前回上野の山から「東京スカイツリー」がよく望め、早い機会に一度ふれておこうと思うも予約チケットは無いので、今回は「スカイツリーを意識しながら浅草を歩く」という寄り道です。
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隅田公園(Map)
右下写真には「新・東京物語」などのタイトルをつけたくなります(映画『東京物語』1953年小津安二郎監督作品の引用)。
小津さんは採用しないでしょうが、現在の東京で続編を作るとしたら、きっと使いたくなるビジュアルと思います。
第一印象「デカすぎ!」「これまでとは次元が違う」「言葉通じる?」のとまどいから、昭和育ちと平成生まれの違いにも似た「どう接すればいいの?」の困惑がありました。
東京タワーを見上げて育った昭和人が、結局足元にも及ばない現実を思い知る年齢に「今度はBigサイズ、2倍に増量!」とされても、励みの材料として受け止められません。
きっとこれからの若者たちは「(東京タワーの高さ)2倍の志!」を心の支えとし、シンボルとしていくのでしょうねぇ(オヤジはもう投げやりです……)。
夢は大きく目標はより高みに置くべきと思うも、大きすぎて「手が届かない存在」と感じてしまう年ごろのようです……
仲見世(Map)
この日も前週同様、土曜雨→日曜天気回復のせいか観光地浅草は人であふれています。
付近では、入れなくてもスカイツリーを見たい日本人と、「ツリーより浅草!」という外国人旅行客の温度差が感じられます(海外からのツアーにはツリー訪問も入ってたりして?)。
外国人観光客も増えた買い物袋のまとめ方に腐心していますから、土産物店の商品に関心が向いてしまうようです。
わたしも以前海外旅行で何枚もTシャツを買いましたが、テンション高かったんでしょうね。
そんな気分も計算する「観光産業」なので、観光誘致には「国家戦略的対応」が必要です。
結局は地域振興を目指すものの、浅草は「日本でここにしかない町」なので、多くの人に見てもらいたい思いがあります(京都の上は無理としても)。
浅草寺(Map)
何で外国人観光客の頭が入った写真を選んだかというと、日本の首都東京で人々が煙をたく様子に「何とエキゾチック!(異国情緒)」と、彼らがよろこぶ様子を伝えたいと思ったからです。
アジア系の人たちは、土産物には関心を示しますが、寺院は見慣れています。一方欧米系の人たちは、東洋的文化に強い関心を見せますが、食べ物に関しては「これ食べ物?」的な拒絶反応を示します。
観光誘致の観点からアジア系向けには、神道(伝説に関心を持つか分かりませんが)の生い立ちや、仏教伝来の時代背景の解説があれば理解しやすいのではないか。また、欧米系向けには食品のパッケージや説明(成分・製法等)に理解しやすい表示の工夫が必要かも知れません。
アジア系の観光客が増えたことは観光地には朗報ですから、来てくれた方の好感が将来の「種」となるよう工夫したいところです。
本堂におみくじを結ぶ場所がありますが、写真の娘たちの年齢には何を願うのだろう?
自分を振り返ると、当時は100円と思う宝くじを1枚しか買わないくせに、神頼みに足を運んだような記憶があります(それが親のためなら美談なのですが)。
前にも書いたかも知れませんが、ずっと以前にこの寺に初詣で参拝の際、おみくじで「凶」が出たことがあります。
正月は印象の悪いくじは外すとも聞きますが、「運だめしにハレとケ(非日常と日常)無し」という厳しさは嫌いではないので、次の機会も「凶を引くぞ!」という意気込みを、活力にさせてもらってます。
三社祭(さんじゃまつり:浅草神社の例大祭。江戸時代まで浅草寺と一体の祭りが、明治時代の神仏分離により浅草神社単体での祭りとなる)は5月ですが、これから市中にある神社の夏祭りが始まるので、祭りの無事祈願に集まったらしい法被(はっぴ)姿の世話人衆(?)が本堂からゾロゾロ出てきます。
「お祭りは神社でお祓いを受けるのでは?」と思うのですが、参加者の多い行事では寺の本堂にある広いスペースを使うのかも知れません。
というか、「花やしき:遊園地」を含む一帯の大地主である浅草寺は現在でも地域の名士のため「筋を通す」気持ちや、祭りの歴史を曲げられた反発から「昔からのやり方で祭りは続けるべき」との心意気を通しているのかも知れません。
浅草六区(Map)
萩本欽一やビートたけしが巣立った「浅草六区」は、明治時代に広大な浅草寺境内を七区画に整備・開発した六区にあたり、見せ物小屋等の移転から歓楽街となります。
当時「浅草寺裏」とされた通称には、あやしくも魅力的な響きがあります。
現在の歓楽街は、ウインズ浅草(場外馬券売場)の客以外は期待できない様子なので、飲食店街も「土日開催」の状況に見えます(日曜で張り切っていたのか、ばあさんの呼び込みに声を掛けられました)。
彼らも週末だけ営業なのか? 芸能の町をアピールする大道芸人が町のあちこちでパフォーマンスしています(ガマの油売りもいた)。
街角のパフォーマンスとして思い浮かぶのは「野毛大道芸:横浜桜木町付近」で、野毛には趣味ながらも「芸のプロフェッショナル」を目指そうとする姿勢を感じましたが、ここには「これで食っていけるか?」と、職業として「パフォーマー」を目指す人たちの「修行場」のような印象があります。
地味に見えますが、町の人の感想から刺激を受けて芸を磨くような、それこそ欽ちゃんやたけちゃんを育てた町の気質はいまも変わらない、と言えるのかもしれません。
訪問前に調べたページで「えびす屋の…」「時代屋で…」の表記を目にし、人気店舗があるかと思いきや、人力車観光サービスの会社でした。
女性は普段から、車の助手席やタクシーに乗ることをよろこぶようですが、人力車の座席に見かけるのはほとんどが女性であることも、その延長上かも知れません。
それは男たちが女性に「サービスしない」ためで、それゆえ男から「サービスしてもらう」ことでよろこびを感じる場面が、商売として成立することになります。
確かに男が女性に気を使う場である、美容室、ジムやホストクラブ(?)には積極的に足を運ぶ印象があります。
そんな欲求も分かる気がしますが、それより元凶を解決すべきと思うも「そんなことができるか!」となりそうです……
合羽(かっぱ)橋(Map)
路地の先にスカイツリーが見える場所を探していると、合羽橋南交差点付近に具合のいい道がありました。
現在はロケーションだけに見える商店街ですが、路地の先にスカイツリーを望むのですから(右写真)、これは売りにすべきでしょう!
ここで写真を撮るのはわたしに限らず携帯で撮る方も多く、路上で撮影中も車はクラクションを鳴らさず待ってくれる気持ちには、きっと地元の自慢もあると感じました。
ツリー近くで人気の「タワー丼:海老天が3本立つ」に負けない、このロケーションに合ったアイデア商品を提案できれば、下から見上げるよりもきれいな姿の借景が楽しめる気がします(まずは、ライトアップが売りになりそう)。
矢先稲荷神社(Map)
その通りを振り返えった上野方面で「矢先稲荷神社」例大祭に遭遇します。
「矢先」の名は徳川家三代将軍家光の命により、弓の稽古場のため京都三十三間堂を模した「浅草三十三間堂」が建てられるが火事により焼失し、その「的」先の地に建てられたことに由来するそう(その後、深川富岡八幡宮隣に再建されるも現存しない)。
上は「曳(ひき)太鼓」に群がる子どもたちで、奧に大太鼓がある。
お囃子屋台とは独立した屋台で、渡御(とぎょ:神輿(ご神体)が氏子を巡ること)の際、両側に女の子が乗る写真からすると、子どもたちの参加が認められる領域らしく、そんな「解放区」は大人気のようです。
子どもたちを祭りに「招く」場の設定は、将来に向けてとても重要です。
祭りの装束は、法被(はっぴ)と半股(短パンの長さの股引)と決まっていますが、ここでは「カラフルなふんどし」を着けている人が多いことに驚きました。
赤系の目立つ色づかいが多く、♥をちりばめるオッサンもいます(そんなの撮れな〜い)。
湯気が立つようなHOTな印象には、同性も強烈なセックスアピールと感心します。
女性にも「真っ向勝負」のアピールは、まとを射ているのではないか? それほどあからさまなアピールです(祭りはそんな場です)……
神輿(みこし)の周囲には、神妙な表情で歩く人たちがいます。調べても分からないのですが、おそらく同じ神を守る立場の中で、担ぎ手は「ハレ:祭」、周囲を守る人たちは「ケ:日常の生活で神・故人を祈る姿」を表現しているのではないか? と感じます。
神と巡行する時間こそ、礼節が大切とする心情はとてもよく理解できます。
この後には無礼講が待ってますし……
追記──鞆(とも)の浦(ポニョの浦)埋め立て計画中止!
わたしの中では「瀬戸内海随一」である鞆の浦湾内埋め立て・架橋計画を、広島県知事が中止と決めました。よかった……
付近の主要道は海沿いにあるため、古い町並みを通る個所では大型車両はすれ違い困難な道幅なのは確かですが、何も『春の海:正月のテーマソングのような箏曲』のイメージとされた舞台を埋め立てる選択肢は、NGと祈っていました。
安どと同時にさまざまな景色がよみがえり、手招きされているような気分が盛り上がってしまいます……