2019/10/07

人は多いが住みやすそう──中野

2019.9.21【東京都】──地下鉄 東西線を歩く_44

 新宿が近いのに人出が多いのは、近所感覚でもある程度の満足感を得られる町を目指した成果ではないか(映画館は無くなりました)。


 地下鉄東西線 落合駅東側の早稲田通り沿いに並ぶ寺院群は、明治期に旧江戸市中から移転したそうで、現在も寺町の面影を残しています(主要道の尾根筋)。
 一方、中央線に近い旧水路と思われる通りには、古くからの商店街と、打越天神北野神社があります(民家が並ぶ谷筋)。庶民が集まる川筋は雑多としても暮らしやすそうに見えます(付近にはポケモンの巣があるらしい)。
 天神湯の煙突(右)は、ガス焚き切り替えの際に切断さます。古い町並みと銭湯はセットで残りますが、現在は歯抜け状態の天神通り商店街(天神商栄会)も、以前はいい雰囲気だったように……(川沿いらしくクネクネと)


 中野駅北口の中野サンモール商店街中野ブロードウェイ(上)は地域を代表する繁華街で、途切れることのない人の流れに圧倒されます。1980年代ブロードウェイの集客は一時落ち込みましたが、まんだらけ(漫画古本店:マニアックな品揃えが受けているように)の躍進で活気を取り戻します。
 この東側に雑然と広がる新仲見世商店会の飲食店街では、土曜日の明るいうちから始まっていますが、早めに切り上げられればその方が健全と思う面も(付近に名画座の中野武蔵野館がありました)。


 上は北口の旧バス乗り場(現在駅前広場)から、中野通りに架けられた歩道橋からホームを見た絵で、車両がいない駅の反対まで見通せる光景を粘るも、線路が8本あるとタイミングが難しい。結局女子高生が映る絵を選んだが「こういう写真困るんですよ」とイエローカードが出そうな気がしてきます。手前の方も気を悪くされたらごめんなさい……

 右は中野サンプラザ(1973年)のエントランスで、いまどき客席数2,222席では狭そうですが、音響設備の良さから需要はあるらしいも、老朽化とされては抵抗できません。東京でも屈指のランドマークとの印象があります。

 江戸時代の周辺には、五代将軍 徳川綱吉の生類憐みの令により、約30万坪の犬小屋が設けられます。「お囲い犬屋敷」とされた付近に囲町、八代将軍 吉宗が植えさせた桃の木による桃園の地名がありました。

 明治期には陸軍施設とされ、スパイ養成学校の陸軍中野学校がありましたが、戦後は米軍に接収されます。駅周辺には闇市が立ちますが、1948年中野北口美観商店街として整備され、サンモールや飲食店街の原型となります。
 サンプラザや右の中野区役所等、駅前の広い土地が利用できたのも、そんな経緯によるようです。
 右は区役所前イベントの風船を割って片付ける様子。


 駅前地区に隣接する中野四季の都市(なかのしきのまち:旧中野警察大学校跡地を再開発)には、中野セントラルパークとされるオフィスビル(キリンホールディングス、東映アニメーション 等)、大学施設(早稲田大学明治大学 等)、四季の森公園(上・右)、東京警察病院(飯田橋から移転)などがあります。
 現在は本題の駅周辺の再開発が始まっており、解体中の南口東京都住宅供給公社中野駅前住宅(1951年)は高層ビルになる計画で、北口の区役所やサンプラザも取り壊され、駅西側に改札口が新設されるそうです。新たなランドマークが誕生することを楽しみに!
 上は、外国人の三味線に引かれて台に上がる幼児。


追記──軽減税率スタート(?)

 TVのワイドショー等は、そんなタイトルで生活防衛策をレクチャーしたようですが、わかりにくさに関心を向けさせた政府の術中にまんまとハマったようにも。
 スタートしたのは増税で、酒・タバコに軽減税率は関係ないため何を削ろうかと……
 9月末のスーパー店頭に積み上げられたティシュとトイレットペーパーは、言われるままに少し買いました。


追記──「やっちゃいます!」byリーチ マイケル(W杯ラグビー日本代表キャプテン)

 毎週末に熱狂を巻き起こしてくれるW杯ラグビー日本代表ですが、サモア戦でのモールやスクラムを、スタジアムやTV越しの声援が後押しした(TVの前で叫んでいた!)と感じられる場面こそ、ラグビーの醍醐味と(グォーッという地響きのような歓声はTVでは伝わらないが)。
 可能性は大きくなっても、まだ目標のベスト8は決まってないので、リーチの言葉(試合前に豪語したのがちょっと心配…)を後押しせねばと!

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