2017/07/17

自然の恵みで遊んだ記憶──玉川

2017.7.1【東京都】──「丸子川を歩く_1」

 元の丸子川は仙川に流れ込む短い支流でしたが、六郷用水(世田谷区狛江〜大田区大森・蒲田方面に分流)に仙川の水が流されるようになり、丸子川とされました。




 ここは、三菱財閥2代総帥 岩崎弥之助・4代総帥 小弥太父子の、古典・古美術コレクションを収蔵・展示する施設で、年配女性の見学者が途切れません。
 弥之助墓地の隣接地に建設されたもので、財力を得た者は、展望のいい(富士山を臨む)国分寺崖線の縁に墓を建て、古墳のような権威を示したいと考えたのか?
 ですが、そのおかげで一帯の森が維持され、現在も斜面から湧水が見られるので、地域の財産が守られているともいえそうです。
 付近で、前回までの谷戸川が丸子川に合流します。




 実業家・政治家であった小坂順造の別邸で、国分寺崖線沿いに並んだ近代別邸建築の中で、唯一現存するものらしい。
 現在も崖上からの眺めは人気らしく、いまどき大邸宅は無理でも、崖にへばりつくような建物が多く見受けられます。眺めはよくても傾斜が急なので、暮らしやすそうには見えません……



 1980年丸子川沿いに開設された施設で、崖上の住宅足下に位置するも、湧水に恵まれた場所柄こそふさわしいと。
 古民家では七夕飾りを作る催しが開かれており、子どもたちが行事に親しむには絶好の環境に思えます。
 今年の七夕はめずらしく晴天でしたから、多摩川沿いなら星も見えそう(?)ですし、願いは届いたのではないか。
 老人会? のようにお年寄りが集まるのは、古民家周辺の情緒が落ち着ける場所なのだろうと。

 以前竹は生活に身近な存在で、食用の竹の子や、細工しやすい木材として欠かせないものでした。雨樋は腐りやすくても、成長の早い竹が身近にあればすぐに修繕できます。

 敷地内でU字型の瓦をつないだ排水路を目にし、父の実家でも庭の井戸をそんな排水路で流しており、笹舟を浮かべ追いかけた情景を思い出しました。
 井戸水は自然の恵みとの認識のためか、遊びでいくら流しても文句を言われない時代でした。




 1969年横浜髙島屋の支店として開店し、日本で初めての郊外型デパートとして注目されます。地元は冒険的な出店を歓迎するも、とまどったのではないか? 現在も庶民の住宅地に身近すぎる高級店に、ギャップを感じる場所があります。
 以前入った際の印象は、飲食店を含めてオヤジの居場所はない、とのものでした。


 以前耕地だった周辺の宅地開発は活発なれど、道路は現在も狭いままです。
 それでも、自家用車で買い物へ行くこと=渋滞に参加することは、ステータスとして譲れない心情があるようです。
 現在も丸子川沿いの道は「すれ違えない抜け道」のため、歩行者が渋滞する車の隙間を抜けるなど気を使ったりします。
 髙島屋裏を通る東名高速ギリギリまで駐車場が建設されても(上)、入場渋滞がネックとなるため周辺に車があふれますし、わたしには辛抱できないだろうと……


追記──カビが生える間もない季節に……

 以前は、ジトジト降る雨と、どんよりとした空模様によって「カビが生えそう」な、湿潤な空気が停滞していましたが、近ごろは局地的な豪雨が多発するため、対策どころではなく試練の季節と化しました。
 急な豪雨に対抗する術はありませんが、予報技術は格段に高まっているので、ちゅうちょせず早めに逃げるしかありません。
 都市部でも、逃げ場や手段をシュミレーションしておく必要がありそうです。

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