2018/01/22

西方に睨みをきかせた──国府台(こうのだい)

2017.12.23【東京都】──江戸川区探訪_11(千葉県 市川市編)

 矢切の渡しの先には? と眺めた地図で「じゅん菜池」の名称に目が止まり、腰が重くなる前にと、また日本橋駅乗り換えで足を運びます(これが最速ルートらしい)……


 矢切の渡しではなく北総線(初めて利用)で江戸川を渡ると、すぐに高台を貫くトンネルに入ります。北総線は、京成高砂駅〜印旛日本医大駅(全線開通2000年)の営業ですが、成田空港駅まで続く京成成田空港線(成田スカイアクセス:2010年)と共用のため、京成線 スカイライナーが走ります(上野から時速160km/hで41分)。
 成田空港は20年以上ご無沙汰ですが、以前の京成本線経由でもJR成田エクスプレスより速く、利用しやすかった印象があります。




 国史跡とされる貝塚付近に、市川市考古博物館、歴史博物館が建てられるように、周辺の丘陵地は縄文期以来、下総国 国分寺、万葉集の歌 等々が伝わる、地域の中心地だったようです。

 北総線 北国分駅付近には新しい住宅が並ぶも、以前は雑木林だったようで、林周辺に以前から並ぶ住宅の様子に、ガキ時分に走り回った雑木林周辺の光景を想起します。
 枯れ葉を踏みながら林を歩くのは久しぶりで、足元が見えないのによく走れたものだと……
 右は小塚山フィールドアスレチック



 縄文時代の生活に適した入り江は、縄文海進(縄文期の海水面上昇)にもたらされたもので、ここは海水面が低下し陸地となった後、湧水が注ぐ窪地が沼となります。
 以前は国分沼の名称でしたが、じゅん菜が多く生えることから現在の名称に。以前は出荷するほど生えていたが、昭和初期に沼が干上がりじゅん菜は消滅します。
 戦後は田んぼとされるも地元の要望により、1979年に現在のじゅん菜池緑地として整備されます。
 右は、水面に映る姿にピントが合っているように。

 じゅん菜の最盛期は初夏で、おひたしなどは特徴的なぬめりがありツルっと入るのどごしに涼味を覚えます。口にするの機会が少ないせいか、珍しさが味覚にプラスされている印象も。
 世界に広く分布するらしいが、食用にするのは日本・中国程度とのこと。キワモノとは思わないも、欧米人はヌルッて苦手でしたっけ。
 ジュンサイが好む澄んだ湧水は現在も見られますし、地域住民が周辺の環境を大切にする様子もうかがえたので、足を延ばしたかいがあったと。



 以前、江戸川を見下ろす高台には国府台城が築かれ、要所ゆえ戦国時代は後北条氏、千葉氏、高城氏と里見氏、太田氏、上杉氏らの勢力争いの舞台とされます。
 名称由来と思われる里見氏は、2度にわたる国府台合戦(vs 後北条氏)に連敗しますが、里見軍戦死者を弔う碑や、里見八景園(遊園地)があったように、地域の人々に慕われる存在だったようです(南総里見八犬伝は房総半島の同族を描いたもの)。

右の噴水のセンスって古くない?(1958年整備)


 上野山の地下を出発したスカイライナーは、いく筋もの川が流れる低地(縄文時代の奥東京湾)を走り抜け、付近で初めて丘陵地に遭遇します。
 以前その低地には、荒川水系の荒川・隅田川、利根川水系の利根川・中川・江戸川が流れ(現在利根川は、渡良瀬川・鬼怒川と合わせ銚子方面に流れる)、二つの水系の流れが合流するような氾濫原(洪水時に流れが氾濫する平地)が広がりました。
 付近の高台は、西に広がる低地を見渡せる場所柄から統治や防御に適しており、西方に睨みをきかせていたことから、政治の中心(京都・江戸)からたどり着いた者には、近寄りがたい砦に見えたのではないかと。
 江戸時代に入ると、江戸を見下ろす場所にあったことから、徳川家康により廃城とされます(低地の水路を整備したのは江戸時代)。



 名称の通り下総国 国府があった地で、明治〜終戦期には旧陸軍の病院や兵舎が立ち並ぶ軍隊の街として栄えますが、現在跡地は大学、高校、中学校がそれぞれ2校ある学園都市に。

 付近で「松戸」行きのバスを見かけるも、まるで地図が浮かばないため、未知の世界に足を踏み込んだ感覚を覚えますが、それが散歩の楽しさと。

 右は何か祈っているのか? なかなかノックが始まらない国府跡とされる野球場。


追記──世代交代が世界への道

 全日本卓球選手権大会がこれだけ注目を集めたのは初めてではないか?(立ち見だったそう)
 1年半前のリオ五輪で、男子シングルス 銅メダル、男子団体 銀メダル、女子団体 銅メダルの快挙は記憶に新しいが、大活躍だった水谷 隼が張本智和(14歳)に脱帽の完敗、当時最年少だった伊藤美誠が頂点に立つなど、若手の成長スピードに驚かされます。
 先日、石川佳純のドキュメントで、ボールの材質がセルロイドからプラスチックに変更され、回転がかかりにくくなったことに対応が遅れている、とありました。
 若手たちは経験にこだわらず、台の近くで球をさばく速攻に磨きをかけ、その成果を存分に発揮していて、打ち返すタイミングの速さに迫力を感じました。

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