2017/12/04

水辺暮らしの痕跡──一之江境川親水公園

2017.11.19【東京都】──江戸川区探訪_5

 一之江境川は、葛飾区にある水元公園の小合溜井(こあいためい:用水池)から、東一之江と西一之江の境を通され(名称由来)、新川に合流した水路。
 以前一之江の地名には、市野江、市江の表記もあり、川の入り江に由来するらしい。




 都営新宿線 船堀駅の外壁に金魚が描かれるように、近くの東京都淡水魚養殖漁業協同組合(上)で3月に開かれる金魚の初競りは春を告げる催しとされ、セリは11月まで定期的に開かれます。
 明治末〜大正期に、入谷、下谷から業者が移転してきたことにはじまり、最盛期の23軒から現在2軒となりますが、江戸川琉金(リュウキン)はブランドとして人気が高いそう。
 水元公園周辺でも盛んだったことから、川の近くに適した産業のようです。


 こぶりの金魚の繊細ではかなげな姿を見ていると、ガキ時分に墓に埋めた際の感触がよみがえります(柔らかな印象)。
 上の絵からは、1997年イラン映画『運動靴と赤い金魚』(監督:マジッド・マジディ)を想起し、ここに足を入れたら癒してくれるのでは? とも。
 金魚は、フナの突然変異を観賞用に交配した観賞魚で、世界中で親しまれます。



 地域の用水や、物資運搬船の航路として活用されるも、「昭和30年以降、流域の都市化により水質が悪化し、下水道が整備され排水路の役割を終えた」とあるので、フタをしたい流れだったようです(開園は1995年)。
 鉄道が整備される以前の水路は物輸の大動脈なので、人が集まる流れ沿いには寺社が点在するというか、他にはひとけのある場所はなかったようにも。

 都営新宿線は、荒川を越えるため(?)東大島〜船堀駅間は地上高架となるが、付近で再度地下に入ります。地下鉄は新しいインフラなので、既存施設への忖度(いやらしい響きの流行語)が求められます。

 三嶋神社鳥居(右)の笠木(かさぎ:上部の横柱)は太いため不安定に見えますが、装飾的なデザインの笠木をよく目にしますから、ここでは太さをアピールしているようです。
 当初、大山祇神(おおやまづみのかみ:愛媛県 大三島)を祭りますが、村境(川っぷち)のため氏子が集まらなかったようで(鳥居に比べ祠は小さい)、明治期に近くの日枝神社の末社とされます。
 大山祇神は、山の神、海の神、戦いの神とされるので、当初ここでは水運の安全が祈られたように。


 流れがキレイな時分から続く染工場が、付近に2軒残ります(上は干場)。上とは別の染工場では、以前は川を利用した洗い作業を工場内で行い、品目も浴衣から手拭いにシフトした現在も、日本橋界隈の問屋からの注文がメインとのこと。地域の文化は人のつながりに守られます。

 右は、城東電車線路のモニュメント。城東電車 江戸川線は、東荒川(荒川 新小松川橋付近)~今井橋(旧江戸川と新中川の合流付近)間の鉄道で、今井街道脇の専用軌道を走りました。市電(後の都電)に編入され、廃止後は街道をトロリーバスが走ったらしい(トロリーバスは目にした気がするが、乗った記憶は残りません)。

 一帯は川の氾濫原のため整地はしやすくても、海が近く川の水は塩分を含むため、農耕には海水の影響を受けない一之江境川のような用水が必要でした。
 旧川沿いに残る大きな農家(右)の屋敷を目にすると、23区西端に位置する世田谷区同様、少し前まで田舎だった風景を想像したりします。

 下は、一之江抹香亭(いちのえまっこうてい:タブノキの葉から抹香を作った旧家を整備した施設)の柿。
 近隣から分けてもらった植物の苗木を並べ、みんなで育てようとする取り組みは、地域の文化継承が根付いた活動とも。


追記──TBSラジオ プロ野球中継から撤退

 以前、テレビのナイター中継は9時終了だったため、「この後は、TBSラジオ エキサイトナイターでお楽しみください」のアナウンスを耳にすると、「ラジオ、ラジオ!」と騒ぐ人がいましたが、そのラジオ中継が終了するそう(現在「エキサイトベースボール」)。
 飲食店等で耳にする程度でしたが、日常の生活音のようになじんでいたので(ピンポーン「他球場の経過です…」等)、時代の流れとはいえ寂しさを覚えます……


追記──川崎フロンターレ 初タイトル!

 上位争いをしながらも終盤の息切れが続いただけに、喜びもひとしおではないかと。
 以前暮らした武蔵小杉・新丸子をホームタウンとしており、ホーム試合開催日のにぎわいは素晴らしい町おこしと感じていました(中村憲剛のフォア・ザ・チームの姿勢は魅力的)。
 関心のレベルは一般的な近隣住民と同等ですが、地域を離れ何年経っても気にし続け、初タイトルを祝福したいと思うことこそ、Jリーグ理念(地域密着)の成果のようにも……

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