2019/09/02

水にゆかりの深い──早稲田

2019.8.24【東京都】──地下鉄 東西線を歩く_39

 付近に早稲(開花・結実が早い品種)もしくは早い時期に稲を植えたのは、凶作に備える知恵とされ、学府でも難事に備えた人材育成を目指したのか……


 大隈庭園を歩くつもりが休園(大学には入れても庭園公開は授業日のみ)で、地図から神田川対岸が関口芭蕉庵と知り、両岸の位置関係がつながったと足を運ぶも、こちらも休園の案内があり椿山荘まで足を伸ばします。

 早稲田大学は正門脇の1号館以外はビル群のようで、オフィス街同様「どれだけ人が集まるのか」と朝晩のラッシュ時を想像すると、ちょっとゾッとします。
 朝は当然急ぎ足でも帰りはゆったりというか、仲間とつるむ学生はダラダラ歩くためうっとおしく感じますが、自分も学生時代はそうだったかも知れないと……
 大隈庭園前のCafeは営業しています(右)。

 関口芭蕉庵は、松尾芭蕉が神田上水改修にたずさわる3年間暮らした水番屋跡で、後に整備されるも戦災で焼失します。現在は、近隣にある講談社・光文社・キングレコード 等による「関口芭蕉庵保存会」が維持管理しているそう。
 右は、塀の外から見えるバショウ(芭蕉)。

 神田川沿いの傾斜地に広がる森は、斜面から染み出す湧水が育てたもので、江戸時代には高台から斜面まで大名屋敷や庭園とされ、対岸の早稲田の水田を眺めていたようです。
 そんな田んぼに造営された大隈庭園は、戸山側から流れる蟹川の水を引き込んでいました。

 椿山荘ではこの日も、施設を案内してもらうカップルや、いくつもの披露宴が開かれるように、ブランドイメージや安心感から人気のある様子が見て取れます。
 散歩と思われる女性たちも「以前は山縣有朋の屋敷だった」等々の話から下調べは万端らしく、「その時 」の候補のようです。男は「どこにする?」ですから……

 この庭園にも古香井(ここうせい)とされる湧水があり、 関東大震災では被災者に開放されたように、いざという時に水は重要なので、近所の災害時協力井戸や給水場所をチェックしておかねばと。
 右は、茶室の長松(ちょうしょう)亭。


 肥後細川庭園(ひごほそかわていえん:旧称 新江戸川公園←江戸川は神田川中流域の旧称でしたが、これでは分かりづらい)は、幕末期に熊本藩主 細川家下屋敷、明治時代に細川家本邸とされます。隣接する永青(えいせい)文庫では、細川家伝来の美術品、歴史資料 等々の展示・研究が行われ、理事長は18代当主の細川護煕 氏(元内閣総理大臣)。
 上は「ご自由に…」と置かれた日傘で、外国人も喜びそうなサービスです。


 都電荒川線の車両はリニューアルされ、旧型の黄色い車両を見ることはできません(ホームページにも無く博物館入りか? 現在はみなラッピングしています)。
 上は都電側が青信号(路面電車は黄色の矢印信号)のタイミングで、通過を待つ歩行者が線路内に立つ姿が都電らしい。以前荒川車庫付近で目にした、運転手がアイコンタクトで車や歩行者に進む意思のないことを確認する動作こそ、信号に勝る安全確認と。
 余談ですが、車用の青い矢印信号は、路面電車の黄色の矢印を転用したんだそう。黄色の矢印は数が少ない分インパクトがあるので、教習所で習ったことを瞬時に思い出します。


 甘泉園(かんせんえん:茶の湯に適した湧水に由来)は、以前徳川御三卿の清水家下屋敷があった敷地で、昭和初期に早稲田大学の施設とされますが、戦後東京都に売却〜都立公園となり、1969年から新宿区が管理します(隣接地には水稲荷神社)。
 まだ8月なのに赤い葉があるのは台風 等の影響か?(上)

 穴八幡宮は、高台の突端に源義家が八幡神を祀ったことに始まり、江戸期には徳川家光が幕府の祈願所・城北の総鎮護とします(右の派手な獅子同様に社殿も立派)。
 冬至~節分の期間限定「一陽来復御守:陰が極まって陽に転じる。凶事が去り吉事が来たる」は大変な人気らしく、初日の冬至には大行列ができるそうです(飲食店 等で見かけたことがあります)。

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