2020/11/23

川も町の一部──本所

2020.10.31【東京都】

 業平橋(なりひらばし)から本所を歩きますが、隅田川沿いの「隅田川テラス」では工事中のため、階段がいくつも閉鎖され堤防を越えられず、延々と川沿いを歩くことに……


 とうきょうスカイツリー(旧 業平橋)駅前の北十間川に架かる橋は東武橋(東武鉄道本社があった)で、業平橋は現在の大横川親水公園に架かる橋(右写真の鏡像では左上側)。
 公園にあるスカイツリーへの道を映す大きな鏡は、このように利用するようで、子供連れでにぎわいます。

 スカイツリー、ミズマチ、浅草 等の観光地に足を運ぶ人たちは、マスクをしていれば密は気にならないようで、マスク越しに笑顔がうかがえますが、感染が急速に拡大したのはこの時分ではないかと(遊びに来ていればゆるむのも当然か?)。
 ゆるゆるの人混みをかわしながら隅田川へ向かいます。
 吾妻橋(上:リンク先はきれいな夜景)は、雷門前を横切る道と、アサヒビールのビルのたもとを結びます。浅草の対岸で人も少ないため、まばゆい川面をまったりと眺められます。
 明治期の洪水では、上流の千住大橋から流された橋桁が橋脚に衝突し、一緒に流失してしまったそう。少し前までは、木造の橋だからと思ったでしょうが、集中豪雨で鉄橋が流される状況を目にした現在は、当時のショックを理解できる気がします。

 川沿いに整備された隅田川テラスの人出は、普段と変わらない様子に見えます(散歩やジョギングする人はパラパラ程度で密ではない)。午後の散策には、日の当たる墨田区側(東側)が心地よく、いい感じに陰る駒形橋(上)はグッドタイミング!
 普段から隅田川に感じるのが橋の多さで、川・橋と同様に、川向こうも身近に感じられるまちづくりは、近隣に暮らす住民にとても大切な環境ではないかと。
 右の厩橋(うまやばし)の本来の色は、もっとシックな深緑です。架橋前(1874年:明治7年)の渡し舟は転覆事故が多く、「三途の渡し」と呼ばれたとか……

 本所の名称は、幕末期に韮山反射炉(日本最初の溶鉱炉:静岡県伊豆の国市)や、お台場を建造した江川太郎左衛門の屋敷(本所)があったことに由来するそう(古くは荘園制度の「ほんじょう」)。
 以前は本所区(墨田区南部)とされ、関東大震災の火災でほぼ全滅、空襲でも甚大な被害を受けた印象が強く残ります。それゆえ街区はきれいに整備され、見通しのいい町並みになりますが、各家の区画は以前同様の狭いままに見えます。暮らしやすそうなので、部外者が意見するものではないと。
 右は、使われてない倉庫の扉のようですが、シャレています。



 世代的にアポロ計画時代の、モコモコの宇宙服や、無数のボタンが並ぶ制御ボードに心踊ったものですが(ウルトラマン世代)、最新の宇宙スーツ(スターマンと呼ばれるそう)や、タッチパネルのディスプレイ制御のスマートさに、「映画のようなカッコよさ」と目を奪われました(スターウォーズ公開時分は、インベーダーゲームのような画面に熱狂していた)。
 最新の宇宙船はこうでなくちゃと、若い世代は当然のように受け止めるでしょうから、ウルトラマン世代と違いスターマン世代は、きっとスマートな大人になるのだろうと……


「Go To トラブル見直しのスピード感

 彼らが好んで用いる「迅速」「スピード感」が、連休明けをターゲットとしたのは、目標とする売り上げ達成のために、「連休営業で巻き返し!」と考える企業と同じではないかと。内閣評価に重視される数字挽回に、譲れない期間と考えたように感じます。
 評価は本来国民がすべきですが、不安の声に耳を傾けようとしない態度は、前任者から受け継いだようで、「国難」の表現も次の後継者へたらい回しにするつもりだろうか。
 国民の関心は、忘年会・クリスマスではなく年末年始を見据えているのに、「これじゃ、今年は難しそう…」との落胆が広がったのではないか……

0 件のコメント: