2019/01/14

橋は立派になっても──荒川

2018.12.15【東京都】──地下鉄 東西線を歩く_10

 今回から「東西線を歩く」の後編として、西葛西駅から都心方面を歩こうと思います。
 東西線は西葛西駅を出ると中川〜荒川(放水路)を渡り、南砂町駅の手前で地下に潜ります。対岸の江東区は江東ゼロメートル地帯ともされますが、江戸川区も境遇は同じです。


荒川河川敷(江東区側)


 荒川放水路は、関東大水害(1910年:明治43年)で大きな被害を受けた首都の水害対策として、岩淵水門から中川河口までを開削した人工河川(1930年:昭和5年)で、その際上写真付近に旧葛西橋が架けられました。
 当時は江東区南砂、江戸川区西葛西は埋め立て前のため付近が河口で、ハゼ釣りの名所だった時分からの釣具店や桟橋(釣り船や屋形船等が係留される)が健在です。
 木製の旧葛西橋の老朽化により、1963年右の葛西橋(当初は都内最長の橋:727.4m)が建設されます。
 川幅が広いため風の影響をまともに受けますが、近隣の女子高生は制服の下にジャージを履き、力強く自転車をこいで風に向かっていきます。
 黄色の花は菜の花に似ている(葉もシワシワしてる)ように見えたが、まだ季節には早いので別の花かと。


 上の江東変電所は、発電所からの電気を都心(新宿、城南変電所)に中継する施設で、ここから電線を地中に通すためスッキリした外観になっています(都心側には鉄塔や送電線はない)。
 変電所建設当時の江東区側は埋め立てられいたが、江戸川区側は埋め立て前のため海上に送電線が通されます(リンク先の絵は印象的で、この海に町が作られ人が暮らしているのかと、何度見ても感心させられます)。

 この下流側で砂町運河を渡り、夢の島東京ゲートブリッジにつながる道路計画があるらしいが、付近にはまだ気配は感じられません。埋立て地は水路を渡る道路(橋)が限られているので、完成すれば便利になりそうですが、トラックの交通量も増えそうと。

 荒川を挟んだ江東区側と江戸川区側の埋め立て地には、造成年代と目的の違いがハッキリ見て取れます。
 江東区側は、明治〜大正期の埋め立てにより多くの工場が立ち並び、1958年(昭和33年)貨物線が通され越中島貨物駅が開業します。上の砂町水再生センターは1923年(大正12年)完成。
 江戸川区側は1972年から土地区画整理(地盤沈下による水没民有地の区画整理)や都市整備(住宅建設、流通センター建設)など、生活系インフラ整備目的で埋め立てられます。
 その間には川の隔たりだけでなく、人工河川のルートを選定した時代の線引き(東京市内と隣接郡部の境界)が、現在も残っているように感じられます。
 ですが、江戸川区側にある(右写真手前から)首都高速中央環状線(1983年)、葛西水再生センター煙突(1981年)、葛西臨海公園 ダイヤと花の大観覧車(2001年)は、新しい土地に作られた新しい施設として、その立地条件を生かしているように。


 上の清砂大橋(2004年)は、災害時の東京都 一般緊急輸送道路(重要施設)のため、路面が非常に高い場所を通ります(上のように、東西線 荒川中川橋梁(1969年)の上部より高い)。そのため葛西橋以上に風当たりが強く、歩いて渡ると風にあおられ真っ直ぐ歩けないので、緊急時以外には歩いて渡らないことに(高所も苦手だし)。
 ですが、洪水・高潮等の際には、両岸のゼロメートル地帯を結ぶ立派な橋だけが水面上に浮かんでいても、そこまでたどり着けないようにも。失礼に聞こえるかも知れませんが、洪水時の都心側は水浸しと思われるので、西船橋や市川方面の高台を目指して避難すべきと考えています。

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