2017/05/29

意識は時代とともに──羽田空港

2017.5.14【東京都】──「呑川(のみかわ)を歩く_12」(おまけ)

 「空旅」はご無沙汰なので、きっかけでもないかと羽田空港へ足を運びましたが、誘われることもなく飛行機を眺めるだけに……



 皿回し体験コーナーでは、明暗から様々な表情が見られます。EDO MARKET PLACEは江戸情緒を演出する施設ですが、楽しんでいるのは日本の子どもだけ(国内宣伝)のようにも。

 以前成田空港で、構内アナウンス順序が日本語〜英語なのは当然かと受け止めましたが、現在羽田の中国便案内アナウンスが、中国語〜英語〜日本語の順であることを、違和感なく受け止めています。
 爆買いは下火となりましたが、土産物を詰め替える段ボールは提供されるらしく(下)、箱単位で追加料金を意識させる作戦が定着したようにも。




 拡張前の羽田空港は現在の半分以下の面積で、ターミナルは現在の国際線ターミナル西側にあり、浜松町からのモノレール所要時間も短いものでした。
 1978年開港の成田空港へ国際線が移転後、国内線の需要増や騒音対策のため、沖合の埋め立て地に滑走路が拡張され、1993年国内線第1旅客ターミナルが開業します。
 埋め立て地は大田区に組み込まれたため、23区最大の面積となりましたが、中央防波堤外側埋立地の領土問題(vs 江東区)(リンク先Youtube)やいかに?

 モノレール、京急線の到着フロアにあるフードコート等を目にし、早朝便利用が多く「とりあえずメシにありつければOK!」という慌ただしい旅立ちを思い出します(中央エスカレーター脇の銀座ライオンも健在)。
 そんな出発時は展望デッキ(右は当時なかった第2を望む)に上る余裕はないので、今回初めてか?

 ANAを利用するようになったのは、1982年初めて飛行機に乗る数日前、羽田沖にJAL機が逆噴射で墜落したことが焼き付いたためか(ANAは第2に移転)。



 2004年開業当初は、片翼だけの狭い印象でしたが、2010年南ピアの開業により両翼を広げた姿となります。
 気合い入り過ぎの第1(2017年髙島屋、大丸が閉店)に比べると肩の力が抜けた印象を受けますが、それでもゴージャスな施設といえます。

 こちらでも「とりあえず朝メシ!」が最重要課題で、当初は和食屋で「納豆定食」を食べホッとしたが、値段が高いため蒲田の乗り換え時(JR蒲田駅〜京急蒲田駅)に済ませるように。
 そこから蒲田への親近感が生まれた気がします。


 奥は東京湾ですが、海を見渡せるロケーションには旅情が感じられるようで、見学者数も第1とは格段の差があります(第1の展望デッキは陸側を向いている)。
 かなり前ですが、マイレージでもらった旅行バッグを使用中に、手荷物受け取りのコンベアーで同じバッグを見かけ「こりゃマズい!」と思った、ANAの回し者です。
 下は、一人旅の子どもを親に届ける様子らしい。


 早朝フライトの機内は、睡眠時間と見積もっていましたが、気圧の関係か口を開いて寝ることが多く、ノドがカラカラで目覚めます。CAさんにお願いするより、手元のペット飲料をグビグビ飲みたいので必ず持ち込むように。CA前の座席は足を伸ばせるので、よく利用しましたが、大口を開いた寝顔を見られていたことになります……

 まだ飛行機で行きたい場所はありますが(「伊良部大橋」への宮古島便は大混雑らしい)、きっかけが見つからない状況に変化はありませんでした。


追記──宮里 藍ちゃん引退

 「ティダ:沖縄の方言で太陽」のような明るい娘で、勝てなかった試合のインタビューでもきちんと答えてくれる姿を応援していました。
 初めて海外で優勝した際の映像は覚えているし、当時の感動がよみがえってきます。
 トップアスリートの決断なので周囲がとやかく言えませんし、精一杯やった上での判断に拍手を送ります。
 今後の活躍を期待しています!


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