2018/12/24

もう終わりだねぇ──皇居 乾通り

2018.12.8【東京都】

 前週東京駅で、皇居 乾通り一般公開の出口案内を耳にし、まだ公開されていたら是非にと誘われたのですが……



 右写真左側の行幸通り(皇居前 和田倉門交差点〜東京駅中央口交差点)は普段歩道として解放されますが、天皇の行幸と外国大使の信任状捧呈式馬車列が通行する際には専用道路とされます。皇居へ向かうシンボリックな道は日本の中心にふさわしく、外国大使にも喜んでもらえることと。
 街路樹のイチョウが新緑や紅葉の季節(右はちと遅い)には、馬車の駆け抜ける姿が絵になりそうなので、一度見てみたいと。
 イチョウの木はまだ背丈が低く(整備されて日が浅い?)、両脇に建てられた高層ビルに圧倒されますが、背が高くなったらいいロケーションになりそうです(何年先になるのか?)。



 乾通りは2度目で、ニュース等で混雑の様子を目にするも、午後だと並んでもダラダラ動いた記憶をあてに向かったところ、今回も並ぶのは15分程度で済みました。
 乾通りの紅葉は桜の季節同様、城壁や建造物とのコントラストが売りと思われますが、「もう終わりだねぇ〜」の声が聞こえるような状況で、限られた場所の狭い絵だけに。
 場所柄「平成も、もう終わりだねぇ〜」とも聞こえたように、年が明けるとそんな話題が増えそうです。
 天皇制云々は別として、平成天皇は新しい天皇像構築のために腐心されてきたと感じますし、健康の問題としている退位についての考えも、社会への影響を考慮したものと受け止めます(皇后への配慮も)。

 天皇即位を目前にした皇太子が発言できない時期の、秋篠宮発言(大嘗祭(だいじょうさい:天皇即位の儀式)費用について、「宗教色が強いものについて、それを国費で賄うことが適当かどうか」)の役割分担は見事というか、彼らは平成天皇の姿勢からもう一歩踏み込んだ皇室改革を考えているように感じられます。
 祭り上げようとする国の姿勢(軍国主義時代に通じる)よりも、天皇家による見識の方が現代人の感覚に近しいと感じられることは、おそらく平成天皇・皇后の影響によるものと思われ、今後も内側から皇室が変わる可能性がありそうと。

 下の乾門(出口)から見える北の丸公園のイチョウに誘われ直進します。




 「こっちの方がキレイ!」の声のように、まだ紅葉の見頃な場所が残っています。
 皇居内は植生のバランスが考えられているようですが、北の丸公園は千鳥ヶ淵の桜並木のように見て楽しむことを念頭に木々が配置され、緑の多さだけでなく植生のメリハリによる季節感が楽しめる公園に整備されています。
 この季節に訪れるのは初めてで、来年からは紅葉の名所としてチェックしに来たいと。

 武道館ではK-POPのコンサートがあるようで、関連グッズを買いに来たおばさんが、袋入りの写真を開けてはガッカリを繰り返しています(いくつ買ったのか?)。その空気感から、ガキ時分に駄菓子屋のくじが外れた気分がよみがえりますが、あれは10円じゃないでしょうから、かなりの出費かと……




 転居後は近くなったので何かのついでにと思っていたが、一年が過ぎてしまいました。
 帰りがけに半蔵門線で立ち寄るが、ここも紅葉はもう終わりの様子。品があり落ち着ける庭園で、今回で3・4度目程度の訪問と思うが、いちいち細かな部分まで記憶にあり、気に入っていたことを改めて納得しています(変わってない様子)。

 清澄白河駅前は幹線道の交差点にありますが、集合住宅 清洲寮(昭和8年)も健在など町の空気は変わらないように。帰りに門前仲町まで歩きながら(小津安二郎さん生誕地を通る)、以前は「ゼロメートル地帯はNG」にこだわったが、現在暮らす西葛西(ゼロメートル地帯)も同様の環境ですから、これまで以上に愛着を感じそうと……

 上は、大きなミミズを捕まえても動き回るためか、一気に飲み込めないサギの様子。


追記──平成天皇最後の誕生日会見

 「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています。」
 「自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労いたく思います。」

 聞きたかった心情をキチッと語る言葉は、責任の重さとともに国民に響いたことと。
 一般参賀に最多の8万2850人が皇居を訪れたことは、その御礼の気持ちであるように……

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