2019/09/09

先細りの地域文化──西早稲田

2019.8.31【東京都】──地下鉄 東西線を歩く_40

 江戸時代に西早稲田の高台に整備された高田馬場は、旗本の弓馬術調練や流鏑馬の施設とされ、 8代将軍吉宗から流鏑馬を穴八幡宮に奉納するようになります。


 盆おどりの提灯に導かれた西早稲田 天祖神社へと下る坂道は、大木が立ち並び子供がワクワクする異界入口のようで、そんな一角が残されるのも神社のおかげかと(アプローチにはもっとも雰囲気があるルート)。
 右は木々を守るように見える家屋。

 神社を管理する高田馬場町会ホームページには、「300世帯弱の弱小町会で町会員の寄付金の負担や運営する人の高齢化などで大変です」とあります。
 待ちきれず昼間に訪れた子供たちが「まだやってないや」と楽しみにする行事ですから、地域文化を継承する方策はないかと。下は、準備が整えられた境内。


 下は道路が鋭角に交差する場所で、左側は並行する道もある古い道らしいが、右側は神田川対岸の氷川神社方面に通じる真っ直ぐな道(参道?)。以前の畑(傾斜地なので水田ではないと)を通る道では問題なくても、宅地にすると使い勝手が悪くなります。
 ですが、坂を少し下った家では、尖った土地を公園のように整備してあるため、足を踏み入れそうになります。活用の難しい土地を自治体主導で整備すれば、新たな町の魅力が生まれるかもしれません。


 面影橋付近を歩くと、都電の真っすぐな坂道を眺めたくなります。
 新目白通りからこの専用軌道に入る際の、車道+歩道を横断する踏切には遮断機がないため、アイコンタクトで「電車が進むよ」と合図をしています。
 近頃、自動車運転者の適正性が問題視されますが(誤操作や安全運転する気のない不適正者は別問題)、基本に立ち返ってアイコンタクト(相互の意思確認)の重要さを再確認すべきと。「見えなかった」は、確認する意思を持たない者の言い訳で、歩行者にも信号だけでなく目視の安全確認が必要です。それでも身を守れない事故は起こります……

 徳川家光が造営した高田馬場は約650m × 55mの横長で、旗本の弓馬術調練場、将軍が武芸観覧する奉納馬場とされました。8代将軍 吉宗が世継ぎの疱瘡(ほうそう:天然痘)平癒祈願として穴八幡宮に奉納したことが、小笠原流 流鏑馬の起源とのこと。
 高田とは、神田川沿いの低地(早稲田 等)に対する高台の名称のようで、豊島区側にも高田の地名が残ります。

 夏でも鯛焼きが人気なのは、冷めても美味しいからなのでしょう(甘いもの食べないので推測です)。おやつに限らず焼き上がりを待つ際には、左端のおばさんのように気分が盛り上がってきます(ウキウキのように見えました)。


 早稲田松竹の予告看板(上)に、以前の二番館を思い出し心がざわつきます。高校生時分は2本立て300円程度で何度もハシゴしましたが、もう体力はありません……
 二番館には『真夜中のカーボーイ』『スケアクロウ』『タクシードライバー』(リンク先はどれもYoutube。若い時分は皆さんカワイイ…)等の、アングラな映画が似合うイメージがありましたが、早稲田界隈の雰囲気も変わりましたし、いまどきは雰囲気が明るくなければ敬遠されそうです。

 高田馬場駅近くの結婚式場 セレス高田馬場(右)は、大聖堂が人気だそうです(何の建物かと思いました…)。

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