2019/03/25

0.5mの安堵感──門前仲町

2019.3.9【東京都】──地下鉄 東西線を歩く_18

 付近を通りるたび「この雰囲気!」とまったりするのは、永代通りのアーケードを「これあると助かるだろ」と押し売りするような空気感に、温もりを感じるためかと。



 約6年ぶりに参道を歩いてみると、参詣客の多さは変わらないが年齢層は若返ったようで、雰囲気があっさりしたように感じます。高齢化社会でも外出可能な人は減るため、参道の店舗も様変わりしているようです。
 代替わりもしくはオーナーが変わったためか、若向けのシャレた店が目につき、カップル、若い女性や若めのおばさん(?)グループの割合が高くなり、参道が軽やかになった気がします。足取りは軽やかに見えても、願い事の重さは変わらないことと……

 右の、ひょっとこや狐のお面は日本独自でしょうから、外国人旅行者へのアピールにはもってこいと思うし、狐も右下のようなバリエーションが増えると、キャラクターの幅が広がるのではないかと。

 成田山 東京別院誕生には、江戸時代の歌舞伎役者 市川團十郎の貢献が伝わります。彼が成田山 新勝寺(真言宗智山派)に帰依(信仰)し、不動明王が登場する芝居の人気から不動明王信仰に火がつき、永代寺(富岡八幡宮の別当:神社を管理する寺)で行われた成田不動の「出開帳」が、深川不動堂の始まりとされます。
 門前仲町は永代寺(全盛期は広大な寺院だった)の門前町が発展した町で、以前は付近も深川とされました。永代寺は明治維新の神仏分離令により廃寺となりますが、門前の地に再興されます。

 梵字を並べた本堂周辺に建物が増設されたように、前回訪問時よりもにぎわっているようです。




 上の深川公園は永代寺の跡地で、1873年(明治6年)飛鳥山・上野・芝・浅草と共に日本最初の公園とされます。
 グラウンドは、少年野球が複数可能な広さがあるも、背後を横切る首都高速に圧迫感を覚えます。気持ち的にはあそこにぶつけてやりたいと思っても、高さがあるのでちょっと無理だろうなぁ(ここの住所は富岡)。

 永代通り沿いにはアーケードの商店街が続きますが、生鮮品を扱う店がほとんどないのは、付近で創業した赤札堂(スーパー、上野ABAB経営)が便利なためか。ですがそこは下町、一本裏の道には右の産直販売(露店とはいえネギをモップに立てかけて売るかなぁ?)や、店先で魚を干す店があったりします(炙れば大丈夫。一夜干し美味しいよね〜)。


 下は以前、森下店に入ったことがある魚三酒場。16時開店の直後なので待ち時間は覚悟と思うが、「やっぱり並んでるよ」と目にしても気にせず並ぶ人々で列が伸びていきます。森下店の印象は「ちゃんとしたネタを使っている」「コストパフォーマンス◎」「充分満足」でしたから、魚好きの飲んべえが喉をカラカラにして並ぶのも理解できます。
 ですが、ここはとにかく騒がしく、店のオススメに逆らうと時間がかかる下町の飲み屋なので、混雑・やかましさは我慢できない、注文にこだわる方はご遠慮ください。
 当初は、左側の「子供連れお断り」「他店で飲んだ方お断り」の張り紙を撮ろうと思ったが、こちらの方が伝わりそうなので(列はまだ続きます)。


 門前仲町駅の「この出入口は海抜0.5m」表示を目にし、ちょっとショックを…… 区民の方には申し訳ないが、これまで江東区は全域がゼロメートル地帯と思い込んでいました。
 転居時に調べた地盤高図を見直してみれば、東側の荒川周辺がもっとも沈下が激しく、亀戸〜大島〜南砂町付近や、江戸川区の荒川沿い(西葛西を含む)に最低レベルの区域が点在しますが、西側の隅田川沿いの沈下は軽微らしい。
 状況を正しく理解すると、地域文化の歴史、隅田川に架かる橋の多さ(避難しやすさ)に加え「プラス0.5m」と、生活条件を満たす魅力的な地であることを納得できます。
 暮らしやすさの基準で「物価」の比重は大きいが、それと引き換えに手放していることをきちんと認識しておく必要があります。



追記──イチロー引退

 彼が残した記録は報道されるように数多くありますが、一時「彼は個人記録のためにプレーしている」との批判的な意見を耳にしたことがあります。また、2006、09年WBCでのチームリーダーとしての存在感、勝負に懸ける闘志(もっとも印象に残る姿)に対して、「なんでそんなタイトルのために頑張るんだ」というのがメジャーリーグ側の見解でした。
 ですが、記録を重ねファンやチームメイトからの期待が高まるたび、彼の精神も充実してきたように見えたし、WBCでもメジャーの選手が自国チームに参加し名誉を競うようになり、アメリカも本気にならなければ勝てないほど、各国が力を入れる大会になりました(お金ではなく名誉が浸透したように)。
 そこに挑む姿勢こそが、野球選手(個人の技術を磨き、チームの勝利に貢献する)のあるべき姿だし、野球少年の夢を育ててくれたのではないかと。
 素晴らしいプレーやチャレンジの数々をありがとうございました!
 今後の彼に最もふさわしいと思われる「WBC監督」の姿を楽しみに。


追記──三陸鉄道全線開通

 鉄道が開通したことによって、これまで被災地が分断されていたことに気づかされます。被害が広範囲に及んだこともあり、これまで地名は知っていても位置関係を知る拠り所がなかったが、これからは沿線全域に目が届くようになることと。
 これを弾みとするためラグビーワールドカップ後も、『あまちゃん』のように三陸鉄道沿線の人々を描き、活気づけられるような後押しはできないかと……

2019/03/18

残したい思い──深川

2019.3.2【東京都】──地下鉄 東西線を歩く_17

 混雑する通勤電車の中で門前仲町駅を通る際は、いつも「どこを歩こうか?」と考えながら気を紛らわしています。




 隅田川テラス(川沿いに整備された遊歩道)に降りると、遠くで工事中の清洲橋が山のように見えたので寄り道を。橋を富士山に見立て、その背後にスカイツリーという絵を壁画にする銭湯がありそう、と思う気分が下町らしさとも。
 現在、国の重要文化財とされる3橋(勝鬨橋永代橋、清洲橋)では、TOKYO 2020に向けたお色直し(長寿命化工事)が行われており、築地大橋(2018年開通)を含めた12橋のライトアップが新しくなるようで、また楽しめそうです。
 立ち位置の清洲橋醸造場(ビール工場)&バーベキューレストラン『PITMANS』テラスは、堤防の上から川を眺められるので花火大会の眺めが良さそう。




 庶民の町として知られる名称は、江戸時代に摂津国(現 大阪府)から移住し、小名木川北側(当時の森下付近は漁師町)を開拓した深川氏に由来し、南側の湿地の名もなき開拓地を含めた広い地域が深川とされました。現在も町名として門前仲町北側の狭い地域に残ります。
 江戸の大火を受け、隅田川対岸に広がる茅野(かやの)の開拓が始まり、両国橋が開通すると寺院や庶民が移転し、一帯は急速に都市化しました。
 周辺は東京大空襲で焼き尽くされたため、被害を免れた墨田区京島付近のような無秩序さはなく、狭いながらもきちっと区割りされた町並みが整備されています。
 上は、屏風絵のような慧然寺(えねんじ)。右は富岡のインテリアショップ? いまどきはおしゃれじゃないと、東京メトロ沿線広告の石原さとみが来てくれません(もう来たんだっけ?)。


 上の八幡橋(元 弾正橋:以前は宝町の楓川に架けられた)は、旧 八幡堀を整備した遊歩道に架けられる人道橋で、ではなく鉄を主材料とした鉄橋としては日本最古で、国の重要文化財とされます。
 何をするわけでもないのに、つい誘われてしまう場所が点在しているのは、残っているのではなく、残そうとする思いが受け継がれているように。子供が関心を抱く遊び場には地域の特性があり、遊ぶことから思いを感じてくれれば、バトンは繋がるのではないかと。

 付近で起きた2017年富岡八幡宮殺人事件(宮司の後継問題による血縁間の事件)はまだ記憶に新しく、大空襲で焼失した社殿を再建した宮司は、神社本庁 事務総長就任の評価を受けますが、祖父が築き上げたものを三代目が失墜させました。



 江戸時代初期、永代島(当時は島だった)に祭られた「永代嶋八幡宮」に始まり、現在の門前仲町は永代寺(神社を管理する寺)の門前町として発展します。
 富岡八幡宮の祭礼 深川八幡祭は、江戸三大祭(日枝神社の山王祭、神田神社の神田祭り)の一つとされ、「神輿深川、山車神田、だだっ広いが山王様」と語られます。
 また江戸勧進相撲発祥の神社とされ、横綱力士碑に横綱の名が刻まれることから、稀勢の里も土俵入りを奉納しましたが……
 右は境内の婚儀殿(結婚披露宴会場)前に飾られる絵で、色気を振りまく姿は子宝祈願のようにも。

 空襲の被災状況を目にした昭和天皇の「これで東京もとうとう焦土になったね」の言葉が、心に刻まれています。

 かつて3基あった神輿は関東大震災で焼失し、右の一の宮神輿は1991年に作られたもので、日本一の黄金大神輿とされる千貫神輿(高さ4m、重さ4.5トン:千貫 = 約3.75t)の巨大さには圧倒されますし、金箔だけでなくダイヤ、銀、プラチナ等も飾られるそう。
 これは、佐川急便グループ会長の寄贈によるもので推定10億円とか。これぞバブルの象徴! ですが、形として残ってよかったとも。
 ご推察通り重くて担げないため(交代で担ぐ人手が足りないそう)お出ましになったのは一度きりとのこと。3年に一度、隣に置かれる二の宮神輿(重さ2トン、推定1億円)が担ぎ出されます。

 周辺で古い町名が残されるのは、氏子町会の名を守りたいためでは? と思うほど、八幡宮と祭りは求心力と華を持つ存在のようです。



2019/03/11

水彩都市を演出する──木場

2019.2.23【東京都】──地下鉄 東西線を歩く_16

 江東区が目指す「隅田川、荒川、東京湾に囲まれた水と緑豊かな水彩都市」の構成要素のひとつである水路は、身近な風景として生活の一部になっていますから、どうアピールするかにかかっているように。




 ここは平久川(へいきゅうがわ)を挟んだ木場の西側地区で、江戸城築城の際の石置き場&加工場とされた歴史が地名に残ります。付近では関東大震災後からたびたび町名が改正されますが、残そうとしたのはよほど思い入れのある名称のためかと。
 旧古石場川(現親水公園)に架かる琴平橋(上)は、石を運ぶ船は事故が多いため、海の神である「琴平神社:こんぴらさん」を建立した名残ではないか、と勝手な想像をしましたが、漁師町の神様だったそう(港には必ず神社があります…)。
 古石場文化センターにある小津安二郎展示コーナー(深川出身の映画監督)を見学してみると、気取って見えたのは下町気質の振る舞いと感じられ、愛すべき庶民だったように。




 区の取り組みとして、殺風景な水路に架けられるトラス橋などの橋をアピールすれば絵になりますし、デザインには下町らしい見栄やこだわりが見られるので、地域文化として注目されることと(上は1984年竣工の白妙橋)。この構造が立地の制限(橋脚を作れない等)によるとしたら立派な売りになるのでは。

 付近は倉庫や工場が並ぶ地域ですが、何と言っても木場駅は地下鉄東西線で大手町(東京)駅まで4駅という便利な場所なので、施設が移転した跡地には次々マンション等が建てられ、人口は増える一方のように(保育園が2つある)。イトーヨーカドー(ギャザリア)は近くても、住宅地としての整備にはまだ時間がかかりそうです。


 上は以前、越中島貨物駅から豊洲・晴海方面へ伸びていた東京都港湾局専用線の遺構(意図的に残されるようなのでモニュメント?)。この先の豊洲方面にも、跡地の形状が分かる駐車場や水路の橋脚が残るらしい。
 周囲の遺構は残しても、本丸の豊洲(旧東京ガス工場→豊洲市場)は「マジやばい」ため、盛り土をしたものの……(小池都知事が引き下がったのはヤバさを学習したためかと)。晴海の埋立地は主に港湾・流通関連会社に売却されたので、建設中の五輪選手村も大丈夫らしい。

 右のしおかぜ橋は汐見運河を渡る人道橋で、その先のJR京葉線、越中島貨物駅を渡るアーチ橋とつながっています。後者の見栄えは立派だが、スペースが無いにしてもやり過ぎの印象と。

 一帯には工場用地向けの広い区画割が多い中、しおかぜ橋周辺だけは町工場向け程度の区画とされ、工場兼住居も入り混じりこまごまとしています。
 工場跡地の再開発に規模の大小はないようで、歯抜けとなった跡地には住宅が建てられ、小さいながらも工場用地に宅地化の波が押し寄せるように見えます。
 そんな状況のためか、右の写真を撮っていると(再生紙を扱う倉庫)、事務所から出てきたおばちゃんが「何を撮っているの?!」と、クレームのような口調で声をかけてきます。周辺では様々な話が飛び交うらしく、神経質になるのも当然で、不審者を目にしたらすぐに追っ払っているようです。
 こんなどうでもいい写真を撮ってれば疑われます。

 右は木場にある、屋形船・釣り船の深川吉野屋の船着場を水門の外から見た絵(前回の逆方向)。
 この門を閉じると奥側が内堀になります。手前側も非常時には、5箇所の水門で東京湾と仕切られ外堀となるので、高潮・津波等の際には二重に守られることになります。しかしそれは、周囲の堤防がきちんと機能した場合の話で、弱い場所が決壊し堤防内部が水没する被害を近頃よく目にします。
 堤防内部には当然排水ポンプが設置されていても、いざという時に役に立たなかったという話も耳にするので、教訓を生かすためにも、念を入れた準備・訓練が必要ではないかと。




 フジクラ(旧藤倉電線)工場跡地の再開発による複合施設で、オフィスビル6棟、商業施設(イトーヨーカドー、109シネマズ木場等)、レストラン街等のある敷地はかなり広く、この施設のおかげで木場周辺のイメージが格段に上がったことと。
 レストラン街で見かけたキッチンジローに数十年ぶりに入ってみると(場所柄ゆえ店内はこぎれい)、キャベツにかけたソースの変わらない味から、若い時分の食生活の記憶がよみがえりました。年齢とともに好みも変わったと思っていたが、「あっさり好みになった?」と味覚で実感すると、ちょっと驚きます……

 右はフジクラ 木場千年の森(ビオガーデン)のネコヤナギ(後日の絵)。

2019/03/04

背筋が少し伸びるころ──木場公園

2019.2.17【東京都】──地下鉄 東西線を歩く_15

 まだ冬物は手放せませんが、日差しのもとでジワッと汗ばむ陽気にこわばった体もほぐれ、背筋が少し伸びてきたと感じるように……



 木場公園といえば木場の角乗(水に浮かぶ角材上での妙技披露は10月の区民祭り)で、リンク先のように人出は凄そうですが、近くなったので一度は見なければと。
 「火事と喧嘩は江戸の華」の火災では、材木商の木材が延焼の原因とされ、日本橋界隈から転々とし木場深川町に落ち着きましたが、1969年貯木場が新木場に移転し跡地に公園が整備されました。
 近頃木材を運ぶトラックを目にしないように、流通形式が変わったため、現在新木場の貯木場は使用されないようですが、木材加工工場等は現在もあるため漂う木の香りから、環境省のかおり風景100選に選ばれたそう。


 公園内の都市緑化植物園は、自分たちで手入れ可能な植物・庭の見本が並ぶようなガーデンで、手入れする方々も自分の庭のように愛着を持っているように見えます。庭を持てない人が草木を育てられる施設としたらマニアは集まるとしても、収拾がつかなくなりそうです。
 また、様々な犬&飼い主でにぎわうドッグランで大型犬が走り回る姿を見られないことも、飼育スペースや、庭を持てないためらしいが、この公園のサポートは庶民生活に多少のゆとりを与えてくれるのではないかと。

 今年の梅が遅いように感じたのは気候のせい?(千葉県の気候に近い西葛西は遅いのか)世田谷の羽根木公園は2月の終わりが見ごろだったようです。


 久しぶりに隣接の東京都現代美術館を見学しようと意気込んでいたが、改修工事中のためフェンスで囲われています。これまでは感じなかったが、目の前まで行って休館とされると、途端に「不便な立地」「雨の日には来ない」などと、ネガティブなことを考え始めてしまいます(美術館の建物はトラス橋をイメージしたものかと)。

 付近の水路に多くみられるトラス橋は、関東大震災の復興橋として架けられ頑強さが売りでしたが、周辺が地盤沈下したため橋と数mの高度差が生じます(橋や堤防等の構造物は地下に杭を打つため沈みにくい)。
 右の亀久橋のように、前面にある下町らしい小粋な飾りを見かけると、全部回ってトラス橋カタログを作ったら楽しそうと。

 江戸幕府は、一帯に広がる湿地に水路を通して水運に活用し、周辺住民は水路の土手を足がかりとして周辺を開拓したそうです(たくましき庶民!)。
 旧水路を整備した木場親水公園(右)の水辺が水路の底に作られているのは、地下に下水路を通して周辺の雨水を集めて排水するためではないか。そんな施設のおかげで、排水路を心配せず下写真のように水路が遊歩道より高い場所(肩の高さ)を通せるように。
 湿地だった江戸時代の再現にこだわる姿勢から、水彩都市を自称する江東区の意気込みを理解できましたが、水から町を守れない災害が頻発しているので、余裕を持った対策が必要ではないかと……



追記──米朝首脳のベトナム観光

 うまくいくとは思っていなかったが、あれが彼らの本気だったんだよね? 「予定通り」「収穫があった」としたらもう少しマシなコメントが出ていたはずと。成果への貢献をアピールすべく動き回った、日・韓・中・ロの取り巻きもシラケてしまいます。
 自国第一主義を掲げる国の代表は「外交シロウト」で当然とされたのでは、世界はどうなるのかと(国内体制の粛清では世界は変わらない)。双方とも外部の見解に耳を傾けないのだから何を言っても仕方ないが、ベトナム観光に付き合わされたマスコミ等の膨大な経費が、無駄遣いとならぬよう願いたいと……