2019/05/13

下町色残る日本の中心地──室町

2019.4.27【東京都】──地下鉄 東西線を歩く_23

 三井グループは総本山である地下鉄 三越前駅周辺の足場固めに余念がないようですが、江戸っ子たちは狭い土地ながらも、流行りに敏感なフットワークで奮闘しているように。


 徳川家康は江戸時代、日本橋を五街道(東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道)の起点として周辺に人・物資を集め日本の中心地としますが、もてはやされた京都へ向かう東海道側は日本橋の町名でも、北側の土蔵(室)が立ち並んだ地域は室町とされます(京都の室町にならったとも)。現在では橋を中心とした一帯が日本橋とされますが、江戸時代は「ウラ日本橋」的なイメージだったようにも。
 現在の中央通りは上下水道整備のため、本郷台地(神田 昌平橋付近)から江戸前島の尾根上を新橋まで通された通り町筋(とおりちょうすじ)に始まり、日本橋以西は東海道となります。
 右はベトナム料理店のランタン。


 中央通りを挟み三越の反対側には以前からの狭い区画が残され、戸口が向かい合うような路地に飲食店が軒を連ねる、のんべえワンダーランドのような迷路が健在です。付近には江戸期から日本橋魚市場があったため人の出入りが多く、市場関係者相手の店舗が相当数並んでいたことと(市場は関東大震災を受け築地へ移転)。空襲で焼け野原となるも戦後復興で区画整理をせずに整備を急いだのは、中心地の繁華街復活を早期にアピールするためか?
 近頃は、店主の代替わりに伴いオヤジの聖地は衰退する一方で、キレイ目な店では土曜の昼どきに若い女性やアベックの行列を見かけますから、いまどきの日本橋ブランドを活用する店が増えているようです。


 上のコレド室町(三井不動産等が主体)の仲通りは右の福徳神社参道とされ、ビル群の谷間にある憩いの場に隣接する社への参拝客も増え神様も喜びそうですが、ここは安息の地となるのだろうか(以前はビルの屋上暮らしもあったらしい)。
 コレド室町にシネコン(TOHOシネマズ)が入るのは、日本橋には映画を観るためにわざわざ足を運ばせる魅力があるとの考えなのでしょう。日本橋の映画館は平成元年に閉館した三越映画劇場以来。
 COREDOは英語の「核:CORE」と「江戸:EDO」をつなげた造語で、意味は通じなくても覚えやすければいいようです。

 日本橋川以北は神田明神の氏子地域(丸の内・大手町も含まれる)なので、飾られる提灯は神田祭(5月9〜15日)のもの。日本橋を境に神田明神と日枝神社(赤坂)の氏子地域が分かれるのは、京都側とその反対側という線引きによるもの?(神田明神は伊勢神宮、日枝神社は大津 日吉大社がルーツ)

 右はうなぎ割烹 大江戸の玄関で、土曜限定の「いかだ」(1匹を切らずに焼いたものを重に乗せるので、端がめくれ上がる!)の案内が出ています。以前何度かご馳走になりましたが、自腹で食べられるのは何年先か……(ふっくら、やわらかな食感でした)


 上は5月11日神田祭の神幸祭(しんこうさい)「一の宮鳳輦(ほうれん)」巡行の様子。この祭は家康が関ヶ原合戦の際、神田明神に戦勝祈祷を命じ勝利したことから、盛大に行われるようになったとされます。
 神輿を担ぐのではなく山車を引く巡行のため、行列が間延びしても10分程度で通過しますから、交通規制ではなく交通整理で対応しています。三越周辺では道路脇に人垣ができる人気ぶりで、現在も下町時分の心意気を持つことをアピールするには絶好の行事と。
 行列に参加する馬と乗り手は相馬野馬追関係者に依頼するようで(マイクロバスが待機)、人混みに慣れた馬・人を手配する配慮はさすがと。

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