見は、呑川沿いが最寄りという住宅街になりましたが、環七の向かいにすずめのお宿緑地公園がありますから、以前は桜の森や、竹林が広がっていたようです。
 以前、ゾッとするようなスズメの大群が飛び立つ写真を見たことがあります(発見できず)。



 栗山家は、江戸時代に旧衾村(ふすまむら:駒沢オリンピック公園近くに衾町公園がある)の年寄を務めた旧家で、家屋は目黒区の有形文化財とされ、母屋はすずめのお宿緑地公園に移築保存されます。
 裏側に隣接する中根公園も屋敷の敷地だったように。

 東急大井町線 緑が丘駅は開業当初、栗山家所有地にある山の名から中丸山駅とされましたが、現在も駅南側の東京工業大学敷地は栗山家所有とのこと。
 直接的な還元はないにしても、学府に土地を提供するとは、何と夢の広がる社会投資か!



 2012年完成の「環境エネルギーイノベーション棟」(右)は、二酸化炭素の排出を削減し、棟内消費電力をほぼ自給自足できるエネルギーシステムを持つそうで、ソーラーパネルに覆われる姿を線路脇でアピールしています。
 左側には先導原子力研究所が隣接しますが、原発事故から6年が経過し、元凶は制御できないものを世に出した政策とお粗末な運用機関にあり、原子力研究ではないとの論点整理はできても、アレルギー(拒絶反応)は消せません(原子力を志す若者が減ったのも当然です)。
 設備のすごそうな施設がところ狭しと並ぶ敷地は、大学というより研究施設の印象を受けます。文部科学省のスーパーグローバル大学事業のトップ型指定校だそう。

 創立地は台東区蔵前ですが、1923年関東大震災で焼失後当地に移転し、下の本館が震災復興シンボルとされます。
 右の西1号館(旧・分析化学教室)は、有毒ガスが発生する実験施設のため別棟にされたそう。
 戦後間もない時期に建てられた70周年記念講堂の建設費は、すべて卒業生らの寄付でまかなわれたそうで、そこには、敗戦からの復興に必要な技術者育成への祈りが込められていたように。

 大岡山の名は地名に由来するらしいが、同名の山は存在しないらしい。