2019/08/26

ふるさとへの思い──神楽坂、早稲田

2019.8.10【東京都】──地下鉄 東西線を歩く_38

 以前は神田川沿いを歩いたので、東西線南側を中心に歩きます。付近は高台の縁にあたり、北側の神田川水系に向かう谷筋が多く平坦ではありません。



 駅が後付けとしても駅前の神社には挨拶しておかねばと。
 鎌倉時代に、群馬県赤城山付近からの移住者(牛込氏)が創建し、牛込地区の鎮守とされます(以前は牛込区)。
 社殿建て替え+マンション建設のプロジェクトにより、ホールやカフェ 等を併設するモダンな社となっています(デザイン監修は同神社氏子の隈 研吾 氏)。

 スフィンクスを想起した狛犬は江戸時代に流行した加賀白山犬で、女性の「クレオパトラみたい」の声も、髪の毛(?)パッツンなのでイメージは分かります。ここも神楽坂上(駅周辺)の散策ルートに入るようです(こぎれいであれば人は立ち寄ります)。



 以前の新潮社書庫を再利用したla kagu(ラカグ:2014年)には、リニューアル(19年)したばかりのにぎわいがあります(周辺散策の要チェックスポット?)。
 お米専門店+ライフスタイルショップらしいが、お米よりも周辺商品の方が目につく印象があります。Afternoon Tea(生活雑貨+ティールームの融合)運営会社の目先を変えた展開で、ここはアンテナショップ的な性格らしく、気に入った商品をネットで注文、という業態のようです。
 おいしいお米の「しあわせ感」は知っていても、家で食べる回数や量が少なくなった主婦に向けての提案らしい(少し高くても一度買うと、また食べたくなりそう……)。



 以前の寺町と思うような地域で、建物に水玉模様を配して存在を主張しています(2017年)。なぜこの場所に? の意外さがあの方らしさなのか、付近にゆかりがあるのか(長野県出身)。

 近くに残される弁天堂(下:社務所とした民家が残されているようにも)が弁天町(旧牛込弁天町)の由来で、弁天堂を管理する宗参寺には牛込氏(赤城神社を創建)の墓があるように、歴史が残される地域です。
 地図で細長い区画を目にし足を運ぶと、旧水路と思われる低地に細長い都営住宅が伸びています。危険な場所に見えますが、排水路はしっかり整備されているのでしょう。





 新宿区に生まれた夏目漱石は、家の没落から数奇な運命・様々な経験を経た後、晩年に漱石山房の地に戻りますが、そこは弟子や知人が集うサロンと化します。創作活動のため面会日を定め「木曜会」と称したように多くの人に慕われたのは、教職で培った面倒見の良さによるらしい(上:わが家をイメージしたような外観)。
 終焉の地に置かれる猫塚のレプリカ(右:漱石没後、遺族が飼っていた犬、猫、小鳥を供養した)には、「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」の猫は含まれないと思うが、小説の顛末が思い出せません……

 漱石ゆかりの地として根津神社近くにある、壁の上を歩く猫のオブジェが思い出されます(夏目漱石旧居跡「猫の家」は『我輩は猫である』を執筆した作品の舞台)。



 森のような佇まいに導かれて、足を踏み入れます。
 ここは臨済宗の寺院で、三代将軍 家光に仕えた祖心尼(そしんに 名は おなあ)の寺として知られます。戦国時代を生きた女性で、家光の母となった、家光の乳母となった春日局と同様、波乱万丈の末、春日局から補佐役を依頼され大奥で家光に仕え慕われたそう。女性に選択の自由がない戦国・江戸時代に、与えられた立場を全うし評価を得たことは大変なことと。
 そんな経緯を知らずに入ったが、広大な森のような境内が守られる様子から、人々から敬われる存在であったことが偲ばれます。

 鶴巻南公園近くで「革マル派の機関紙…」の表記や公安の監視パトカーを目にし、健在なのかと驚きます。

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