2017/11/20

力が入り過ぎでは?──古川親水公園

2017.11.3【東京都】──江戸川区探訪_3

 一般的に親水公園には、子どもたちが水辺で遊ぶ光景を思い浮かべますが、両側に道路を通したい等の要件もあるため、彼ら好みの場所は限られてしまうようです。




 日蓮宗の寺院なので、右の井桁に橘の寺紋を持ちます。
 中に橘が無い「井桁」は、大河ドラマ『おんな城主 直虎』で目にする井伊家の家紋で、この寺紋は井伊直政の日蓮宗帰依に始まったそう。

 父の葬儀準備にあたり、母・妹の「うちは日蓮宗だったの?」という関心の無さを父は見越していたのか、わたしにだけ念を押したようです(それが長男の責任と…)。
 次男の父は本家に入れないため仏壇を新規購入したように、兄弟が多い年代なので需要が増えそうと思うも、住居事情からコンパクトなものが主流のようです。
 上は、松の枝を真っすぐ伸ばした姿。




 江戸時代に塩の輸送航路として開削当初は船堀川の名称でしたが、後に水路が直線化されてからは、新しい水路=新川に対して、旧船堀川=古川と呼ばれるように。
 周辺に住宅や工場が立ち並び、生活・工場排水が流れ込んだ1970年頃には悪臭漂うドブ川と化し、当初江戸川区は埋め立てる計画でしたが、川を残してほしいとの住民の要望を取り入れ、水の流れる公園計画が動き出します(1973年)。
 日本で初めての親水公園だったこともあり、国内外から注目されたようですが、力が入り過ぎの印象も。


 2枚上では、旧河川上に人工の流れや山を造成して吊り橋を架け、山にトンネルを通していたり、上のような人工の滝も複数箇所に設置されています。
 お金を掛ける前に、飛び石が並ぶだけの水辺に群れる子どもたちに「どんな公園が好き?」とリサーチすべきとも。

 右は、二之江神社と親水公園を挟んで隣接する古川けやき公園の大木。駅がある一之江の地名は知っていたが、付近が二之江とされることから、いく筋もの流れがあった様子がうかがえ、それぞれどんな川だったのか知りたくなります。


 右は、元古川・旧江戸川の接続付近で、現在は左から右に流れる新中川と、奥から流れる旧江戸川の合流地点。
 付近の河川に新・旧が付くのは、洪水対策・土地開発に向けた河川整備が必要とされたためで、荒川・中川・江戸川を中心とした、新旧の流れについては(旧中川は旧利根川だった 等)はまたの機会に整理します。

 右は、屋形船の上でダンス練習する娘。流れを前にすると、大きな動きが表現できそうとも。
 上の立派な屋敷の門は、隣接する森山医会のケアセンター、特別養護老人ホームの関連施設かと(西葛西に系列病院がある)。


 対岸の千葉県市川市(上)は、現在も工場の立地要件を満たすようで、住宅に囲まれた水辺で工場が稼働を続けます。
 公害排出や事故を起こさなくても、自治体・周辺住民・不動産関連の包囲網からのプレッシャーは高まりそうですから、時間の問題という気もします。
 下流側の川に浮かぶ妙見島も工場施設が多そうですが、次回歩いてみたいと。


追記──奄美群島訪問で、即位後に47都道府県を2巡した天皇

 戦争中は皇太子のため直接の関与なしとの認識のためか、受け入れ側の意識も好意的だったため、精力的に全国各地を回ることができたように。
 平成の29年間に47都道府県×2回=94回ですから、年3回各地を訪問したことになりますが、その目標にめどが立ったため、退位に言及したのではないかとも。
 これだけ国内に足を運んだ天皇は初めてと思われ、立派な行動と受け止めます。

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