2019/08/12

夏の風情を伝える──神楽坂

2019.7.27【東京都】──地下鉄 東西線を歩く_36

 この日は、神楽坂まつり「阿波おどり大会」があると知り訪問順を変更しましたが、19:00開始のため阿波おどりは未見です。


 神楽坂駅周辺の裏通りには、民家等を利用する小さな店舗が軒を連ねています。そんな街並みは認知されるらしく、店をのぞき界隈を散策する目的で足を運ぶ人も多いようで、飲食店も結構にぎわっています(町にお客がついた印象)。
 以前は、旧花街のあった善國寺周辺が隠れ家とされましたが、近頃は坂の上にもいい感じの店が並んでいます。
 付近の白銀町(しろがね)は、田安台(現 武道館付近)築城の際に農民を移住させた地で、芝白金台のような発展を願った命名とか。

 右の白銀公園で服のまま水を浴びる二人は、顔だけのつもりが徐々にエスカレートしたようにも……(暑い日でした)

 神楽坂まつりは、前半2日間 ほおずき市、後半2日間 阿波おどり大会が行われ、最終日には近隣店舗の軒先にほおずきが飾られています。鉢の下で揺れる風鈴の音色が、周辺の夏の風情に感じられます。
 季節感を大切にする町の姿勢は訪問者に好印象を与えますから、「来年はほおずきを見に来ようか」につながるのではないか。
 お盆では、ほおずきを死者の霊を導く提灯に見立てたそうで(漢字は鬼灯)、ガキ時分に供養のためと教えられたためか、母や祖母が実を揉みほぐし口に含んで鳴らしていた姿が、いまも記憶に残ります(わたしはすぐに破れてしまった)……

 神楽坂通り(早稲田通り)は、江戸時代の牛込御門と現神楽坂駅南側にあった若狭小浜藩主 酒井家屋敷(牛込矢来屋敷)を結ぶ道で、外堀の飯田橋駅付近に神楽河岸が設けられ、物流拠点として発展します。
 まつりの中心となる善国寺が麹町から移転し、寄席や花街がにぎわうようになり、関東大震災の被害が軽微だった周辺に銀座 等から店舗が集まるも、坂下には華やかさとは無縁な河岸の流れを残す(?)一角が健在です。昼間からご機嫌なオヤジたちは、近くにある東京理科大 等の同窓生? 店は変わっても町の雰囲気で十分飲めそうです。
 神楽坂の名称由来は、理科大付近の若宮八幡神社の神楽が聞こえる地、によるそう。

 善國寺付近は、店舗単位の出入りはあっても大きく変わってないように見えますが(以前写真を撮るなと文句を言われた店は見当たらない)、神楽坂通りの観光地のような混雑ぶりから、昼だけでなく夜の顔も趣が変わりつつあるのではないかと。

 店舗裏の通路(右)を目にし、現代のサブちゃん(『前略おふくろ様』の萩原健一:リンク先Youtube 田中絹代さんの手紙朗読!)なら、こんな場所でスマホをいじっていそうと(舞台は深川ですが、神楽坂でも成り立ちそう)。
 ショーケン最後の出演と思われる『いだてん』高橋是清役の存在感は、見事な演技として記憶に残ることと……


 梅雨明け前の暑い日でしたが、久しぶりに日差しを浴びたいと足を運んだ小石川後楽園の緑はまぶしく映ります。
 儒教(孔子が始祖)の趣向を取り入れた庭園や、名称も中国書の「天下の憂いに先じて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」によるためか、日中友好会館が隣接します(旧 満州国日本留学生寮として始まる)。

 隅田川花火大会(←失敗作が面白い)は予定通り行われましたが、夏ムードを一気に盛り上げたい7月末に台風がくると、店舗・客側とも夏の計画に不安を感じそうです。
 それとこれとは別! と叫ぶかのような、東京ドーム 巨人×阪神戦の歓声が地響きのように聞こえてきます……


追記──TOKYO 2020への夢

 渋野日向子ちゃんの「全英女子オープン勝ってしまいました」は、正直な気持ちと思うが、「TOKYO 2020を目指します!」と口にした瞬間から、新たなチャレンジが始まります。
 こちらは1年前にチケット購入を諦めましたが、これからチャレンジできるのだから権利を獲得して、上野投手のような感動を与えて欲しい! と(以前はソフトボール選手)。
 タラタラしてんじゃねーよは、誰にも通じる見事なネーミング。

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