2013.2.23【東京都】──「ベイエリアウォーク 22」
より大きな地図で ベイエリアウォーク を表示
天王洲アイル(Map)
今回からレインボーブリッジの南側を、羽田を目指して歩きます。
ですが、最初に訪問予定の東京海洋大学(品川キャンパス)では「入試準備のため関係者以外立ち入りを禁じます」の張り紙に出鼻をくじかれます。
昨年も「大学入試センター試験」で立ち入れず、相性良くないようですがまたの機会に。
タイミングの悪さは重なるようで、天王洲アイル自慢のボードウォークも改修工事中で、見る影もありません。
仕方なく以前撮った右のレストランを……
ここはアメリカンの気取らない雰囲気らしく、土曜のブランチでにぎわう様子もリラックスしています。
この地の名称は、付近の砂州で「牛頭天王(ごずてんのう):京都八坂神社祭神(京都の被写体には品があります)」の面が引き上げられたことに由来します(アイル:isle=小島の意)。
洲とは、沖縄にあるはての浜のような砂の島を指すので「天王洲島」のような意味でしょうか。
右は、ガラスに映り込む対岸の品川ふ頭の倉庫を撮ろうとしたものです。
ビルからのビューでは、足元の倉庫や入国管理局なんて関係ないし、誰も見てないんでしょうね……
付近には虹色の輝きを放つパワースポットが?
これは人道橋の天王洲アイル橋(天王洲公園と東品川海上公園を結ぶ)欄干にあるガラス板を重ねた飾りです。
目黒川の河口付近になります。
下の目黒川水門は2008年にペイントされたもので、確かに目にとまりますから、水門に絵柄禁止等の制限がなければ、大きなキャンバスとして利用できそうです。
ですが、派手な色は使えなかったのかも……
鮫洲周辺(Map)
天王洲から鮫洲に向かう途中にある、りんかい線「品川シーサイド:地下駅」はどの付近にあるか不明で、いつも「遠回りしてない?」の印象がありましたが、京浜急行青物横丁駅のシーサイドにあたります。
「鮫洲」の地名由来には、砂水(さみず)から転じた、鎌倉時代付近で引き上げられた大鮫の腹から観音像が出てきた、などとされます。
サメがいた? には、確かにインパクトがあります。
右は、鮫洲駅近くの八幡神社。
現在は高架ですが、以前は地上駅の記憶があります。
鮫洲運転免許試験場(何度か足を運んだ)に面した勝島運河の土手では、護岸コンクリートに土を盛って(と思う)花壇にする活動が盛んです。
これは「しながわ花海道プロジェクト」とされ、近所の商店街が中心となり、小学校や周辺住民協力により、主に菜の花(写真手前側)を育てる活動で、カメラ背後側にある桜並木と合わせて、春の彩りを楽しもうとする取り組みです。
遊歩道にはベンチも多く設置されるので、対岸の倉庫群から目をそらして、くつろげるスペースを「花海道」としたかったのでしょう。
でも、護岸コンクリートに根が入り込むと強度が弱まるけど大丈夫?
初めて羽田空港から飛行機を利用した1980年代は、バスや車よりも「羽田はモノレール」が定番で利用しましたし、中でも「海の上を走る」光景が印象に残っています。
現在歩く沿線の景色は別世界のように変化する中、上は記憶と一致する光景という気がします。
背景は、品川ふ頭のクレーン、レインボーブリッジ、Tokyo Towers(豊海)。
2013.3.6
東京タワー(Map)
2020年夏季五輪開催地選考の、国際オリンピック委員会による東京の現地調査が、3月4~7日に実施されました。
前回2016年五輪招致活動と比べると、大震災やロンドンオリンピックを経た現在の気運の高まりには、格段の違いがあります 。
選手たちの公約のように「東京招致できたら私は、いずれかの競技会場で日本選手を応援します!」、と小さく宣言します。
五輪招致アンケートの電話があれば「YES!」と答えたいのですが、まだかかってきません……
右写真は3月4~7日に点灯された東京タワーの電飾です。
赤羽橋(芝公園)付近では、携帯端末や三脚で撮影する方の多さに、感心の高さを実感しました(iPhoneでこれなら上等と掲載)。
『WBC準決勝進出確定!』
アメリカ行き確定の表現は、大陸横断ウルトラクイズのようですが、まずはひと息。
本大会日本のエースは前田健太と認められましたが、それでもやはり3連覇への条件には「マー君の完全復活」が必要と思われます。
抜群な仕上がりの投手陣ですが、前回決勝戦のようにエース(ダルビッシュ)のクローザー起用のためには、もうひとり柱となる投手が必要になります。
『大震災から2年』
「2年間で何も進んでいない」印象は、当事者に限らず応援するしかない側にも広がっています。
「一日も早く」と気持ちがはやるのは分かりますが、現実として難しいのであれば支援の側にも、長い期間継続可能な取り組み方があるように思えます。
経済的負担を国や自治体が支援する体制が整っていれば、協力したいと考える方は求人枠を越える数がいると思われます。
ちなみに3月11日の東京タワーは、すべてのライトアップを消し「KIZUNA ARATANI」の文字だけを点灯しています。
東京のシンボルが灯を落とした異様な姿に、「ズドン!」と心を震わされ当時の記憶がよみがえり、あの絶望感を忘れてはならないと涙が出てしまいます……
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天王洲アイル(Map)
今回からレインボーブリッジの南側を、羽田を目指して歩きます。
ですが、最初に訪問予定の東京海洋大学(品川キャンパス)では「入試準備のため関係者以外立ち入りを禁じます」の張り紙に出鼻をくじかれます。
昨年も「大学入試センター試験」で立ち入れず、相性良くないようですがまたの機会に。
タイミングの悪さは重なるようで、天王洲アイル自慢のボードウォークも改修工事中で、見る影もありません。
仕方なく以前撮った右のレストランを……
ここはアメリカンの気取らない雰囲気らしく、土曜のブランチでにぎわう様子もリラックスしています。
この地の名称は、付近の砂州で「牛頭天王(ごずてんのう):京都八坂神社祭神(京都の被写体には品があります)」の面が引き上げられたことに由来します(アイル:isle=小島の意)。
洲とは、沖縄にあるはての浜のような砂の島を指すので「天王洲島」のような意味でしょうか。
右は、ガラスに映り込む対岸の品川ふ頭の倉庫を撮ろうとしたものです。
ビルからのビューでは、足元の倉庫や入国管理局なんて関係ないし、誰も見てないんでしょうね……
付近には虹色の輝きを放つパワースポットが?
これは人道橋の天王洲アイル橋(天王洲公園と東品川海上公園を結ぶ)欄干にあるガラス板を重ねた飾りです。
目黒川の河口付近になります。
下の目黒川水門は2008年にペイントされたもので、確かに目にとまりますから、水門に絵柄禁止等の制限がなければ、大きなキャンバスとして利用できそうです。
ですが、派手な色は使えなかったのかも……
鮫洲周辺(Map)
天王洲から鮫洲に向かう途中にある、りんかい線「品川シーサイド:地下駅」はどの付近にあるか不明で、いつも「遠回りしてない?」の印象がありましたが、京浜急行青物横丁駅のシーサイドにあたります。
「鮫洲」の地名由来には、砂水(さみず)から転じた、鎌倉時代付近で引き上げられた大鮫の腹から観音像が出てきた、などとされます。
サメがいた? には、確かにインパクトがあります。
右は、鮫洲駅近くの八幡神社。
現在は高架ですが、以前は地上駅の記憶があります。
鮫洲運転免許試験場(何度か足を運んだ)に面した勝島運河の土手では、護岸コンクリートに土を盛って(と思う)花壇にする活動が盛んです。
これは「しながわ花海道プロジェクト」とされ、近所の商店街が中心となり、小学校や周辺住民協力により、主に菜の花(写真手前側)を育てる活動で、カメラ背後側にある桜並木と合わせて、春の彩りを楽しもうとする取り組みです。
遊歩道にはベンチも多く設置されるので、対岸の倉庫群から目をそらして、くつろげるスペースを「花海道」としたかったのでしょう。
でも、護岸コンクリートに根が入り込むと強度が弱まるけど大丈夫?
初めて羽田空港から飛行機を利用した1980年代は、バスや車よりも「羽田はモノレール」が定番で利用しましたし、中でも「海の上を走る」光景が印象に残っています。
現在歩く沿線の景色は別世界のように変化する中、上は記憶と一致する光景という気がします。
背景は、品川ふ頭のクレーン、レインボーブリッジ、Tokyo Towers(豊海)。
2013.3.6
東京タワー(Map)
2020年夏季五輪開催地選考の、国際オリンピック委員会による東京の現地調査が、3月4~7日に実施されました。
前回2016年五輪招致活動と比べると、大震災やロンドンオリンピックを経た現在の気運の高まりには、格段の違いがあります 。
選手たちの公約のように「東京招致できたら私は、いずれかの競技会場で日本選手を応援します!」、と小さく宣言します。
五輪招致アンケートの電話があれば「YES!」と答えたいのですが、まだかかってきません……
右写真は3月4~7日に点灯された東京タワーの電飾です。
赤羽橋(芝公園)付近では、携帯端末や三脚で撮影する方の多さに、感心の高さを実感しました(iPhoneでこれなら上等と掲載)。
『WBC準決勝進出確定!』
アメリカ行き確定の表現は、大陸横断ウルトラクイズのようですが、まずはひと息。
本大会日本のエースは前田健太と認められましたが、それでもやはり3連覇への条件には「マー君の完全復活」が必要と思われます。
抜群な仕上がりの投手陣ですが、前回決勝戦のようにエース(ダルビッシュ)のクローザー起用のためには、もうひとり柱となる投手が必要になります。
『大震災から2年』
「2年間で何も進んでいない」印象は、当事者に限らず応援するしかない側にも広がっています。
「一日も早く」と気持ちがはやるのは分かりますが、現実として難しいのであれば支援の側にも、長い期間継続可能な取り組み方があるように思えます。
経済的負担を国や自治体が支援する体制が整っていれば、協力したいと考える方は求人枠を越える数がいると思われます。
ちなみに3月11日の東京タワーは、すべてのライトアップを消し「KIZUNA ARATANI」の文字だけを点灯しています。
東京のシンボルが灯を落とした異様な姿に、「ズドン!」と心を震わされ当時の記憶がよみがえり、あの絶望感を忘れてはならないと涙が出てしまいます……
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