2017/12/11

落ち着ける水辺──小松川境川親水公園

2017.11.25【東京都】──江戸川区探訪_6

 近ごろ散策に向かう際、バスで都営新宿線 船堀駅方面へ向かうことが多いため、駅の周辺になじんできた印象があります。



 部屋の玄関前から見えるタワーのような姿は、船堀駅前にそびえるこの建物でした。
 水辺都市江戸川区民の「乗合船」をコンセプトに1999年開業し、コンベンション機能(会議室)、アミューズメント機能(ホール施設、映画館)、ブライダル機能(マツヤサロン)、江戸川区医師会 医療検査センターがあり、江戸川区のシンボルとされます。
 実家方面(東京の西側)では、町田・厚木にありそうな施設で、駅に出るまで時間のかかる地域が広がる事情も似ているように。
 東京スカイツリー誕生までは人出も多かったとすれば、窓の汚れもなかったかも……(下) 無料の施設。





 この競艇場は、河川(中川)を利用する国内唯一の施設とのこと。河口に近いため、川の流れ、潮位、風の影響を受けやすい難水面とされるも、先頭以外は船の波を受けるのでまともに走れないように見えるが、そこからの逆転がギャンブルの醍醐味なのか?
 西葛西・平井・船堀駅からバスで集客し、全国競艇場の舟券が購入できるシステムでオヤジたちの小遣いを搾り取るように……(ギャンブルって分からん)



 小松川境川は、新小岩付近の湧水に始まる自然河川で小松川とされるも、東西に分かれた小松川村の境を流れたことから小松川境川とされます。以前は農耕地が広がった一之江境川流域同様、明確な地形を境界にしたようです。
 住宅に囲まれ人が少ないため落ち着ける親水公園で、競艇場に近い最下流の池では糸を垂れる釣り人たちから、石につまずいた程度の物音でもにらむような視線を向けられます。ヘラブナのような神経質な獲物を狙っている or 釣れないことを人のせいにしようとしているのか?

 以前の流れは農業用水、肥料(肥船:こえぶね)や農作物を運ぶ水路とされ、地域に欠かせない存在でした。
 肥船とは、江戸城の汲み取り権を持つ葛西氏が糞尿を運んだ船のことで、葛西船とも呼ばれたそう。
 その帰りの船で付近の農作物を運んだようで、糞尿と野菜は同じ扱い? と思うも、当時は畑に糞尿を撒いたため抵抗感は無かったとのこと。
 水路の終焉は周辺と同様で、下水道整備により不要となった汚れた流れにはフタをされました(埋め立て)。そこが古川親水公園に続き区内で2番目に整備されます。

 隣接する寳積院(上)と永福寺(右)は共に真言宗豊山派寺院ですが、境内の違いで個性を表現するように。
 上の、枝先に団子状の葉が丸く生えるのは、木の特徴 or 剪定によるもの? 寳積院の境内に並びます。
 永福寺の境内は寺院らしいたたずまいで、やはり紅葉の時季にはこちらが落ち着くと。
 当初は長福寺の名称でしたが、九代将軍家重の幼名長福丸にはばかり改称したそう。鐘に刻まれた「国家安康」に文句をつけた家康(徳川家)ですから、機嫌をうかがう方も大変です。

 右の江戸川区役所を目にし、区役所の建物ってこんなもんだよなぁ〜と納得するので(港区役所もノーマルな印象だった)、文京区のアレ(区役所 in 文京シビックセンター)は複合施設とはいえ、やり過ぎと。
 江戸川区が誕生した1932年(昭和7年)当時、区内の鉄道駅は北端に、総武線 平井・小岩駅(新小岩駅は葛飾区)、京成電鉄 京成小岩・江戸川駅があるだけでした。そのため区役所立地に鉄道の利便性を考える余地もなく、以前の中心地(「中央」の住所表記)付近に建てられたらしい。
 現在も付近に鉄道駅はなく、区民は不便さに慣らされたようにも(船堀への移転計画があるらしい)。


追記──郵便局の新型スーパーカブ

 勤務先の隣には麻布郵便局があり、非常階段で一服しながら赤い車両やバイクの出入りを眺めています。
 先日、世界生産累計1億台を達成したホンダ 新型スーパーカブの郵便局仕様車が納入され、元気よく走りはじめました。大口顧客は全国で何台利用しているのだろう?
 従来のイメージを継承しながらスマートにリニューアルし、エンジン音も軽快になりました。
 ですが「旧エンジン音=郵便・新聞配達」で育った年代には、生活環境の一部としての親近感がありました……

0 件のコメント: