2016/04/25

狭さは文化を生むが……──青山〜広尾

2016.4.9【東京都】──「渋谷川水系を歩く_7」 いもり川

 今回は、青山学院大学付近を水源とし広尾で渋谷川に合流する、旧いもり川沿いを歩きます。想像通りイモリが多かったらしいも、小規模にしては急峻な谷を削り込みます。





 NHK天気予報の背景とされる東京タワー方面の夜景で、下方に輝く寺院のような建物はこの施設らしい。
 結婚式・披露宴会場が勝手に大聖堂と名乗ろうが、教会側は「お好きなように」なのか?
 遠くから見下ろす夜景に存在感はあっても、表参道に近い立地では、全体像を見渡せるスペースがありません。
 近ごろブライダル施設をよくのぞきますが(式場を探しているわけではない)、やはり椿山荘のような庭があった方が落ち着けるのではないか、と。



 デザイナーズマンションとされる建物で、手の込んだ外見は目を引きますが、飛び出たベランダがひと部屋分では狭いし、部屋に複数のベランダがあっても使いづらいように見えます。
 リンク先の内部はしゃれていて、気分の高揚感も理解できるが、昭和49年建設のため風呂はユニットバス……
 設計・施工側都合の発明品(?)としても、彼らの使用感が「こりゃ便利!」だったとは思えません。
 狭くてもバブルバスができると思ったのか?


青山学院大学

 近ごろ青山学院の自慢は箱根駅伝2年連続優勝なので、レンガの外壁に貼られる陸上部の長〜いポスターに「来年も?」と目が止まります。
 原 晋(すすむ)陸上部監督が語る「メンタル」「体幹」強化の重要性は、近ごろよく耳にするテーマで各校も取り組むと思うが、ぶっちぎりの強さを生み出した指導法には、これまでの体育会系に欠けていた「繊細さ」があったのかも知れません。
 学内には、渋谷川水系「いもり川」の水源がありましたが、正門前の国道246号線付近は原宿側(旧穏田川)との分水嶺ですから、高台の狭い様子がうかがえます。

 青山の地名は、徳川家重臣の青山家屋敷によるもので、明治維新後に農業試験場とされた地に、美會(みかい)神学校、東京英学校等のミッション系学校が開かれ、その後の合併で青山学院となります。




 こどもの城は、1979年の国際児童年(ゴダイゴ『ビューティフル・ネーム』の時代 リンク先はYouTube)に計画され1985年開館した、日本唯一の国立総合児童センターで、旧都電青山車庫〜都バス車庫跡地に建設されたが、施設老朽化のため2015年に閉館します。
 施設内の青山劇場、青山円形劇場の催しは多かったようだが、同敷地の国際連合大学等は維持されても、この施設は閉鎖されます。運営の行き詰まりや耐震化の問題としても、当初「児童の健全な育成目的」とされた施設は、少子化の現在にこそ必要ではないのか?
 岡本太郎による無邪気な『こどもの樹』(上)は、どうしましょう?


いもり川跡

 左側のいもり川筋の道と、右側の広尾高級住宅街から下る道が交差する地に、川っぷちの土地利用に腐心した建物が残ります。正面の幅は2m程度と思われ、室内で生活する姿が想像できません。

 少し上流には以前、将棋・囲碁の名人戦が行なわれた羽澤ガーデン(宴会施設)がありましたが、2005年営業終了後は高級そうなマンションとなります。
 実家近所の、最後まで勤めた板長さん(妹の友人の父親:妹は元気にしています)から、毎年年末に豪華な刺身のちらし寿司を分けをいただき、おいしかったことを思い出します(玉子焼きはため息の出るおいしさだった!)。




 遠目からも大きく見えた足場は、お堂の建設現場でした。
 お堂の威厳には、屋根頂上部の高さ、裾の広い姿が求められるため、全体を囲う足場は「ビルを建てるの?」という規模に見えます。
 以前暮らした川崎で目にした建て替え工事で、柱を組む作業がはかどらないのは、古い柱の再利用に気を使っているためでは? と感じたことがあります。
 おそらく建て替えのたびに繰り返された配慮(可能な限り歴史あるものを残そうとする姿勢)こそ、エコ(信仰)の原点ではないかと……


 いもり川が渋谷川と合流する付近に、臨川(りんせん)小学校があります(渋谷川に面した地名だったらしい)。
 渋谷方面では渋谷小学校(渋谷駅前)、千駄ヶ谷小学校(鳩森八幡神社隣)に次ぐ歴史があり、集落は川沿いに発達したため、川近くに学び舎が建てられたようです。
 上は、広尾付近の焼き肉店の外装。


追記──スターの必要性

 3大陸対抗団体戦で宇野昌磨(18)が、国際スケート連盟公認大会で史上初の4回転フリップ(着氷時のスケーティングレッグとは逆脚のバックインエッジにのって後向きに踏み切るトウジャンプ)に成功しました。素人にはどれだけすごいか分からないが、きっと目標とする羽生結弦(22)の存在が、大きな刺激となったのでしょう。
 卓球女子の石川佳純と福原 愛の関係もしかりで、各競技をリードする存在が出てくれば、若手は彼らを目標にしますから、ポジティブなスパイラルから未来が開けます。
 スター(先駆者)をどう生み出せば? と関係者は腐心しているのに、先輩がスター候補を賭博に誘うような競技の夜明けは、まだ先となりそうです……

2016/04/18

再開発しても広くならない──渋谷〜恵比寿

2016.3.26【東京都】──「渋谷川水系を歩く_6」 渋谷川

 渋谷駅の南で姿を現す渋谷川は、コンクリートで覆われる狭い河床のため、下水網が整備された地域とはいえ、洪水の不安は消えません。
 現在渋谷川は、渋谷駅付近の宮益橋から天現寺橋までの区間(2.6km)とされます 。




旧東急東横線渋谷駅、東急東横店東館(東横のれん街)付近の工事現場


 上は、前回ヒカリエから眺めた渋谷駅再開発工事現場の近景で、「平成37年完成予定」の看板を目にした瞬間、駅の姿は二の次にして、その頃の自分はどうなっているのかと、遠い未来に思いを馳せてしまいます。
 これまで駅ビル(東急東横店)の地下を通っていた渋谷川は、流路変更+地下貯水槽が設置されますが、右手バスロータリーの地下には現在の東急東横線渋谷駅があるため、地下の構造物も隙間なく設置されるらしい。
 新設された東横線地下ホームが以前と同様狭いように、再開発しても土地は広くなりませんから、地上も地下も窮屈な渋谷らしさは変わらないようです。


 国道246号線上に残る東横線高架橋(上)は、歩行者用横断デッキに整備されるそう。
 軌道跡の間にあったホームの狭さに改めて驚き、「渋滞するのも当然」と、往時の窮屈さがよみがえります。
 渋谷駅の改札口は最後尾と中程にあるため、混雑を避けようと先頭車両まで歩けば楽に乗れましたし、座れることもありました。また、殺人的混雑との評判も、通勤時間が遅いせいもあるが、渋谷行きの最後尾車両はそれほどでもなかった印象があります。
 東横線沿線暮らしの魅力は「横浜が近い!」「鎌倉・江ノ島に行きやすい」で、転居後は足を運ぶ機会が減ったことからも、その有利さを実感します 。


 東横線渋谷駅と山手線を挟んだ反対側には、予備校や専門学校が並ぶ様子は見えても、線路際の壁が落書きだらけとは想像できません。
 落書きの様子を目にし、「犬のマーキング」を想起しました。ライバルのにおいを消すことができない犬は、自己主張であるにおいの上塗りを繰り返すため、電柱に染み付いた様々な主張を視覚化すると、こんなイメージなのではないか?
 気に入らないと、落書きを重ねるやからに「犬畜生にも劣る」と忠告したい。




 金王八幡宮の「金王桜」は長州緋桜という種で、雄しべが花弁化した八重が混在する花ながら、「八重といってもこの程度なんですよ」と神職さんが説明してくれます。
 桜の花見は平安時代の京都に始まり(以前は梅 等)、競うように各地の桜が集められたため、現在も京都では多くの種類の桜を見ることができます。
 満開の下で「森を見て花を見ず」に狂うのではなく、いくつかでも種類を覚えて桜を愛でるべきと感じたりします。


渋谷川沿いの景色


 東横線の線路が撤去された渋谷川沿いで、車窓から目にしたビル(SANSUI:釣具店の看板や、非常階段が喫煙所だったビル等)の様子を懐かしく見上げます。
 軌道撤去、跡地整備も終わった並木橋付近に残る支柱は、再利用されるのか?
 撤去後の景色で大きく変わったのが、代官山に向かい大きくカーブする地に建つため、東横線の制限から遠慮気味な印象のあった、清掃工場と敷地沿いの道路付近。
 線路の無い現在建設すれば様子も変わったでしょうが、それが東横線の痕跡として残されれば、記憶の拠り所となりそうです。


恵比寿横丁

 JR恵比寿駅東側に残る大黒ビル(1959年築)1Fの「恵比寿ストア」では、古くからの店主と建物の寿命競争という印象を受けます(店主の高齢化からシャッター街になりつつあるが、建て替えも迫ってそう)。
 その先にあるレトロな雰囲気の「恵比寿横丁」(右)には英語のホームページもあり、外国人観光客にも受けていそう(収入源?)。
 恵比寿のルーツは、渋谷川沿いの庶民の営みにあったが、西・南側丘陵地の代官山・中目黒・ガーデンプレイスの影響により、オシャレな町とのレッテルを貼られてしまったようです(恵比寿ラーメンなんて遠い過去……)。


NADiff a/p/a/r/t となりの第7美晴荘


 上は「NADiff a/p/a/r/t」(現代美術中心の書籍やアートグッズを扱う店舗、ギャラリー、喫茶・スナックなどが入居する施設)に隣接する第7美晴荘。
 道案内の看板に「←NADiff、第7美晴荘」とあるので関係があるのかと思いきや、単なるとなりのアパート(独居老人が暮らす)らしい。
 NADiffの紹介とおぼしきページでは、わたし同様NADiffではなく第7美晴荘の写真を掲載するページが多いことに驚きます。加えて写真も、階段と窓辺の植物を撮った上と同じアングルであることには、笑っちゃいます。
 もう一歩工夫しなければいけませんね……


追記──「わかりません」の説明がわかりやすかった、気象庁の対応

 最初の震度7の地震を受け、これ以上の地震は発生しないと思い込んだ経験不足が、被害を大きくしたのではないか? の自問もあり、気象庁の率直な対応に誠意を感じました。
 研究とは試行錯誤の積み重ねによるため、間違う場合が多いことも確かだが、初めての現象に接した際に、無力さを素直に認める姿勢は大切なことで、「わかりません」の説明は、国民に真意が伝わりやすかったと感じます。
 今回の現象は非常に大きな研究テーマなので、この貴重な経験を生かして解明の糸口を見いだしてもらいたいと願うも、自然はそれほど甘いものではありません。
 ともかく早期の地震収束を祈り、復旧・復興活動を応援することが最優先です。

2016/04/11

狭い場所が落ち着く?──渋谷

2016.3.20【東京都】──「渋谷川水系を歩く_5」

 渋谷の町は、旧穏田(おんでん)川や旧宇田川が流れ込む谷筋に発展し、谷底にある駅からあふれる出る人の流れは、鉄道を供給源とする湧水のよう…… などと、近ごろ縁遠くなった町を歩きました。






 原宿駅前の歩道橋で耳にした「路上でのダンスは禁じられています!」(代々木公園入口付近で踊る連中への警告)の響きから、竹の子族であふれていた時分の懐かしい「におい」がよみがえります(当時は歩行者天国だった)。
 体育館のコンサートに若い女性が群れる様子は、以前と変わらないように見えても世代交代しており、わたしも若者エリアから足が遠のくのも当然と。ここで、ブルース・スプリングスティーン、ドゥービー・ブラザーズを観た! ですから……

 いつ見ても曲線美にほれぼれする代々木第一・第二体育館は、広島平和記念資料館東京カテドラル聖マリア大聖堂を設計した丹下健三によるもの。



 この日のメインイベント「アイラブアイルランド・フェスティバル2016」で、グリーンを身につける姿を多く目にするも、手前の「タイミュージック グラミーアワード フェスティバル2016」(右)に引っ掛かります。
 肝の据わったふるまいや、浅草サンバカーニバルのように「わたしを見て!」と体を張る高揚感は、「巫女:神に仕える女性」の精神性に近いようにも感じます。
 日本人は「パッと咲いて、パッと散るイベント」と誘われると、結構乗りやすいかも知れません。


円山町、道玄坂


 ミニシアター「ユーロスペース」(上)が、客層の異なるライブハウスが並ぶ円山町に移転したのは、物件の選択によるためか? 看板(『リップヴァンウィンクルの花嫁』の黒木華)のおかげで魅力的なたたずまいに見えます。
 わたしが渋谷に通い始めたのは1980代後半のミニシアター全盛期からで、「ユーロスペース:アッバス・キアロスタミ」、「シネマライズ(閉館):レオス・カラックス」、「ル・シネマクシシュトフ・キェシロフスキ」等々が公開された時分。
 近ごろはシネマコンプレックスでミニシアター系作品が上映されるため、かつてのサブカルチャー的な存在感は失われました(新宿「シネマスクエアとうきゅう」、六本木「シネ・ヴィヴァン・六本木」も閉館)。往時の上映リストを眺めながら飲みますか……

 繁華街は表と裏の共存で成り立ち、裏の存在は男女の意識下に刺激をもたらしますが、近ごろは父親に代わり「こんな場所でデートするんじゃない!」と、いらぬ世話をやきたいと思ったりも……
 そんな場所でのドキドキ感は当事者にしか分からないので、いい経験となることを。

 繁華街での競争は激しく、目先を変えるリニューアルや、店の入れ替わりも頻繁なため、目的の店が無く途方に暮れる人をよく見かけますが、その多くは「記憶違い」ではないか?  「あったはずなんだよ!」が、あったのか、元々なかったのかはどうでもよくなり、「とりあえず入るか」に追い込む集客力が、繁華街の作戦と言えそうですが、飲屋街へ足を踏み入れた瞬間に、のどから手が出てしまうわたしは、格好のカモです。




 故 松田優作のTVドラマ『探偵物語(リンク先はYoutube):1979年』の、壁画の建物は建て替えられますが、店舗の裏側にラッピングする演出(上)や、TOKYO FM「スペイン坂スタジオ」公開生放送での集客など、変わらぬ仕掛け屋精神に感心します。
 PARCO一号店は池袋店(1969年)で、渋谷出店(1973年)から注目されるようになりますが、その時分の渋谷は、坂に囲まれ商業集積地に適さないとの評価だったらしい。
 当時のニューヨーク ハドソン川をスーツ姿で泳ぐ内田裕也のCM(リンク先はYoutube)は記憶にあります。ビル建て替えのため、2016年8月で一時休業とのこと。


旧隠田川・旧宇田川合流地(のんべい横町)

 前回の春の小川(旧河骨川:こうほねがわ)と合流した旧宇田川は、宇田川交番脇〜西武渋谷店の間を抜け、のんべい横町付近で渋谷川本流の旧隠田川に合流します。
 混雑する西武前交差点に近いも付近が閑散とするのは、渋谷川沿いの整備計画(1964年東京オリンピックの際に宮下公園を高架化:どぶ川を暗きょ化したかった)が、都市計画を無視して進められたためではないか(それゆえ、のんべい横町が安泰なのでは?)。
 付近は渋谷のエアポケットのようで、下側の黒い服の女性はスマホ片手に落ち着いちゃっています。




 初めて入った印象は、建物に奥行きはあるが横幅は狭い京都の「町屋」的というもの。
 平坦地が限られ土地の確保が難しい町では、上空利用しか活路が無いため、どこも井の頭線の駅ビルマークシティのような再開発となりそうです。
 駅周辺に数棟建つ予定の高層ビルも、フロア面積が限られ大企業の誘致は難しそうなので、小・中規模のベンチャー企業を誘致し「渋谷ビットバレー(BitValley)」の拡大を目指すことになるのか?(既にあやしい会社も多いが)
 それにしても、これ以上人が増えたら町を歩けなくなりそうです……


追記──「パナマ文書」でお仕置きを!

 世界各国の政府関係者が、タックスヘイブン(租税回避地)を利用し課税を逃れてきた実態があばかれつつあります。
 税金で養われている政府関係者が、税金を取られたくないならば、無給で働かせればいいが、税金は「引かれるもの」と課せられたサラリーマンが働かなくなれば、国は立ち行かなくなるため、どれほどの罰なら国民は納得するか? となるのでしょう。


追記──北島康介の背中

 5大会連続となるリオ五輪出場を目指すも国内の決勝で敗退しました。
 「レベル高けぇ〜」の言葉通り、彼を目標とした若手は、彼の想像を越えた強さで「北島康介の背中」追い越し、彼に感謝したのではないか。
 燃え尽きるまで、挑み続ける姿を見せてくれたことに、拍手を送りたい。
 貴方の背中は、頼もしい後輩を育ててくれました……

2016/04/04

花見は人見──馬事公苑、砧公園

2016.4.2【東京都】──世田谷の桜

 近ごろ旧河川跡の谷筋を歩くせいか、広い場所で花見をしたい! と、砧(きぬた)公園+「最後の桜まつり」となる馬事公苑を歩きました。




 ここは、幻の1940年東京オリンピックに向け開設されますが、日中戦争の影響で開催中止となり、1964年東京オリンピックでようやく日の目を見ました。
 2020年東京オリンピック・パラリンピックでも馬術競技会場に選定され、来年からの改修工事に伴い休苑となるため、現状施設での「桜まつり」は最後になります。
 休苑中は、リニューアルした東京競馬場(府中)「乗馬センター」を拠点とするようです。

 競馬場並みに整備された下のグラスアリーナでは、種まきから芝を育てるらしい(芝って種があるんだ…)。


 右のような直線走路を前にすると、前世は馬? のように駆け出したくなるやからもいそうです、
 ゴールデンウイークには、グラスアリーナで子どもとポニーの競争イベントがありますが、初めて見る方はポニーの走りの速さに驚くのではないか。

 豊臣秀吉が大型の西洋馬を目にし、在来馬(木曽馬等)はすべてポニー(小型種)と知って以来、西洋馬輸入が盛んになります。
 明治時代の富国強兵に伴い、在来馬の大型化が使命とされたため、絶滅に至った在来種もあります。




 人出の多い公園では雰囲気に舞い上がり、桜の森の満開の下で「狂う?」やからを目にしますが、そんな姿に春らしさを感じるわれわれも、浮かれているようです。
 普段の酔っ払いはうっとうしく、蹴飛ばしても分からないだろうと思うも、花見の気分の良さは理解できるため、迷惑が及ばなければ楽しく眺めていられます。
 都市部で暮らす者は、収穫の秋を迎えるよろこびを実感できないため、町でも感じられる桜の満開を、「祭り」として体現したくなるのかも知れません。
 全員が名札をつけた集団は「花見 de 合コン」らしいが、盛り上がり過ぎて失敗するヤツの方が多いんだろうなぁ、とも……



2016.4.3【東京都】──皇居乾通り一般公開

 満開に合わせ期間延長と耳にし、話のタネにと行列覚悟で足を運びました。



 坂下門から入場なのに、列が二重橋前から始まる様子にビビりましたが、渋滞は手荷物検査場付近だけで、人の多さにしてはスムーズに流れた印象があります。
 一般公開は2014年天皇80歳の傘寿記念で開催され、好評のため毎年春・秋の行事となります。
 国民への還元としても、皇居の警備には経費がかさみそうと感じるが、そこは、天皇が他で削減した予算を当てる配慮をしてくれたのではないか? とも……(京都御所も期間限定で公開される
 普段入れない場所ではあるが、皇居の桜が特に美しいわけではない、というレポートになります。



追記──NHK連続テレビ小説『あさが来た』終了

  本作が好評だったのは、脚本の見事さによるのでしょう。
 タイトルの「あさ」は、明治維新による「日本の夜明け」に重なり、福沢諭吉「学問 のすゝめ」等により男女同権への展望から、女性教育の「黎明期」に通じます。
 メインテーマの「日本初の女子大学設立」では、これまで主人公の生き様を受け止めてきた視聴者側に、「この先はあなたが描いて!」と託そうとする姿勢に感心しました。
 学が無いとされる主人公(波留)が関西流の軽妙な物語で、西川きよしばりのギョロ目で「びっくりぽんや!」と、ドタバタしたことも受けたのか(わたしはNG)。
 「死なせないで!」の投書が殺到したらしい、宮﨑あおい(姉役で「はつ と あさの物語」としても成立する)、ディーン・フジオカ(五代様役には維新への夢が詰まっていた)を始め、玉木宏、近藤正臣、風吹ジュン、柄本 佑 等々…、皆さん魅力的でした。
 同じ幕末〜明治維新を描いた、昨年の大河ドラマ『花燃ゆ』には訪れなかった「祝福」が、本作にはふりそそいだように感じます。