2020/08/03

判断ミスが生んだ危機──白鬚

2020.7.24【東京都】

 都内の感染者数が増えてきたので、都心を避けるルート(西葛西〜亀戸:都バス、亀戸〜曳舟:東武亀戸線)を試してみると、緊張しない移動の楽さが実感できました……



 上は、旧綾瀬川(隅田水門の西側)と隅田川の合流地点(かつてはこの上流が荒川、下流が隅田川とされたそう)にある造船工場。奥は京成線 関谷駅、東武線 牛田駅近くの工場跡地に整備された高層住宅で、以前は隅田川沿いの船着場(荷役場)まで東武貨物線が敷かれ、対岸の隅田川駅(貨物駅)にも旧国鉄時代は水扱積卸場(船着場)がありましたから、造船工場があってしかるべきとも。
 荒川護岸に守られる場所柄は、工場にとっても安心材料ではないか。


 手前は、隅田川沿いにある隅田川神社(川沿いの守り神「水神さん」で、上述の造船工場も参拝するのでは)の鳥居で、背後には火事の際にファイアーウォール(防火壁)の役目を担う、都営白鬚東アパート(防災団地)が立ち並びます。参道は建物の接続部を通されますが、非常時には防火扉が閉められます。
 目的は、建物反対側(隅田川沿い)の東白鬚公園を、4万人が避難可能な防災公園とするためで、神社の社殿も守られます。手前側の墨田区墨田周辺には木造住宅が密集するので、火災発生時には役割を果たしてくれそうですが、実証される事態が起こらぬことを……
(上写真はわかりづらく、このアングルしか撮らなかったのは失敗でした)


 右の白鬚神社は、951年良源(「おみくじ」の創始者とされる)が滋賀白鬚神社(琵琶湖に鳥居がある)の分霊を祀ったことに始まるそう。絵馬は干支(子:ねずみ)の輪郭だけで、表情を描かせる趣向とされ、書く側も目にする側も笑顔になれる、素敵な取り組みと。

 上の白鬚橋は神社にちなむ名称で、1914年(大正3年)基金を募り木造橋が建造されますが、関東大震災後の震災復興事業で現在の橋に架け替えられます。奥は「あしたのジョー」「巨人の星」に登場した南千住のガスタンク
 表記は「髭:くちひげ」ではなく、「鬚:あごひげ」。

 江戸時代に開園した右の向島百花園(仙台の骨董商 佐原鞠塢(さはらきくう)の梅園)の売りは、「春の梅」「秋の萩」のため、この季節は緑を楽しむことに。
 周辺の家並みは建て替えでキレイになりましたが、狭い区画に密集するため、大型の消防車は入れない路地が多いく、強風時の火災では糸魚川市大規模火災(2016年)のようなおそれがあります。

 百花園から曳舟駅に向かう地蔵坂通り商店街には、華やかさはないも元気な様子がうかがえます。曳舟とは、現在の東武線、京成線駅の間を通った旧曳舟川で、人が乗る舟を岸から曳いたことに由来し、人気があったとのこと。


判断ミスが生んだ危機

 「イベント等の制限緩和」に対して「まだ早い」とした人が多かったように、心配していた事態が進行しています。火がくすぶるのに、活動を再開すれば炎上するのは自明の理です。専門家の警告通りの経過を目にしても、耳を傾けようとしない政府の対応や、「国のお墨付き」と気を緩める国民の行動にガッカリさせられましたが、経済活動というものは、社会道徳ではなく損得勘定に魂を売ることで成立するようです。
 重症患者数、死者数を判断基準とする前に、未然に防ぐ対策を打ち出せないのは(対処しかできない)、自分(家族を含め)のこととして受け止められない立場(ポスト)が、国の中心にあるためではないかと。だとすれば、とてもおかしなシステムです。
 すでに危険信号ですが、Go with CORONAスタートから2週目となる、週末の状況が心配でなりません……

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