2019/09/30

異文化交流はスポーツで──落合

2019.9.15【東京都】──地下鉄 東西線を歩く_43

 都バス 小滝橋営業所では見かけなかったが、近所を走る燃料電池バスの静かさに驚き、これからの社会をポジティブに受け止められそうと……


 右の茶道会館は、戦後の焼け野原だった時分に、裏千家 宗国の茶名を持つ北見米造が創建した施設(1950年)。彼は、茗荷谷の旧磯野家住宅 銅御殿(あかがねごてん:重要文化財)を建築した大工の棟梁で、「自分が死んで50年したら国宝になる」と語った自信作らしい。

 着物姿で門を出てくる方々は「なんで涼しげに振る舞えるの?」と、汗をぬぐいながらすれ違います。着物にファンは付いてなさそうですが、近頃目にするファン付きの作業服はかなり涼しげに見えます。
 以前裏手は神田川に面したようで、水面を眺めながら茶を楽しんだのではないかと。

 右周辺は、落合の地名由来とされる妙正寺川との合流地点でしたが、大雨の度に氾濫を繰り返すため流路が変更され、現在は下流側の都電荒川線鉄橋近くで合流します。
 氾濫頻発地帯のため高い堤防が設置されますが、それでも不安に感じるのは、西武新宿線が水没した際のダメージの大きさです。豪雨・台風被害が年々拡大することを考えず、都合の悪いことに「想定外」と頭を下げるだけでは、世間は納得できない時代になりつつあります。

 茶道会館のある高台から川岸へ下る階段に、Google Mapでは犬の階段の表記があるが、そんな名称はないらしい。


 上のせせらぎの里公苑(下水処理場 落合水再生センターの上につくられた公園)では、インド系の人々の催しがにぎやかです(左に吊り下げられたaに似た形の物を棒で叩く順番を整理している)。
 西葛西のインド系の子どもたちは英語教育のスクールに通うため、仲間同士で遊ぶ姿を見かけるように、日本の海外転勤家族と同様に仮の住まいと考える方が多いようです。

 ここで処理された再生水は、新宿副都心水リサイクルセンター(西新宿、中野坂上ビルのトイレ用水)、渋谷川(古川)目黒川呑川 等に供給されており、供給先を歩いた際に施設の重要さが実感できました。


 落合水再生センター上部には落合中央公園が整備され(1964年)、野球場、テニスコートや運動場があり、上のサッカーに興じるメンバーも海外出身者で構成されますが、グラウンドは共用ですからスポーツを通じて地域との交流が深まればと。スポーツは世界共通の文化です!


 上は、以前も歩いた寒天工房 讃岐屋(甘味処なので関心はない)で、表に東京メトロの広告キャンペーンFind my Tokyo.の写真が貼られます。ですが、石原さとみが来たのではなく、TV番組「メトログ」で温水洋一が紹介したとは、彼には失礼だが見事なオチと……
 東京メトロ利用者なら毎日目にする広告シリーズは、「機会があれば」と思える身近な距離感にくすぐられます。

 落合駅の上を通る山手通りには、首都高速山手トンネルの換気塔(グッドデザイン賞受賞)が並びます。地上の道路よりクリーンな排気とされますが、どうも煙突にはいいイメージを持てません。


追記──NHK連続テレビ小説『なつぞら』終了

 特筆すべきは主人公祖父役の草刈正雄で、大河ドラマ『真田丸』(2016年)以来の絶好調を維持します(いい具合に歳を重ねている)。もう一人、幼なじみで絵の指南役 天陽役の吉沢 亮は、抑えた演技にも色気が見え隠れし、本気になったら女性陣はメロメロになりそうと。一方主役の広瀬すずは、勢いと笑顔を抑えた途端に輝きを失ったように(妹役 清原果耶の表情の方が豊かに見えた)。
 北海道編は開拓者の苦難をなぞればドラマになったが、東京編のアニメーターの輝きをアニメ作品で示すには時間・労力が必要なため(オリジナルでは無理)、中途半端な印象に。
 100作目ということで(歴代ヒロイン16名出演 等)話題は豊富でしたが……


追記──女子プロ野球 in 江戸川区球場(エドキュー)


 祭りのように賑やかな球場では、女子プロ野球の試合が行われています。
 手作りっぽい子どもが加わるチアリーダーもイベント感があって楽しげですし(盛り上げるため制服写真撮影会も)、定期的に開催してくれると、足を運びやすくなるのでは。
 スポーツの秋を感じさせてもらいました。

2019/09/23

個性があふれる──高田馬場

2019.9.15【東京都】──地下鉄 東西線を歩く_42

 高田馬場は、NHKのドキュメント72時間「伝説のゲーセン 大人たちの闘い」「学生街・高田馬場 いつかの“青春ロータリー”で」の舞台として取り上げられるように、昔と変わらず個性があふれる町のようです……



 高田馬場駅 早稲田口ガード下には手塚治虫漫画の壁画が並びます。手塚プロダクション(1976年〜)が高田馬場にあることから、98年初代壁画が設置され、アトム誕生年(2003年)からテーマ曲がJR駅の発車メロディ(リンク先Youtube)とされます(上は2008年に設置されたもの)。アトムは天馬博士の事故死した息子 飛雄(トビオ)の生まれ変わりとして、高田馬場の科学省で誕生する設定(手塚さんは馬好き?)。
 壁画も駅メロも地元の要望によるもので、町のイメージ作りの手本として訪問者にも定着しますが、若者たちはレジェンドのような存在をどう受け止めているのだろうか。
 TVアニメ『鉄腕アトム』(リンク先Youtube)は、1963〜66年にモノクロ放送された(後にリメイクあり)。

 駅西側の早稲田通りは高台のキワを通っており、神田川に面する北側は傾斜地に接しています。斜面に建てられた建物は斜面下から階段で登るものが多いようで、共用していると入口がわからない家もあります。右のアパートも、右側手前の玄関先を通るように見えます。色使いが派手なのは、目につきにくい場所にあるためのアピールか?

 下の東京富士大学は施設が高田馬場・下落合に別れており、橋の下には神田川♪ ちょっと違うが、これだけ立派な私有の橋は珍しいように。大学でコスプレイベントが開かれるのは、イベント学科生が運営に関わるためらしいが、コスプレの姿なのに腰が引けた娘が多く、もっと胸を張った方がインパクトがあるのにと……


 以前神田川沿いの低地には田畑が広がったようですが、戦後から無秩序に家が建ち並んだため、明確な境界はあぜ道や右のような水路(跡)しか残っていないように。
 正面の建物を迂回した先に通される細道も私有地のようで(通れないとかなり遠回り)、行政が通路の確保を働きかけているように見えます。また、旧あぜ道が交わるような5差路には、以前道祖神が祀られた雰囲気が残る場所があります。
 まとまった土地の確保が難しい地域のため、上の私有の橋が認められたようですが、橋は渡れてもその先は「車行き止まり」なんて場所もあります。

 旧川沿いのクネクネした戸三小通りは小滝橋まで続きます。名称元の戸塚第三小学校では、親交のあるアトムが学校のマスコットであることから、新宿未来特使の鉄腕アトム「新宿区特別児童」任命式が行われたそう。
 われわれはテレビの再放送(モノクロ)を見た口ですが(ピュッ ピッという足音は鮮明に残っている)、ロボットの悩む姿に感情移入した記憶があります。この先AIにも感情を組み込めるかもしれませんが、悩みの解決でも即座に答えを返してきたら、それは悩みではないと言いたくなりそうです(アトムは困った表情をしていました)。

 右は60〜70年代の空気を感じる住宅の飾り。


追記──ラグビーワールドカップ2019開幕!

 前回の2015年大会で3勝(同大会3位の南アフリカに勝利)して以来注目を集めるようになり、開幕戦の勝利で勢いがつきましたから、開催国として大会を盛り上げる機運が高まってきました。
 決勝トーナメント進出への応援とともに、各国のプレーを大いに楽しみましょう!

2019/09/16

歩くたび引かれる──雑司が谷

2019.9.7【東京都】──地下鉄 東西線を歩く_41

 前回の都電の坂道を上り、雑司が谷に寄り道します(町の空気に引かれます)。
 都電は時折行き先を変更しますが、知らずに乗った外国人旅行者に気遣いで行き先を確かめ、その旨を運転手に伝えるおばさんに、感心しきりです。外国人旅行者を意識したTokyo Sakura Tram(東京さくらトラム)の愛称や、Tokyo2020のボランティアも大切ですが、われわれも笑顔だけでは「おもてなし」にならないと気づかされます……


 雑司が谷 大鳥神社の例大祭は9月9日に近い週末に行われます。江戸時代に定められた五節句、1月7日 人日の節句(七草粥)、3月3日 上巳の節句(桃の節句)、5月5日 端午の節句、7月7日 七夕の節句、9月9日 重陽の節句(知らなかった)は、奇数が重なる縁起のいい日と考えられました。
 七福神の恵比寿様を祀り、社紋は巾着(福包み)(神仏分離で鬼子母神から独立する際、社跡から出てきた)とされますが、商売繁盛ではなく巾着の賽銭箱にお金を吸い取られそうと感じるようでは、お金は貯まりません……

 雑司ヶ谷霊園(古い施設名なので「ヶ」の表記らしい)に夏目漱石の墓があり、故郷近くに落ち着け安堵しているのではないかと。


 神田川の面影橋から鬼子母神表参道(きしもじん:鬼のツノの点は無い)への道は旧鎌倉街道とされますが、右の法明寺は平安時代創建なので、街道は寺や集落に通じる古い道を整備したようにも。
 室町時代に建立された鬼子母神(子供と安産の守り神)を核に門前町が発展したため、地域の中心と感じますが、法明寺飛地境内のお堂になります。
 法明寺は関東大震災で倒壊、空襲で焼失しますが、それらの免れた鬼子母神堂(母たちの祈りが届いたか?)は国の重要文化財とされます(床板のきしみ音に味があります)。
 上は、法明寺 塔頭(たっちゅう)の観静院の香炉。


 鬼子母神境内にある上川口屋(駄菓子屋)は健在です(年配のご夫婦も)。
 祭りの日なので人出は多くても、子どもたちの関心は出店に向くため、閑散としています。ラムネの空き瓶は結構並んでいましたが、普段はもっと多いのかもしれません。


 鬼子母神表参道周辺も大鳥神社の氏子町なので、町神輿を担いで宮入します(上)。
 日蓮宗 法明寺では、毎年10月16日~18日に鬼子母神御会式(おえしき 日蓮の法会:ほうえ)が行われ、最終日には池袋駅前から和紙で飾られた万灯(まんどう)が練り歩きます。行事同様、鬼子母神門前町の風情を守ろうとする姿勢は、地域を愛する地元力と言えそうで、また歩きたくなる町の大きな魅力と(ケヤキ並木が付近のシンボルです)。


 表参道沿いの木造2階建アパート 並木ハウスアネックス(昭和8年)に、雑司が谷案内処があります(奥の並木ハウスには手塚治虫 氏が暮らしたそう)。
 祭りのにぎやかさを耳にしながら、淡々と手作業(何かを作る)を続ける姿が、この町に似合っていると(鬼子母神前にあるレトロな外観の洋装店も健在です)。


 上はのぞき坂とされる都内屈指の急坂。運転席からは足元が見えないでしょうから、当然坂の手前でブレーキをかけます(奈落に落ちるような感じでは?)。
 レジ袋を手にした女性が日常生活の雰囲気で降りていくと、チラホラいる見学者も「すごい坂だなぁ〜」の声が小さくなります。運動のためとしても、少し手加減してくれる坂を希望します……


 この日早稲田周辺でも、水稲荷神社西早稲田天祖神社(上)の祭りが行われています。
 ですが水稲荷氏子地区の大隈通りでは、「うち7人なんだよ」「こっちなんか2人しかいない」と、今後が心配になる声が聞こえます。町内会の小さな神輿でも「結構重いなぁ」(体力不足)ですから、すでに厳しい状況のように。
 日本のハロウィン(収穫祭)? を継続するための知恵を絞らなければ、途絶えてしまうかもしれません……

2019/09/09

先細りの地域文化──西早稲田

2019.8.31【東京都】──地下鉄 東西線を歩く_40

 江戸時代に西早稲田の高台に整備された高田馬場は、旗本の弓馬術調練や流鏑馬の施設とされ、 8代将軍吉宗から流鏑馬を穴八幡宮に奉納するようになります。


 盆おどりの提灯に導かれた西早稲田 天祖神社へと下る坂道は、大木が立ち並び子供がワクワクする異界入口のようで、そんな一角が残されるのも神社のおかげかと(アプローチにはもっとも雰囲気があるルート)。
 右は木々を守るように見える家屋。

 神社を管理する高田馬場町会ホームページには、「300世帯弱の弱小町会で町会員の寄付金の負担や運営する人の高齢化などで大変です」とあります。
 待ちきれず昼間に訪れた子供たちが「まだやってないや」と楽しみにする行事ですから、地域文化を継承する方策はないかと。下は、準備が整えられた境内。


 下は道路が鋭角に交差する場所で、左側は並行する道もある古い道らしいが、右側は神田川対岸の氷川神社方面に通じる真っ直ぐな道(参道?)。以前の畑(傾斜地なので水田ではないと)を通る道では問題なくても、宅地にすると使い勝手が悪くなります。
 ですが、坂を少し下った家では、尖った土地を公園のように整備してあるため、足を踏み入れそうになります。活用の難しい土地を自治体主導で整備すれば、新たな町の魅力が生まれるかもしれません。


 面影橋付近を歩くと、都電の真っすぐな坂道を眺めたくなります。
 新目白通りからこの専用軌道に入る際の、車道+歩道を横断する踏切には遮断機がないため、アイコンタクトで「電車が進むよ」と合図をしています。
 近頃、自動車運転者の適正性が問題視されますが(誤操作や安全運転する気のない不適正者は別問題)、基本に立ち返ってアイコンタクト(相互の意思確認)の重要さを再確認すべきと。「見えなかった」は、確認する意思を持たない者の言い訳で、歩行者にも信号だけでなく目視の安全確認が必要です。それでも身を守れない事故は起こります……

 徳川家光が造営した高田馬場は約650m × 55mの横長で、旗本の弓馬術調練場、将軍が武芸観覧する奉納馬場とされました。8代将軍 吉宗が世継ぎの疱瘡(ほうそう:天然痘)平癒祈願として穴八幡宮に奉納したことが、小笠原流 流鏑馬の起源とのこと。
 高田とは、神田川沿いの低地(早稲田 等)に対する高台の名称のようで、豊島区側にも高田の地名が残ります。

 夏でも鯛焼きが人気なのは、冷めても美味しいからなのでしょう(甘いもの食べないので推測です)。おやつに限らず焼き上がりを待つ際には、左端のおばさんのように気分が盛り上がってきます(ウキウキのように見えました)。


 早稲田松竹の予告看板(上)に、以前の二番館を思い出し心がざわつきます。高校生時分は2本立て300円程度で何度もハシゴしましたが、もう体力はありません……
 二番館には『真夜中のカーボーイ』『スケアクロウ』『タクシードライバー』(リンク先はどれもYoutube。若い時分は皆さんカワイイ…)等の、アングラな映画が似合うイメージがありましたが、早稲田界隈の雰囲気も変わりましたし、いまどきは雰囲気が明るくなければ敬遠されそうです。

 高田馬場駅近くの結婚式場 セレス高田馬場(右)は、大聖堂が人気だそうです(何の建物かと思いました…)。

2019/09/02

水にゆかりの深い──早稲田

2019.8.24【東京都】──地下鉄 東西線を歩く_39

 付近に早稲(開花・結実が早い品種)もしくは早い時期に稲を植えたのは、凶作に備える知恵とされ、学府でも難事に備えた人材育成を目指したのか……


 大隈庭園を歩くつもりが休園(大学には入れても庭園公開は授業日のみ)で、地図から神田川対岸が関口芭蕉庵と知り、両岸の位置関係がつながったと足を運ぶも、こちらも休園の案内があり椿山荘まで足を伸ばします。

 早稲田大学は正門脇の1号館以外はビル群のようで、オフィス街同様「どれだけ人が集まるのか」と朝晩のラッシュ時を想像すると、ちょっとゾッとします。
 朝は当然急ぎ足でも帰りはゆったりというか、仲間とつるむ学生はダラダラ歩くためうっとおしく感じますが、自分も学生時代はそうだったかも知れないと……
 大隈庭園前のCafeは営業しています(右)。

 関口芭蕉庵は、松尾芭蕉が神田上水改修にたずさわる3年間暮らした水番屋跡で、後に整備されるも戦災で焼失します。現在は、近隣にある講談社・光文社・キングレコード 等による「関口芭蕉庵保存会」が維持管理しているそう。
 右は、塀の外から見えるバショウ(芭蕉)。

 神田川沿いの傾斜地に広がる森は、斜面から染み出す湧水が育てたもので、江戸時代には高台から斜面まで大名屋敷や庭園とされ、対岸の早稲田の水田を眺めていたようです。
 そんな田んぼに造営された大隈庭園は、戸山側から流れる蟹川の水を引き込んでいました。

 椿山荘ではこの日も、施設を案内してもらうカップルや、いくつもの披露宴が開かれるように、ブランドイメージや安心感から人気のある様子が見て取れます。
 散歩と思われる女性たちも「以前は山縣有朋の屋敷だった」等々の話から下調べは万端らしく、「その時 」の候補のようです。男は「どこにする?」ですから……

 この庭園にも古香井(ここうせい)とされる湧水があり、 関東大震災では被災者に開放されたように、いざという時に水は重要なので、近所の災害時協力井戸や給水場所をチェックしておかねばと。
 右は、茶室の長松(ちょうしょう)亭。


 肥後細川庭園(ひごほそかわていえん:旧称 新江戸川公園←江戸川は神田川中流域の旧称でしたが、これでは分かりづらい)は、幕末期に熊本藩主 細川家下屋敷、明治時代に細川家本邸とされます。隣接する永青(えいせい)文庫では、細川家伝来の美術品、歴史資料 等々の展示・研究が行われ、理事長は18代当主の細川護煕 氏(元内閣総理大臣)。
 上は「ご自由に…」と置かれた日傘で、外国人も喜びそうなサービスです。


 都電荒川線の車両はリニューアルされ、旧型の黄色い車両を見ることはできません(ホームページにも無く博物館入りか? 現在はみなラッピングしています)。
 上は都電側が青信号(路面電車は黄色の矢印信号)のタイミングで、通過を待つ歩行者が線路内に立つ姿が都電らしい。以前荒川車庫付近で目にした、運転手がアイコンタクトで車や歩行者に進む意思のないことを確認する動作こそ、信号に勝る安全確認と。
 余談ですが、車用の青い矢印信号は、路面電車の黄色の矢印を転用したんだそう。黄色の矢印は数が少ない分インパクトがあるので、教習所で習ったことを瞬時に思い出します。


 甘泉園(かんせんえん:茶の湯に適した湧水に由来)は、以前徳川御三卿の清水家下屋敷があった敷地で、昭和初期に早稲田大学の施設とされますが、戦後東京都に売却〜都立公園となり、1969年から新宿区が管理します(隣接地には水稲荷神社)。
 まだ8月なのに赤い葉があるのは台風 等の影響か?(上)

 穴八幡宮は、高台の突端に源義家が八幡神を祀ったことに始まり、江戸期には徳川家光が幕府の祈願所・城北の総鎮護とします(右の派手な獅子同様に社殿も立派)。
 冬至~節分の期間限定「一陽来復御守:陰が極まって陽に転じる。凶事が去り吉事が来たる」は大変な人気らしく、初日の冬至には大行列ができるそうです(飲食店 等で見かけたことがあります)。