2019/03/11

水彩都市を演出する──木場

2019.2.23【東京都】──地下鉄 東西線を歩く_16

 江東区が目指す「隅田川、荒川、東京湾に囲まれた水と緑豊かな水彩都市」の構成要素のひとつである水路は、身近な風景として生活の一部になっていますから、どうアピールするかにかかっているように。




 ここは平久川(へいきゅうがわ)を挟んだ木場の西側地区で、江戸城築城の際の石置き場&加工場とされた歴史が地名に残ります。付近では関東大震災後からたびたび町名が改正されますが、残そうとしたのはよほど思い入れのある名称のためかと。
 旧古石場川(現親水公園)に架かる琴平橋(上)は、石を運ぶ船は事故が多いため、海の神である「琴平神社:こんぴらさん」を建立した名残ではないか、と勝手な想像をしましたが、漁師町の神様だったそう(港には必ず神社があります…)。
 古石場文化センターにある小津安二郎展示コーナー(深川出身の映画監督)を見学してみると、気取って見えたのは下町気質の振る舞いと感じられ、愛すべき庶民だったように。




 区の取り組みとして、殺風景な水路に架けられるトラス橋などの橋をアピールすれば絵になりますし、デザインには下町らしい見栄やこだわりが見られるので、地域文化として注目されることと(上は1984年竣工の白妙橋)。この構造が立地の制限(橋脚を作れない等)によるとしたら立派な売りになるのでは。

 付近は倉庫や工場が並ぶ地域ですが、何と言っても木場駅は地下鉄東西線で大手町(東京)駅まで4駅という便利な場所なので、施設が移転した跡地には次々マンション等が建てられ、人口は増える一方のように(保育園が2つある)。イトーヨーカドー(ギャザリア)は近くても、住宅地としての整備にはまだ時間がかかりそうです。


 上は以前、越中島貨物駅から豊洲・晴海方面へ伸びていた東京都港湾局専用線の遺構(意図的に残されるようなのでモニュメント?)。この先の豊洲方面にも、跡地の形状が分かる駐車場や水路の橋脚が残るらしい。
 周囲の遺構は残しても、本丸の豊洲(旧東京ガス工場→豊洲市場)は「マジやばい」ため、盛り土をしたものの……(小池都知事が引き下がったのはヤバさを学習したためかと)。晴海の埋立地は主に港湾・流通関連会社に売却されたので、建設中の五輪選手村も大丈夫らしい。

 右のしおかぜ橋は汐見運河を渡る人道橋で、その先のJR京葉線、越中島貨物駅を渡るアーチ橋とつながっています。後者の見栄えは立派だが、スペースが無いにしてもやり過ぎの印象と。

 一帯には工場用地向けの広い区画割が多い中、しおかぜ橋周辺だけは町工場向け程度の区画とされ、工場兼住居も入り混じりこまごまとしています。
 工場跡地の再開発に規模の大小はないようで、歯抜けとなった跡地には住宅が建てられ、小さいながらも工場用地に宅地化の波が押し寄せるように見えます。
 そんな状況のためか、右の写真を撮っていると(再生紙を扱う倉庫)、事務所から出てきたおばちゃんが「何を撮っているの?!」と、クレームのような口調で声をかけてきます。周辺では様々な話が飛び交うらしく、神経質になるのも当然で、不審者を目にしたらすぐに追っ払っているようです。
 こんなどうでもいい写真を撮ってれば疑われます。

 右は木場にある、屋形船・釣り船の深川吉野屋の船着場を水門の外から見た絵(前回の逆方向)。
 この門を閉じると奥側が内堀になります。手前側も非常時には、5箇所の水門で東京湾と仕切られ外堀となるので、高潮・津波等の際には二重に守られることになります。しかしそれは、周囲の堤防がきちんと機能した場合の話で、弱い場所が決壊し堤防内部が水没する被害を近頃よく目にします。
 堤防内部には当然排水ポンプが設置されていても、いざという時に役に立たなかったという話も耳にするので、教訓を生かすためにも、念を入れた準備・訓練が必要ではないかと。




 フジクラ(旧藤倉電線)工場跡地の再開発による複合施設で、オフィスビル6棟、商業施設(イトーヨーカドー、109シネマズ木場等)、レストラン街等のある敷地はかなり広く、この施設のおかげで木場周辺のイメージが格段に上がったことと。
 レストラン街で見かけたキッチンジローに数十年ぶりに入ってみると(場所柄ゆえ店内はこぎれい)、キャベツにかけたソースの変わらない味から、若い時分の食生活の記憶がよみがえりました。年齢とともに好みも変わったと思っていたが、「あっさり好みになった?」と味覚で実感すると、ちょっと驚きます……

 右はフジクラ 木場千年の森(ビオガーデン)のネコヤナギ(後日の絵)。

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