前回の善福寺公園訪問時に、隣接する東京女子大学の大学祭「VERA祭」が開催されると知り足を運びました。
1910年キリスト教世界宣教大会の決議により、北米プロテスタント諸教派の援助を受け開設されたそうで、大きな期待を背負っていたことは、建造物の素晴らしさからもうかがえます。1918年(大正7年)の開学には、初代学長 新渡戸稲造、2代学長 安井てつが尽力したそうです。
VERA祭とは、新約聖書の「QUAECUNQUE SUNT VERA:すべて真実なこと」による。
前回訪問時は遠慮がちでしたが、今回は女学生たちから笑顔で声をかけられ浮かれて歩くも、あれは健康的な(?)呼び込みなんですよね……
VERA祭とは、新約聖書の「QUAECUNQUE SUNT VERA:すべて真実なこと」による。
前回訪問時は遠慮がちでしたが、今回は女学生たちから笑顔で声をかけられ浮かれて歩くも、あれは健康的な(?)呼び込みなんですよね……
1938年(昭和13年)建設のチャペル(上)には、信仰心を持たない部外者も感心するばかりです。ステンドグラスに期待する絵柄がないのはプロテスタント教会(偶像や装飾を排除)のためで、信仰に必要なのは「光」ということらしい(毎朝礼拝が行われる)。
下のパイプオルガン(1991年設置)によるチャペルコンサートが開催されるそうで、ここに限らずいつか生演奏を体感してみたいと。
外国人旅行者が寺社に関心を示すように、信仰しない者でも祈りの場に対する認識を持っておくべきと。
下のパイプオルガン(1991年設置)によるチャペルコンサートが開催されるそうで、ここに限らずいつか生演奏を体感してみたいと。
外国人旅行者が寺社に関心を示すように、信仰しない者でも祈りの場に対する認識を持っておくべきと。
右の、木造の渡り廊下にあるトラック等が通る高い屋根に、声を上げてしまいました。まだ木造校舎があった小学校低学年時分の記憶がよみがえり、しばらくウロウロ眺めていました(渡り廊下にある外履き用の通路表記など無視して走り回った記憶があります……)。
大学の方針と思われる「清廉さ」というものは、われわれの子供時分までは「目指すべきもの」のひとつだったことを思い出し、心苦しく振り返りました。
美徳に対する意識はそれほど変わらなくても、道徳意識の希薄化を再認識させてくれる施設群と。
大学の方針と思われる「清廉さ」というものは、われわれの子供時分までは「目指すべきもの」のひとつだったことを思い出し、心苦しく振り返りました。
美徳に対する意識はそれほど変わらなくても、道徳意識の希薄化を再認識させてくれる施設群と。
右は、創立時の理事オーガスト・カール・ライシャワー一家が暮らした建物で、現在は外国人留学生の交流の場とされます。1905年宣教師として来日し、18年本学を設立し代表となり(新渡戸稲造は学長)、終戦後の帰国中に日本から勲章が送られます(この政府の姿勢は素晴らしい)。
その名と時代が一致しないのは、彼の次男で駐日米国大使を務めた(1961〜66年)エドウィン・オールドファザー・ライシャワー(リンク先の画像はひどいが、日本語の挨拶は素晴らしい)と混同するためですが、現在も好印象を持つ日本人は多いように(散策する様々な場所でライシャワーの名をよく目にします)。
その名と時代が一致しないのは、彼の次男で駐日米国大使を務めた(1961〜66年)エドウィン・オールドファザー・ライシャワー(リンク先の画像はひどいが、日本語の挨拶は素晴らしい)と混同するためですが、現在も好印象を持つ日本人は多いように(散策する様々な場所でライシャワーの名をよく目にします)。
右は全面芝のグラウンドで、目にした瞬間「歩きたい!」と足が動き出します。芝がキレイなのは、体育の授業がない? ことや、運動系のクラブ活動が限られるためかと。ラクロス部の模擬店を見かけましたが、ダンスサークルのヒラヒラに引かれる女子の方が多そう。
いまどきミスコンは観客動員の目玉ですが、「いい男を呼びよせたい!」ではなく、掲示板で目にする「女性学」等の一環として、大学側も認めているのかも……
プロテスタントの、「聖書以外に頼るものなし」という清貧さを表現するようなキャンパスは、とても魅力的と感じました。
いまどきミスコンは観客動員の目玉ですが、「いい男を呼びよせたい!」ではなく、掲示板で目にする「女性学」等の一環として、大学側も認めているのかも……
プロテスタントの、「聖書以外に頼るものなし」という清貧さを表現するようなキャンパスは、とても魅力的と感じました。
追記──TVドラマ「少年寅次郎」終了
車 寅次郎の幼少期の物語なので発展性はありませんが、原作は山田洋次「悪童(ワルガキ)小説寅次郎の告白」ですから、のちの寅さんにつながるエピソードが散りばめられており、それを味わうことは新たな発見なので、とても楽しめました。
寅次郎役の子役たち(2人)が、渥美 清さんにつながる存在感を見せる姿には感服させられたし、さくらが幼少期から兄を慕う姿には、倍賞千恵子さんにも負けない健気さがありました。
山田洋次さんが映画では難しいため著作とした物語は、TVドラマとして山田さんの目の黒いうちに実現できたことで、作品の完成度を高めたように。
本作も当然、柴又駅での別れで終わることになりますが、その場面が「To be continued…(つづく)」の意味だったことに、初めて気づきました……(最後の作品にはなかった気がします)
つづきである、第1作が無性に観たくなりました!
車 寅次郎の幼少期の物語なので発展性はありませんが、原作は山田洋次「悪童(ワルガキ)小説寅次郎の告白」ですから、のちの寅さんにつながるエピソードが散りばめられており、それを味わうことは新たな発見なので、とても楽しめました。
寅次郎役の子役たち(2人)が、渥美 清さんにつながる存在感を見せる姿には感服させられたし、さくらが幼少期から兄を慕う姿には、倍賞千恵子さんにも負けない健気さがありました。
山田洋次さんが映画では難しいため著作とした物語は、TVドラマとして山田さんの目の黒いうちに実現できたことで、作品の完成度を高めたように。
本作も当然、柴又駅での別れで終わることになりますが、その場面が「To be continued…(つづく)」の意味だったことに、初めて気づきました……(最後の作品にはなかった気がします)
つづきである、第1作が無性に観たくなりました!
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