2020/08/10

帰りたくても帰れない、でもGo to?──京島

2020.8.1【東京都】

 関東はこの日梅雨が明け、久しぶりに明るい空の下を歩き、気持ちも表情も晴れ晴れとしましたが、感染症警報は明ける気配がありません……

 曳舟駅(東武線、京成線)は東京スカイツリー駅&押上駅の隣駅で、見上げるスカイツリーがほどよい高さにそびえるため、歩きながら見上げる姿が「田舎もんに見られそう」とも。
 駅周辺にニョキニョキ高層マンションが並ぶ様は、場所柄に似合わない気もしますが、開発予定地と思われる広い駐車場が待機中のようです(カメラ位置)。

 駅南東側の京島地区は、空襲被害から奇跡的に焼け残った地域で、戦前の木造住宅や狭い路地に下町風情が残りますが、住民からは住環境の改善、災害対策が求められていました。
 旧曳舟川の水運を利用したと思われる工場が駅周辺にあり、公団住宅や曳舟文化センター(資生堂石鹸工場跡地)建設から再開発が始まるも、バブル崩壊で一時停滞したそう。
 明治期には大都市近郊である周辺に、花王、ライオン、カネボウ(都営白鬚東アパート付近の鐘ヶ淵の地名に由来)等の工場が作られました。映画『下町の太陽』(リンク先予告編:デジタルリマスターのおかげでキレイ)の倍賞千恵子さんは、資生堂の石鹸工場で働く設定だったそう。
 前回の訪問は2009年で(そんなに経つのかと…)、もう何処を歩いたのかもわからないほど変わっています(忘れているだけかも)。整備された道路沿いに点在するコミュニティー住宅(高層ではない集合住宅)に、元の住民が暮らしているようで、消防車が入れる道路整備、公園や広場(広くはない)が確保され見通しがきくようになり、以前より町の印象はとても明るくなったと感じます。
 住民にとっての安心につながりますが、訪問者の目には「他と同じ様な町になってしまった」と映ります……(失礼)
 上は、商店街から少し離れた、人だかりのある鮮魚店。
 右は、明治通り沿いの長屋商店の建物。

 付近のキラキラ橘商店街(2枚目:以前この通りにあった映画館「橘館」に由来)には活気があり、いまも気の置けない社交場(下町コミュニティ)らしく、通りの情景は変わらないように見えます。
 古くからの商店街では定番の、お年寄りファッションの店も多く、「サッチー着用」の派手な柄の服がまだ飾られています。奧さんに先立たれてから野村克也 氏は、生気を失ったように見えました。
 右の物干しは使えそうに見えますが、竿をしまう場所はないでしょうから、使われてないように……

 右は、三輪里稲荷神社(こんにゃく稲荷)の入口にある木材倉庫(かなり立派)。現在も下町の広い範囲で材木店をよく目にするのは、江戸〜昭和期の旧木場から水路により木材運搬できた場所柄のためかと。他では少なくなりましたから、地域の特徴として印象に残ります。

 各地の神社は、コロナ禍で祭り行事等が開催できないため、ダメージはとても大きいようです。「疫病退散」ののぼりを見かけ、近頃は真っ先に「感染収束」を祈りますから、「コロナ退散」を祈る場を作り、大勢の気を集めて欲しい! と思ったりします。勝手ですが、いまこそ「困った時の神頼み」をしたい! と……


「帰りたくても、帰れない」切なさ

 「民族大移動」とされるお盆の時期に響いたのが、中国地方知事会のメッセージです。
「あなたの家族、親戚、友人には、身近な人からの感染に不安を感じている方がいるかもしれません。ふるさとへの帰省について、もう一度家族と相談してみてください。」
 心に語りかける「生きた言葉」と感じました。
 「帰ってくるな」と言いたい人、言われたい人はいません。「心配だから」と真剣に話し合う家族がいる一方で「Go to」を継続する姿勢は、「観光関連の経済活動をする人は感染の覚悟を持つように」とされるようで、政府の本音が見える気がしてきます……

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