2020/11/02

下町育ちの清々しさ──稲荷町

2020.10.18【東京都】

 地下鉄銀座線 稲荷町の駅名・旧町名の由来は、以前下谷稲荷明神社とされた下谷神社によりますが、町名は変更され東上野とされます。


 以前上野駅に近い昭和通り沿いには、オートバイ関連店が軒を連ねるバイク街がありましたが、現在は数えるほどしかありません(バイク人気は1980〜90年代がピーク)。
 わたしも86年オフロードバイクに乗る際、ヘルメットやジャンバーを買った記憶があります(バイク通勤ができなくなり、5年程度でフェードアウト)。
 バイクは確かに危険ですが、車では味わえない「叫びたくなる瞬間」を体感できます。その分、体への負担も大きいため、よくカゼをひいた記憶があります。
 オヤジたちが、ゆったりと走る姿はカッコイイと感じますが、「体力あるなぁ〜」と……

 右は、地下鉄銀座線の車両基地で、カメラ位置の道路を横断して地下に入ります。線路脇から電気を供給するため(パンタグラフは無い)、感電事故防止のため地下鉄側に踏切がある軌道遮断式は、日本ではここだけらしい。
 日本で初めての本格的な地下鉄で、線路幅の広い標準軌が採用されたのは、東京メトロでは銀座線と丸ノ内線だけ。

 線路脇で電車が来ないと不満げな子どもに、母親が「上野始発の電車じゃないと通らないのよ〜」と、スマホで時刻表を調べる姿に、さすが地元の方はわかってらっしゃると……(お母さんも以前はそうだったのかも?)


 上の旧下谷小学校は、関東大震災(大正12年:1923年)後の復興期(昭和3年:28年)に建てられ、地下鉄銀座線(27年)、解体された同潤会アパート(29年)、旧下谷区役所(現 台東区役所:30年)が竣工したように、町全体が同時期に再建されました。
 90年に清島小学校と合併し上野小学校(清島小学校敷地に移転)となりますが、現在も校庭は駐車場、建物は倉庫(?)に利用されています(中をのぞいてみたい)。この先も、建物を活用しながら残されればいいのですが……


 右の下谷神社前で突然「さっき比留間歯科(上)の写真撮ってたでしょ!」と、下谷育ちの方に声をかけられます(旧下谷小学校卒業生だそう)。圧倒するような大きな声ですが、ひとなつっこい話し方に引き込まれ、様々な情報を(天海祐希の実家がある:下町育ちに納得。ビートきよしが住んでいた:それも自慢らしい)。
 前回訪問時は祭礼だったと話すと、今年の中止を膝を叩いて悔しがり、ちょうど縮小開催される三社祭の雰囲気だけでもと見学に来る、チャキチャキの祭り好きでした。
 思いをすべて表現する習慣を身につけると、肩がこらないというか、清々しくも感じられ、それが下町育ちの魅力かと……


 上の稲荷町駅の出入り口は開業当初のデザインだそうで、いまどきの街並みでもひときわ目を引く存在です(寅さんの背広のような柄とも)。

 以前の空気感が残る地域として開発への抵抗は可能でも、建築物には老朽化が迫ってきます。存続を願っても補助してもらえない建物は、櫛の歯が欠けるように失われていく様子を、指をくわえて見ているしかないのでしょうか……

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