2020/03/23

ハングリー精神を生んだ──三ノ輪橋

2020.3.15【東京都】

 電車の始発駅でも「一本待って座っていくか」の選択はなかなかできませんが、都電モードが入ると普段とは違う「ゆとり」を持ちたくなります……



 上は、都電に平行するアーケード街のジョイフル三ノ輪(三ノ輪銀座商店街)。荒川線の前身である王子電気軌道飛鳥山下~三ノ輪間(三ノ輪線)は、1913年(大正2年)に開通し商店街は19年に開業しますから、都電と共に歩んできたと言えます。
 砂場総本家(そば屋)等、歴史ある店舗も少なくなったようですが、味噌樽を並べる店(右)が健在です。お気に入りの味噌や合わせ方(ブレンド)で、好みの味を作り出すのが日本料理の楽しさと理解していても、実現できるのは時間にゆとりができてからと考えると、とても贅沢なことに思えてきます……

 右は、昔ながらのパーラー(喫茶店)のショーウインドーで、品名と値段が大きく書かれたピンクの札は、昭和的なオールドスタイルに見えますが、とてもわかりやすいと感じます。
 ガキ時分のデパートの食堂等では、子供にもわかるように「お子様ランチ」と大きな表記があり、それを目にして指差していたんだろうと。子供にとっては、社会との最初の接点だったように思えますが、それが店側の戦略だったんでしょうね……

 都電やアーケード街の背後も、区画は整理されていないようで、以前からの区割りに沿って新しい住宅が密集しています。そのおかげか小さな子どもたちを多く見かけ、下町の猥雑さを継承する若者たちが育てば、まだまだ下町はすたれないとの頼もしさを感じます。
 近所付き合いは気軽そうで、暮らしやすそうな町だからこそ、一人暮らしの年配者も安心して生活できるようですが、狭い路地まではサポートが行き届かないため、玄関前の側溝のわずかな段差に難儀する姿を目にします……

 三ノ輪橋は、かつて付近を流れていた石神井用水(音無川:王子で本流から分かれ、田端、西日暮里、日暮里のJR線沿いの崖下を流れる)に架けられた、日光街道の橋の名称。付近で枝分かれした流れに、泪橋が架かる思川があり、漫画「あしたのジョー」の舞台とされました。
 「巨人の星:町屋」「あしたのジョー:山谷」の原作者である梶原一騎は、ジョーのエンディング(?)に描かれたガスタンク周辺の出身とされ、もうひとつの代表作「タイガーマスク」の舞台も近くとすれば、ハングリー精神を生んだ地と言えそうです。

 思川、泪橋の名称は、江戸時代、南千住駅近くに小塚原(こづかっぱら)刑場があったことによるもので、刑場に連行される罪人の家族が涙しながら、橋の手前で別れを惜しんだとされます。
 三ノ輪橋付近で枝分かれしたもう1つの流れは、隅田川の治水事業として築かれた日本堤沿いの山谷堀で、吉原遊郭への客を運ぶ水路として賑わったそう。
 町から離れた場所に設置したい施設が、水害常襲地域に集められましたが、人口増加に対応する宅地開発のために環境が整備されることになります。

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