2019/04/22

身の危険を感じる──茅場町

2019.3.24【東京都】──地下鉄 東西線を歩く_21

 茅場町駅で乗り換えるようになり、町ではなく駅のホームのイメージが浮かぶようになったのは、朝に夕に緊張を強いられるためかと……




 門前仲町から永代橋で隅田川を渡ると、川岸に続く隅田川テラスを歩きたくなります。
 前方にそびえる異様な佃島の高層マンション群は、上海に立ち並ぶディスプレイ的なビル群のようで、人が暮らす様子は思い浮かばないが、「高層マンションは子育てに向かない」ことは想像できます。
 上は中央大橋の裏側で、橋のカーブに沿って吊り下げられた作業用の足場(?)もデザインのように見えます。構造も贅沢な造りで、建設当初(1993年)は化粧板で隠されたらしいが、バブル後は「どうせ見てないでしょ」と、化粧もしなくなったのか?




 上は日本水準原点を定める際に使用された霊岸島水位観測所ですが、その役割は三浦半島 油壺に移管され、現在はモニュメント的存在に(観測は継続中)。
 付近に江戸幕府が築いた江戸湊があり、開削された新川(現在埋め立てられた)沿いに酒問屋、亀島川沿いに米穀問屋が並んだように、地の利を求める業種が集まる地域でした。渋沢栄一が尽力した東京湾汽船(現 東海汽船)もこの地に始まります。

 現在は埋め立てが進み隅田川の一部とされますが、河口だった雰囲気が残るようで落ち着ける場所です。

 上の中央区立明正(めいしょう)小学校(明治期創立の学校が合併)は、明石小学校同様、関東大震災後に整備された復興小学校で、旧建物のモダンなデザインを踏襲し改築されたもの(上のリンク先)。卒業後は築地の先の銀座中学校まで通うそう。
 右はかなり味のある(?)、亀島川の八丁堀側にある設備会社の事務所。区画整理は行われないため、周囲には狭い区画に建て替えられた新しい家屋が並びます。

 新川地区は旧京橋区に含まれますが、箱崎や深川とのつながりが強く富岡八幡宮の氏子地域に属するため、深川八幡祭に参加しています。台場、有明、豊洲地区も富岡八幡宮の氏子地域だそう。


日本橋茅場町

 江戸城の築城当時は茅が生い茂る湿地で、家康が茅商人を移住させたことが地名由来とされます。当時の家は屋根に茅が使われたため、またたく間に発展したそう。
 付近は町名の通り旧日本橋区に含まれる永田町 日枝神社の氏子地域で(日本橋周辺は氏子地域)、祭礼時の御旅所(神輿の休息所)とされた神社が、後に日枝神社 日本橋摂社(境外の小規模な神社)とされます(下)。

 右の亀島川沿いにある歴史を感じる建物(1927年:昭和2年)は、水運が盛んだった様子を見ていたかも知れません。外車は絵になると分かっているのに、何で日本車のデザインはスマートにならないのか……


 茅場町駅は地下鉄 東西線と日比谷線の接続駅で、乗り換えの階段は西船橋(北千住)側しかないため、朝夕のラッシュ時には大渋滞します。混雑は仕方ないも、狭いホームですれ違う際には、転んだ巻き添えで線路に転落する身の危険を感じます。注意を促すための人間ホームドア(ホームの端で両手を広げて並ぶ)を考えた人は、自分でその場に立ったことがあるのだろうか?
 日本一の混雑路線解消への改良工事とされる、ホーム延伸と階段・エスカレーター新設は2022年度供用開始予定とありますが、ホームドア設置が25年予定というのは順番が違うような気がします……
(左は東葉高速鉄道の車両)


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