2019/07/08

厄を飛び越えろ!──湯島

2019.6.29【東京都】──地下鉄 東西線を歩く_31

 江戸初期の下町とされる神田を歩こうと神田明神を目指しますが、季節の記憶から湯島天神まで足を伸ばします。




 湯島天神には、夏越の祓(なごしのはらえ)の季節(6月末)に縁を感じながらもご無沙汰していることを、神田明神が気づかせてくれました。
 祓(はらえ)は、罪・穢れや災厄等を心身から取り除くための神道の儀式で、一般に向けた大祓は6月と12月の晦日に行われます(お盆や新しい年を迎える準備とされる)。
 年末・年始ほど厳粛ではないが、神社らしい空気感に包まれるので「行っておこうか」と足を運ぶ方が多いようにも。
 茅の輪をくぐり病気や災いを免れるよう祈りますが、厄とは右のように飛び越えるべきものかもしれないと。
 上は門前の店先。


 以前目にした覚えのあるキキョウや(写真なし)、七夕を迎える準備を整え歳時記を伝えるような境内には、この国の風土での暮らし方が示されています(京都では暮らしに生き続けている)。
 この日も婚礼やお宮参りの姿を目にしたように親しまれるのは、無病息災を祈るにしても、ひょっとしたら「学問の神様」のご利益があるかも知れない、と期待する人が多いためでは? と感じるのは、自分がいまでもそう願う気持ちを抱くためかと……

 下は、旧岩崎邸が現在地に移転する前の煉瓦塀とのこと(天神に隣接)。




 本校は江戸時代の寺子屋を起源とし、学制施行(1870年:明治3年)前に開校した6小学校のひとつで、都内屈指の歴史を持ちます。
 関東大震災では高台にも火の手が及び全焼したため、復興小学校として鉄筋コンクリートの校舎が建てられます(当時は鉄筋コンクリート校舎+小公園のセットが防災都市のシンボルでした)。以前の校舎は十思(じっし)小学校のように曲線デザインの部分があったそうですが、1991年に改築され名残はありません(屋上にプールがあるらしい)。
 右は校庭で行われるサッカー(?)の様子を見守る保護者を、玄関のドア越しからのぞいたもの。

 天神脇の本郷通りが切通坂とされるように、天神は上野広小路から見上げる丘に位置します。多少不便でも静かな高台は災害の危険度も低く暮らしやすそうと感じますが、以前は天神の門前に見番(花街の事務所)が構え、門を出れば即 精進落とし(俗縁を断つ行事後に俗に戻る)という環境でした。それらの施設は地元の人々が運営したそうで、ホテル街への転換にも地域色が反映されているのではないか。
 フツーと思える若い娘が、明るい時間からわたしの目の前を通りホテルへ入っていきます。恥ずかしがる素振りも見せずまるで遊園地に入るかのように、古い世代の概念を軽々と飛び越えていきます……(若い時分は突き抜けたいと考えていました)
 右は霊雲寺

0 件のコメント: