2019/12/09

ここより武蔵野──三鷹

2019.11.24【東京都】──地下鉄 東西線を歩く_53

 吉祥寺までとは違う空気感が漂う駅前では、「武蔵野へようこそ」と三鷹の森ジブリ美術館行きのデザインバス(残念ながらネコバスではない)が迎えてくれます。



 JR三鷹駅は1930年(昭和5年)玉川上水の上に開設されます(上は南口側に架かる三鷹橋と停車中の総武線各駅停車)。この立地は、上水を境界とする北側の武蔵野村と、南側の三鷹村への仲裁案とも思えますが、武蔵野村にはすでに吉祥寺駅がありました。駅の前進は三鷹信号場・電車庫とのことで、位置関係から決められたのか?

 駅を含む南側の連雀町は、江戸時代の大火で被災した神田連雀町(現在の神田須田町・神田淡路町付近)住民の移住地とされた地域で、神田にも連雀町ゆかりの名が残ります。
 右は北側の暗きょを整備した遊歩道。

 駅前から水路と遊歩道が続く光景は武蔵野のイメージに重なり、吉祥寺周辺の善福寺池・井の頭池に感じた「らしさ」が、「ここから武蔵野」の印象に変わります。
 玉川上水は、2003年国の史跡(土木遺産)に指定され、清流復活事業として下水の高度処理水を小平監視所(立川市)から流すことにより、流量を保持しています。
 近くにある境浄水場は、村山貯水池(多摩湖)山口貯水池(狭山湖)の水を引き入れるように、武蔵野は多摩と都心をつなぐ重要な役割を担います。
 武蔵野市は独自の市営水道を運営するので(井戸水の汲み上げ)、浄水場の水は給水されないそう。


 上は、今回目指した地下鉄東西線の西端となる三鷹車両センター(奥の水色の車両が東西線で、深川車両基地が整備されるまでここを使用)。立ち位置は三鷹電車庫跨線橋(車庫と中央本線をまたぐ歩道橋)の上で、この日も子供連れが見られるように、鉄道ファンでなくても結構楽しめます。
 右の南側の階段を歩く太宰 治(三鷹在住)の写真が案内板にあるように、以前から名所(?)だったらしい。
 北側には、1951年国鉄スワローズ本拠地を目指した武蔵野グリーンパーク野球場に向かう、武蔵野競技場線の痕跡が残ります(旧中島飛行機の引込線跡を利用)。


 この日、三鷹中央通り商店街では「星マルシェ」が開催されています(毎月第4日曜にMマルシェ(三鷹マルシェ)を開催)。三鷹で星といえば国立天文台で、三鷹に関わるものは何でも宣伝しながら盛り上がろう、との趣旨はいい取り組みと。
 はてと振り返ると、天文台でもっとも近い三鷹天文台には行ったことがなく、スポッと抜けていたことに気づきます。隠れ天文ファン気味ではあるものの、何かのきっかけでスイッチが入ると盛り上がれるので、近いうちに機会を作らねばと……


 太宰 治、森 鴎外の墓がある禅林寺に初めて足を運びました。黄檗宗とのことから、本山とされる京都の萬福寺が思い出されます(独特の雰囲気があった)。
 鴎外の墓は関東大震災後に移転したものですが、太宰の墓設置には檀家から猛烈な反対があったそう。両氏の小説には、読後の強烈なインパクトが残っており、感受性豊かな時分の読書の大切さを改めて感じます。
 上は隣接する八幡大神社で、灯りがともされる提灯が神社らしい風情です。


 「地下鉄 東西線を歩く」はこれで終了になります。
 同一路線ながら、西葛西からは都心を横断することになり、様々な境界線(隅田川、神楽坂、中野 等)を実感することができました(やはり三鷹は遠かった…)。
 都心西側で育った者が東側で暮らすようになり、その地から西側を見上げると、武蔵野台地の安定性(地盤・水害に対する安心感)を再確認するとともに、関東大震災後の民族大移動の心境(いつの世も便利さに惑わされてはいけない)を理解できた気がします……

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