2017/08/21

東京と神奈川の違い──多摩川台公園

2017.8.13【東京都】──「丸子川を歩く_5」

 以前、田園調布周辺の高台には複数の湧水があったようですが、住宅街整備の際に下水とされたようで、現在は単なる谷間の道路に。



田園調布

 田園調布の地位が揺ぎないのは、渋沢栄一が田園都市開発を目指し設立した、田園都市株式会社の鉄道部門が東京急行電鉄の始まりとされるため、東急がシンボルとして支えるためでしょう。
 東五反田周辺の高級住宅街の閉鎖的な印象(個人宅の監視カメラだらけ)と比べると、「町は文化」というプライドのおかげか、部外者も散策を楽しめる町のように(SECOMが守っている?)。
 丘陵地の暮らし=坂のある町を楽しむゆとりとしても、わたしは平坦地(庶民の町)の方が暮らしやすいと。




 古墳群のある高台は上水道施設に最適なため、1918年(大正7年)荏原水道組合が浄水場を建設します。32年東京市への編入以前は、地域で上水道施設を管理していました(35年東京市が組合を買収)。
 右は、旧沈殿池・ろ過池跡を生かした公園ですが(現在地下貯水場に水生植物園の水を貯水)、当時は学校のプール程度の施設でまかなえる世帯数だったのか?

 一帯はシンボリックな高台ですから、古墳に埋葬された方はかなりの権力者だったようです。



 神社の展望台や、東急線の車窓から見事な富士山が見えましたが、近ごろの武蔵小杉高層ビル群はじゃましてないですよね?(この日は視界不良で確認できず)
 富士山を信仰する神社のため、右の参道は富士塚のような疑似登山道とされます。
 北条政子に始まったとされる信仰を重要と考えたようで、古墳の上に神社が建てられました。

 以前から古墳は、副葬品が盗掘される事例が多い上、付近の丘陵地は利用価値が高いこともあり、粗末な扱いを受けたように見えます。

 門前にあるバラックのような釣具屋は、まさに昭和遺産! 取水堰付近に(最後の写真)魚が滞留するためか、商売できる程度の需要はあるらしい。
 以前付近で釣り竿を抱えた故 立川談志氏を見かけました。釣り好きらしいも職業柄、庶民の生活感リサーチの場としては最適な環境に思えます。

 旧六郷用水のうち、丸子川とされる流れは付近で多摩川に合流します。下は付近に残る当時の施設。
 その下流、中原街道の先から旧六郷用水沿いに、せせらぎと遊歩道が整備されています。


 多摩川を境に接する東京都と神奈川県では、岸辺の利用方針に違いが見て取れます。
 東京都にとって多摩川は、水資源・運動場の確保に欠かせない存在なので、有効活用が求められます。
 一方、神奈川県の水源は丹沢や相模川ですし、近くの等々力緑地にグラウンドがあるので、河川敷運動場は整備費を削減する分ハードルを下げ、自由に利用できる広場としたいようです。
 堤の上に道路を通した東京より、歩道が整備されている神奈川の方が散策も楽しく、岸辺にゆとりが感じられるのは仕方ないのでしょう(右は神奈川県側)。

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