2012/11/26

ここは、中防ですよ!──中央防波堤埋立処分場

2012.11.10【東京都】──「ベイエリアウォーク⑧」



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中央防波堤埋立処分場:中防(Map)


 今回は、色気のない地で現実的なテーマに向き合う、このブログ本来の姿であること(?)をご覚悟下さい。

 以前歩いた東京ゲートブリッジを渡る一般自動車道は、中央防波堤埋立処分場(中防)を通り、海底トンネルを経て大田区城南島に至ります。
 ならば埋立地への立ち入りは可能と思い、公共交通の都営バス「波1」路線(東京テレポート駅前〜中央防波堤)を見つけ、アタックしました。
 この路線は、環境局中防合同庁舎などの営業時間に合わせるため、平日・土曜の朝・夕以外は1時間に1本程度、日曜は朝に1本だけ(夜勤明け対象?)の運行です。

 現在一般人が立ち入れる施設は合同庁舎だけで、訪問の土曜は営業日でも館内の照明は落とされています(要予約で埋立処分場の見学プログラムがある)。
 そんな日は案内の方もいないので、暗い館内をカラーコピーで作られた案内に従い、ゴキブリのようにコソコソと進みます(普段から利用者の少ない印象を受けます)。
 10階には明るい展望フロアがあり、俯瞰の写真はここからのものです。
 
 上写真中央、逆「く」の字状の構造物が中央防波堤で、埋め立て計画を知らない時分に地図で目にし「何でポツンと防波堤があるのか?」と感じた記憶がよみがえります。


 中防は「東京23区から出されるゴミの最終埋立処分場」とされるため、23区以外はそれぞれ処分場を持つわけで、どこに? の疑問から、ちと寄り道です。

 例えば武蔵野市など多摩25市1町では、西多摩郡日の出町「二ツ塚最終処分場:青梅近くの山間地」を利用しています(結局ゴミ処分場は海か山にしか作れません)。
 今どきゴミの焼却灰は、エコセメントとして全量資源化されるため、その時点では処分されないそうです。拍手したいところですが、処分を先延ばしすることを「リサイクル」と表現します。
 「エコ」という響きに満足するだけでなく、少しは勉強しないといけません……

 この地は、内側埋立地(最初の写真右側:埋立完了)、外側処分場(上・下写真:埋立中)、新海面処分場(上写真左奧:埋立中)と拡張されるも、その沖は急深かな海底地形のため、東京都の埋立地としては最後の海域とされます(その後どうするの?)。

 埋立中の外側処分場(上)でも整備済みの地区は、既にコンテナヤードに利用されます。周辺の道路は大型コンテナ通行を想定した設計のはずですが、お台場の青海(あおみ)では、舗装道路に車重によるわだちの凹みが見られます。
 過積載(重量オーバー)車の責任としますが、想定外とのいい訳をする前に、何で取り締まりをしなかったのかを、聞かせてもらえませんか?


 2011年10月この地区では、放射性物質が検出され処分保留となっていた多摩地区の焼却灰等の処分が認められ、埋め立てが開始されます。
 現在は確認できませんが、右上奧の山にシートをかぶせたような姿だったと。

 見解では、放射線量の基準値を下回ったものに限るそうですが、受け入れ口は他にないため集積されることとなり、「ちりも積もれば…」となってしまいそうです。
 都のシナリオとしては、海水は放射線の拡散を防ぐので、上からコンクリートでふたをしてほとぼりが冷めるのを待つ、という算段かも知れません。
 ですが、民家の床下から放射性物質が出てきたように、必ず尻尾は捕まれます。
 そんな事態は「次の担当者に何とかしてもらおう」などと考えているから、税金泥棒どころか告発につながりそうな苦情が無くならないのではあるまいか?
 他に道が無いのならば、責任を持った処分方法選択と、その記録を残すべきでしょう。

 当初は役人側の、放射性物質に対する知識不足・時間尺度解釈の間違いを指摘したものの、知恵を授けるはずの学者連中にも「人生という時間尺度」で物を言う輩が多いようで、「その後は任せた」という自分本位な態度や、こころざし(学者としてのレベル)の低さに驚かされました(拝金主義的な錬金術は科学ではない!)。
 理想と現実のはざまで汗する研究者の方がはるかに多いことは、承知しています……


 東京ゲートブリッジが何度も登場する理由としては、沖は東京湾なので常に陸側から接する橋の周囲は空と海に囲まれるため、象徴的に撮りやすいようです。
 華やかさのない、力学的な荷重計算からの設計としても、巨大なトラス橋としての「美しい形状(=最もシンプルな姿)」には、とても力強さを感じます。
 マッチ棒を組んで作っても「最強の構造」となりそうなので、模型があれば組み立ててみたい気がします。

 右端にある円筒形の構造物は橋の遊歩道からの昇降施設ですが、まだ使用できません(現在左の若洲側から歩けるのはその手前まで)。利用開始は下述の開園時では?

 右写真の風車「東京風ぐるま:東京臨海風力発電所」奧の木々や空き地の一帯には、23区内で最も広い公園の建設が計画されています(2016年一部開園予定)。
 そこに込められたメッセージには
「ゴミと建設発生土で埋め立てられた中央防波堤内側埋立地に、苗木を植え、美しい森に生まれ変わらせる計画が「海の森」プロジェクトです」とあります。

 明るいビジョンは大切ですが、現在の施設と併設するつもりではないですよね?

 ゴミをガラガラ捨てた時代と違い、埋立地に余裕のない現在は、上や右のような中間処理施設が重要です。
 これらの施設では、分別されたゴミを細分化し、リサイクル可能なものは再生され、不可なものは焼却されます。
 そのこころは「もう埋め立て場所がないんです……」の、埋立地を守ろうとする意識と受け止めます。

 ゴミを減らすためさまざまな薬品が使用されるらしく、「これまでに経験したことのないような『異臭』」に襲われます(表現の仕方が分からない不快なにおい)。
 処理施設間輸送の荷待ちトラックが並ぶ中、荷を積んだトラックが通り過ぎる際に強く感じる度、以前豊洲にあったとされる東京ガスの工場を想像してしまいます。
 空気が乾燥していたこともあり、唇をなめた際「しょっぱさが強い!」と驚きます(これ海水の塩じゃない!)。
 埋め立て当時の「夢の島」を目にし、埋立地には近づくもんじゃないと感じたことを、今ごろ実感しています……

 バスから降り立ち最初に受けた洗礼は、合同庁舎前の交差点に「歩行者用信号が無い!」こと。港湾施設の車道幅は広く、渡る途中で車道の信号が変わり道路のまん中で立ち往生します。
 そんな設備からも、人が歩く場所ではないと警告しているのかも知れません。
 一度は見ておかねばと思っていたものの、しばらくは足が向かないだろうという程のインパクトがありました……


お口直しに……
 2012.11.24──もみじ狩り in 新宿御苑


 埋立地ばかり歩いていると季節感を見失う気がして、「紅葉を感じたく」新宿御苑を歩きました。
 園内には武蔵野の雑木林を再現する一画があり、最初の木に「これクヌギの葉だよね!?」と食いつき、そのままガキ時分に遊んだ近所の林に迷い込んだ気分に……
 秋の雑木林「黄、橙(ダイダイ)と褐色の秋色」を探しましたが、うまく撮れず今後の課題です。
 紅葉情報には「色づきはじめ」とありましたが、そんな姿も季節感として味わえる感性を育んでくれた風土には、改めて感謝したくなります。

 右はロマンチックな絵ですが、何か若い時分(70年代)に見た覚えがあるので、モノクロにしてみました(レコードジャケットだったか?)。
 以前の印象と変わらない情景(カップルを含め)に見えることに、安どしたりします……

2012/11/19

Danceってスリリング!──テレコムセンター

2012.11.3【東京都】──「ベイエリアウォーク⑦」
 《ゆりかもめを歩く④ テレコムセンター》


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日本科学未来館(Map)


 お台場にはフジテレビ以外にも球体の構造物が存在します。
 これは「日本科学未来館:2001年オープン」の建物で、球体の内部には映像上映シアターがあります。「全天周・超高精細立体視映像システム」とされ、精細3Dプラネタリウムのようです(入場は整理券配布なので、時間があるときに是非)。
 館長は宇宙飛行士 毛利衛さんと聞けば施設の性格がわかるように、科学のおもしろさを分かりやすく具象化してくれる展示が目白押しなので、見学者はみな驚きの歓声をあげています。
 前回訪問の際「一日遊べる」印象があり、一日かかると困るので館内は帰りに寄りますが、訪問日11月3日「文化の日」は、文化に関する施設なので無料とされていました。


 上は「しんかい6500:潜水調査船」模型のフロント部分で、ライトや各種センサーが取り付けられています。
 近ごろTV番組の「うなぎの産卵場所を探る」レポートに登場しましたが、長さ:9.7m、幅:2.8m、高さ:4.1mの船内には、パイロット2名と研究者1名しか乗れず、それも1.5畳程度の空間しかない窮屈さだそうです。
 深海の水圧がいくら過酷な環境でも、のぞき窓(上写真中央)は欲しいのですが、直径10cm程度の窓のためには14cmの厚みが必要とのこと。
 宇宙同様、素人の想像が及ばない世界のようです。

 ここには国際宇宙ステーションの模型もあり、右は最も身近な興味を感じたトイレの様子です。
 足首・太ももを固定する器具があり、横たわるラッパ状の器具は男子の小用を吸い込むものと思います。
 いずれにしても、バキューム無くして用は足せない環境なので、宇宙ならではの逸話を聞いてみたいところです(下の話しは表に出ないゆえ……)。

 この模型の床は傾いているため、「アレッ、平衡感覚がおかしくなった?」と、疑似宇宙感覚を錯覚させる演出がミソです。宇宙飛行士の星出さん、お帰りなさい!


テレコムセンター(Map)


 偶然、テレコムセンター1階ホールで開かれている「東京六大学競技ダンス選手権大会」に遭遇します。
 社交ダンスには「気取ってやがる!」の印象はあっても、様になっていれば許せるわけで、みんな「そこだけは?」気合いが入っていて、男も女もみなカッコイイ!(上の娘たちの衣装も意気込みと受け止められます)

 目にしたのは男女ペアの「クイックステップ:飛び跳ねるような踊り」の決勝で、どのペアも思い切り飛んで回るため、何度もぶつかりそうになり「危ない!」と、ヒヤヒヤする場面の連続から、とてもスリリングな「舞い」との印象を受けます。
 映画『Shall we ダンス?:1996年』で、他の組に衝突しペアのドレスを破ってしまう竹中直人の事態は、現実にも起こりうる状況に見えますが、よけ方も腕の見せ所である「イキな競技?」とされると、カッコ良すぎです……

 会場脇で応援する部員には、突然踊り出す人(男女問わず)がいてビックリ! しかも、ペアの相手に限らない印象ですが、それを受けて一緒に踊り出する人が必ずいます。
 なるほど、映画で役所広司と竹中直人がトイレで踊るのは、誇張はあっても現実にあることと、興味深く観察させてもらいました。

 ダンサーたちの姿勢の良さは草刈民代さんの立ち姿のようで、見ていて気持ちいい!
 フロアは暗く動きも速いため、上の写真となりました。


青海(あおみ)南ふ頭公園(Map)

 テレコムセンター裏手のビルで見かけた「海上保安庁海洋情報部」の看板に、思い当たる懐かしさが……
 予想通りそこは、以前海の測量に携わった時分のお得意先「海上保安庁水路部:航海の安全に関する情報提供」が組織替え(2002年)により移転した施設でした。
 以前は築地の朝日新聞隣接地にあり、当時の記憶からは「日産自動車本社ビル」や、「新橋演舞場」界隈の料亭の様子が思い浮かびます。

 震災時に建設中の新庁舎の屋上から出火とあるのは、以前リンクで紹介したYouTube映像の背景に映る黒煙かも知れません(2011年11月移転)。

 右は海洋情報部の建物裏に伸びる、青海南ふ頭公園で行われる撮影会に紛れ込んで撮ったモデルの女性です。
 入口付近のベンチに座る、いかがわしそうな人物が元締め? という「小遣い稼ぎ」的な撮影会に見えます。
 それにしてはカメラマンもモデルも数多くいて、あちこちに移動しながら撮影しています。

 群がるリュックを背負ったオッサンカメラマンになじんでいたのか、モデルさんに「ニコッ!」とされれば、こちらは「キレイに撮ってね♥」と解釈しますから、その勘違いを根拠に勝手に撮らせてもらいました。
 ここへの掲載目的なので遠慮がちに、表情の写らないポジションから撮っていると、隣のおっちゃんに「何でそこから撮ってるの?」とけげんな顔をされます。

 遠めからでも人物撮影は楽しいのですが、上がった写真には不満もあり、もっとガツガツ寄ったドアップの写真を撮りたい欲求が高まってきます。
 そんなモデルさんいませんか?


 上写真1995年完成のテレコムセンター(東京都などが出資の第3セクター法人(株)東京テレポートセンターのビル)は、TOKYO MX(東京メトロポリタンテレビジョン(株))をメインにスタートし、BSデジタルラジオ放送などの発信地でしたが、移転・放送休止により免許は取り消され廃局とされます。

 設立当初からこんな施設が成り立つのか疑問でしたが(同じ地区にTV局が2つあるべきか?)、運営会社は2006年系列2社と共に約3,800億円の負債を抱え倒産します。当然ながら都が尻ぬぐいをするわけで、若い世代に負の遺産を残します。
 大都市においての「第3セクター方式:半官半民で運営が自由な株式会社の設立」選択は、安直に事業を稼働するための抜け道に見えます(三陸鉄道とは意味が違う)。

 もう取り返しはつかないのですが、それを押し進めてきた「団塊世代の論理」に、賠償責任を突きつけるべきと思ったりします。
 年末に選挙らしいので、若い世代の代議士が裕福な年金生活を送る連中に
 「ボチボチ出世払いのつけを払ってもらおうか!」
くらいの意気込みで取り組んでもらわないと、現役(子ども)世代への重荷は増えるばかりと思えてなりません……


追記──若い世代の意欲に期待!(野球国際強化試合 キューバ戦)

 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)3連覇を目指す日本代表は、メジャーリーグ組の相次ぐ不参加表明で暗雲が漂いましたが、キューバとの国際強化試合で国内組の若手がシッカリと結果を残しました。
 これはサッカーを例にするまでもなく、メジャーで活躍するイチローやダルビッシュという確固たる「目標」に向かう気持ちから生み出されたのでしょう。
 ネームバリューではなく「チームワーク」重視の結束力をベースにすれば、海外の強豪とも戦えるし、新たなヒーロー誕生が期待されます!
 心配なのはベンチ奧の「老人ホームか?」と思う面々、では失礼か……

2012/11/12

アニメキャラコスプレの聖地?──青海(あおみ)

2012.10.27【東京都】──「ベイエリアウォーク⑥」
 《ゆりかもめを歩く③ 青海》


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 「ゆりかもめを歩く」としながらも、この日はレインボーブリッジを利用する第二の公共交通「お台場レインボーバス」で向かいます。
 路線は品川と田町ルートがあり、レインボーブリッジを渡り、お台場のメインストリートを走り、二つのホテルを巡回し戻ってきます。

 都営バスはゆりかもめとの競合から橋を渡る路線を設定しないため、km自動車(タクシー会社グループ)が運行し、1時間に1本と不便でも料金の安さは魅力です。
 ゆりかもめ、りんかい線は、巨額の建設費回収のためか運賃はとても高く、距離は短くても300円以上の設定ですが、このバスは200円でたどり着けます。
 一般道の利用と、すき間サービス(品川・田町からお台場は近いのに直行のアクセス手段がない)が好評で、浜松町路線の計画もあるらしい。
 利用後の印象も良く、これまでのお台場は「お出かけ気分」でしたが、気軽に「ちょいとお台場へ」と、敷居が下がった気がします(車内アナウンスはフジテレビアナウンサーが交代で担当)。

 右はお台場の柱が斜めに立つ陸橋で、目にしながらも「テレポートブリッジ」の名は初めて知りました(その柱を垂直に撮ってみたけれど……)。
 ゆりかもめ「お台場海浜公園駅」〜首都高を渡り〜りんかい線「東京テレポート駅」〜パレットタウン手前まで、一般的な陸橋と斜張橋部分が連続して続きます。

※訂正──2012.11.19
 都営バス「虹01:浜松町〜国際展示場」路線は、レインボーブリッジを利用します。


パレットタウン(Map)


 若者向け娯楽施設・ショッピングモールとされるパレットタウンには用事がないため(一度だけトイレを借りる用事が……)、今回初めて内部まで足を踏み入れました。
 ショッピングモールを、テーマパークのように統一的なデザインで提供する先がけ的スポットで、現在も人気は高いようです(1999年オープン)。
 その影響により、各地に中世風のショッピングモールが増えたんでしょうね(大崎ゲートシティ、晴海トリトン、東京競馬場 等々)。

 ここには「ヴィーナスフォート:アウトレットモール」「Zepp Tokyo:ライブスペース」「MEGAWEB:トヨタ自動車ショールーム」「パレットタウン大観覧車(上)」などがあるも、どこもわたしには関係無いなぁ〜。
 ネーミングで驚いたのが「東京レジャーランド:ボーリング場 等」で、その字面からは「サマーランド」ではなく、昭和の雰囲気漂う大宴会場で演歌歌手の歌謡ショーが開かれるラドン温泉のような絵が思い浮かびました……(金沢の会社による運営)

 ゴンドラの中にひとつだけ(右上あたり)金属質なものがあります。足元が見えますなど、悪趣味的サービスという気がします(子どもはよろこぶにしても)。


 ハロウィン直前だったため、施設の広場で仮装した連中が踊っていたりしますが、その集団とは性格を異にする仮装をした若者たちの姿がとても目につきます。
 ヘソ出しルック=『うる星やつら』のラムちゃん、としか思い浮かばないオヤジでも、バスケットボールを抱えていれば『スラムダンク』くらい分かります(古くない?)。

 メイクもバッチリキメて、登場人物の気分に浸って写真を撮り合う連中が、そこら中からわいてきます。アニメキャラコスプレは結構「きてる」らしく、「コスプレ博」なるイベントが毎週各地で開かれるそうです。
 中でもお台場(東京レジャーランド、テレコムセンター)、有明(TFT:東京ファッションタウン、東京ビックサイト)での開催が多いらしく、聖地となりつつあるようです(スペースが広いのでさまざまな絵が撮れます)。
 多くがレフ板(光を反射させ表情を明るくするための幕)持参には驚きました……

 みんなカワイイのですが(不気味なのもいる)、逃避したくなる現実がまん延しているのではないか、と不安を感じさせる「現実の絵」に見えました(上は全員女子と思う)。

 下写真(ザ・タワーズダイバ:マンション)もデーモン小暮の仮装のようで、飾らないと(目立たないと)売れない時代のシンボルのようにも見えます。



 右は現在の江東区有明と同区青海を結ぶ「夢の大橋:歩行者・自転車専用橋で、ロケによく利用される」です。
 かなり前ですが初めて歩いた際に、両岸に「人工的すぎる無機質な親和性(?)」を感じたせいか、どちらも「お台場」のイメージを持っていました。
 自治体側の「東京臨海副都心(国際展示場のある有明を含む)」⊃(含まれる記号)「お台場」という認識を覆すほど、お台場の知名度が高まったせいかも知れません。

 現在のお台場(13号埋立地)は品川区、港区、江東区に区分されますが、その国盗り合戦の根拠は「台場」にありました。
 1854年、2度目のペリー来航前に突貫工事で作られた砲台は「品川台場」と呼ばれ、その後に作られた台場も現在の品川区、港区周辺と深いかかわりがありました。
 江東区は隣接地ゆえ、さまざまな協力の報酬として当然広大な土地を手に入れますが、そんな歴史を背景にした交渉の結果、品川区、港区は狭いながらも領地獲得に成功します。

 現在は、フジテレビ、ホテル、アクアシティなど、おいしいとこ取りした港区の勝ちに見えるも、品川区はこの地に名を刻めたこと、江東区は広大な新しい土地を手にできたという、三区の利益一致から現在のにぎわいが生まれます(本当の発展はこれから!)。
 江東区にとっては、有明と新造成地を結ぶこの橋は「夢」だったのだろうと……


 東京湾岸埋め立ての歴史についての資料を見つけました。
 現在の最前線「中央防波堤埋立処分場」がなぜ、東京都最後の埋め立て地とされるのか、羽田空港の新滑走路はなぜ多摩川河口に作られたのかが、一目で分かるマップがあります(PDFで重いけれど1ページ目なので是非見て!)。
 その資料では、どの構造物もその沖の海底は急深の地形になっています。
 利用しやすい浅瀬をここまで使い果たした東京都はすごいと思うも、これからどうすのだろうか?(頑張って深い海底を埋め立て地にすれば、まだまだいけるって?)

 上写真はテレコムセンター展望台(有料の割には…の施設)から、手前の東京港フェリーターミナル(有明)越しにゲートブリッジを望む。
 東京港の定義はさまざまあれど、これで半分歩いた印象の絵になります。

2012/11/05

防災拠点とは……──有明〜国際展示場正門

2012.10.6・20【東京都】──「ベイエリアウォーク ⑤」
《ゆりかもめを歩く② 有明〜国際展示場正門》


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ゆりかもめ:有明〜国際展示場正門(Map)


 有明駅の隣接地に「有明の丘基幹的広域防災拠点施設(内閣府の管理)」があります。
 大規模災害発生時には司令センターとなるようで、上写真奧の壁面にディスプレーが並でいるも、どこかの本店のように「何とかならんのかね〜!」と地団駄を踏むだけという気もします。

 この施設には、災害で閉じこめられた際、生存の可能性の目安とされる「72時間をどう生き残るか!?」を体験できるプログラムがあります。
 家族で訪れる方が多く、親子で体験するすることはとても大切なことですし、自治体職員のような団体がバスで見学に訪れる施設です。
 まずは、災害現場の状況を理解し、発生が予測される困難への心構えとすべきですが、万全の備えは無理と考え、覚悟の準備が必要という現実的な提言のようです。


 広大な敷地の東京臨海広域防災公園には、オスプレイ以前の大型ヘリコプター7機分の駐機場があり、そこまでが国営公園とされます(上はヘリポート)。
 そこに接する都立公園には、さまざまな支援活動で使用可能な緑地や広場が広がり、敷地外でも隣接の「がん研究会有明病院:先日妹がお世話になった」は災害拠点病院とされ、写真奧の国際展示場は、避難所および物資の集積・配送拠点となりそうです。

 そんな視点でこの地域を見ていなかったので、「確かに機能的」と感心しますが、お偉方がヘリコプターで逃げ込む非難所(避難所ではない)、とされませんように……


 駐車場に全国各地のナンバーをつけた消防車が並ぶ様子に「何事?」と思うも、翌日開催の「全国消防操法大会」に集結し、前日練習が行われています。
 「消防団」の大会なので、皆さん別に仕事を持つ方々のボランティア活動になります。
 ボランティアといえ、大震災では任務により亡くなられた方も多くいます。 
 震災後初めての大会で「全国47都道府県揃い踏み!」のうたい文句には、全国消防団の心意気が込められていると感じます。
 この大会で評価されるのは技術かも知れませんが、そこで表現されるのはそれぞれの郷土愛に違いなく、真剣な姿勢にはさまざまな思い込められることでしょう。
 何といってもおじさんたち(兄ちゃんもいます)がキビキビ動く姿には、「男らしさここにあり!」のカッコ良さがあります(オヤジたちを褒めてあげてよ!)。


 以前、パソコンメーカーとお付き合いがあった時分には(主にアップルさん)、国際展示場(上)にもよく足を運びましたが、いまどきはパソコンからネット端末へと関心はシフトしています。
  パソコン普及期に、それを利用した新しいサービス提供に携わる側(デザイン・出版関連)にはものすごい負荷がありましたが、いまや「指先」でできる時代となりました。
 手軽さは目指すところで、敷居が低くなったおかげで仕事での利用にも抵抗感は少ないようですが、技術的に「何でできないのか」を説明しても、理解しようとしない人が増えたように感じます。


 上は国際展示場裏にある「ゆりかもめ:東京臨海新交通臨海線」の車両基地です。
 訪問時は土曜日の夕方という運行ピークの時間帯ではないのに、車両は数えるほどしかありませんから、あまり車両に余裕は無いのかも知れません。
 全車両無人運転ですから、何か起きた際には「職員の機転」による回避もなく、「運転休止」とされそうで、あまり通勤には使いたくない路線です。

 レインボーブリッジ上で止められたら非常口はあるの? と調べると、震災の際に橋上で緊急停止した車両から芝浦側のループを歩かされる様子を映す動画を見つけました。
 封鎖できないはず(?)のレインボーブリッジで、その事態に対応可能な者はいいですが、あんな通路は歩けないという人々は車内で待ち続けるしかないのでしょう。
 お金って、万が一のために使うものと思いますが、ちょっと難しいのかも……


 これは有明スポーツセンター何だか突然口が開いて「ビックリ ドッキリ メカ!」が出てきそうですが、上部のマカロンのような部分のまん中にあるガラス窓部分は一周できる回廊になっていて、内側は体育館とされこの日は卓球をしています。
  でもその下は何? と調べると、東京都の下水処理施設で、その計画の上に江東区が乗っかったようです。
  技術の進歩でしょう、従来のような屋外の処理プールは不要のようで、隣接の「有明テニスの森」コート地下にも施設があります。 
 上写真左隣には有明清掃工場(1995年完成)があり、埋め立て地というステージで、土地の有効活用+エコな取り組みをアピールするつもりだったようですが、ここにも「想定外」の事態が及ぶことになります……


 埋め立て地にチャペルの鐘が響きます。
 付近に2002年「アニヴェルセル 東京ベイ:結婚式場」、2008年「東京ベイコート倶楽部 ホテル&スパリゾート:上」を誘致します。
 高速道路を隔てるも清掃工場とは隣接しながらGO!を出すには、自治体側の「安全・安心!」の強い説得があったのでしょう。
 しかし2011年の原発事故以降、関東地方の清掃工場には意図的ではないにせよ「放射線を帯びた廃棄物」が集積します。
 寝耳に水の近隣住民たちは放射線量計測を求め、市民レベルでも計測を始めます。
 実際には大きな数値は計測されないにしても、客商売への影響は大きい気がします。
 それゆえ、騒ぐ人の声は大きくても、自治体側の表現は控えめなのかも知れません……


東京港フェリーターミナル(Map)

 20代の時分、オフロードバイクで北海道ツーリングに向かう際、この地からフェリーに乗った記憶があります。
 現在では、東京湾内の速度制限による4時間程度のロスを避けるため、茨城県大洗港から運行されます。
 夜行便なので、当時は明かりも少ない埋め立て地に「こんなところにあるのか?」の不安感を思い出します。
 斜めに架かる橋の記憶があるので、この場所と思いますが、橋を渡った最初の交差点に小さな「奄美・沖縄航路→」の看板を目にし、そちらに誘われます。
 待合所ターミナル的な建物は見当たらず、コンテナ等の荷置き場にしか見えません。
 調べると、運賃25,000円で43時間程度かかるようですから、車両運搬の必要向けの航路のようです。小笠原航路より長いし、食堂も期待できなさそう……

 埠頭周辺の道路はどこも大型車両通行のため広く作られていますが、ターミナル周辺では車両通行よりもシャーシー(大型トレーラーの貨物部分)の仮置き場が求められるようで、道路に仮の柵を設け月極シャーシー駐車場とされます(右)。これごと盗まれることはないのだろうか?

 1997年に建て替えられた東京港フェリーターミナルは現在、徳島〜新門司港航路だけの利用となっています。
 首都圏周辺の高速道路網が整備され、東京湾内通過での4時間程度の時間ロスがサービスのマイナス要素とされるようになったのか、使用料が高いのか、東京港の性格はオールマイティから変わりつつあるようです。


 国際展示場からの帰路選択には水上バス(上は船上より、手前は晴海客船ターミナル)があるため、いっときのリフレッシュに選ぶ事が多かった気がします。
 10月の季節感にそぐわない雲を目にすると、暖気の強い環境になっていることを再認識されられます。

 船が着く日の出桟橋から自宅まで歩いても、20分ちょっとであることにベイエリアの身近さを体で感じます……


追記──山中先生の文化勲章

 iPS細胞研究でノーベル賞を受賞した山中伸弥教授が、文化勲章を受けられました。
 この早い授与決定には大賛成です。同じ場で授与された山田洋次さん方には失礼ですが、山中先生にはさっさとご褒美をあげて、とっとと研究に戻ってもらいたい、という気持ちがあります。
 詳しく分からない人間にも、夢を与えてくれるインパクトがとてもうれしいのです!