2013/04/29

「路地の魔法」に覚える郷愁──門前仲町

2013.4.14【東京都】──大江戸線を歩く_1

 今回から都営地下鉄「大江戸線」沿線を歩きます。
 以前越中島を歩いた際、付近は門前仲町の生活圏内と知り足を延ばそうとするも、またの機会にゆっくりと考え「ならば次は大江戸線沿いを歩く?」がきっかけです。
 自分も含め、新宿〜汐留間は乗ってもその先は…… という方への案内が目標です。

 本来は最寄りの大門駅からスタートですが、大門汐留築地市場勝どき月島は先日歩いたので、門前仲町駅からスタートします。


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門前仲町(Map)

 門前仲町の街灯上には「纒:まとい」が飾られます。
 派手ではないので、地元の人々が「祭りまであと○○日」と、街灯を見上げて発奮するための存在、という気がしてきます。

 先日歩いた永代橋の対岸に立つと、江戸市中からは隅田川の「川向う」ですが、自分には下町側の意識の方が理解しやすいようで、川向うから都心を見上げる方が「地に足が付く」ような印象を受けます。

 でもこの日を振り返ってみると、町に降り立った瞬間から「路地の魔法」に引き込まれていたようです……

 本日のメインである「名も無き路地」に足を踏み入れた途端、緊張が解き放たれ、またたく間に風景にとけ込むような感覚があります。

 住宅の建て替えはあるも、以前と変わらず間口の狭い土地で窮屈そうに並ぶ家並みに安どするようです。
 人の尺度の基本は「身の丈」ですから、家・敷地・道路のサイズが、両腕を広げた単位で採寸できそうな場所には親近感が持てる、という説明で伝わるだろうか?

 そんな心象は海外の人も同じようで、全国展開らしい「Sakura House:海外の方向けのシェアハウス─バス・トイレ共同」が立地します(右は別の建物)。
 また、「明るいうちは外出禁止!」のオカマが平然と歩く、下町の居心地のよさに甘える連中が群がる「猥雑な町」の印象は、江戸時代と変わりないようです……


 門仲らしい辰巳新道の横丁で想起したのが、映画『異人たちとの夏:1988年大林宣彦監督 山田太一原作』で、脇道から故人がひょっこり顔を出したら「久しぶり!」「飲もう!」の呼吸で、ちょいと一杯行けそうな幻想を抱きます。

 気軽そうな横丁でも個性があり、こちらも「横丁モード」にスイッチを切り替えます。
 最初は周囲の様子をうかがいながら、盛り上がっても飲み過ぎるな、程度のものですが、店・客共に「To be continued…」程度がころ合いなんでしょう……


深川不動堂(Map)


 上は2011年完成の本堂で、外壁に梵字(ぼんじ:不動明王御真言)の装飾があります。
 読めないせいでカッコイイと感じるにしても、金文字以外は文字が重なるため判別できず、カラスの羽が舞うように見えます(それが狙いだったりして?)。

 本堂内の護摩祈祷では、密教系(真言宗:空海)の派手なパフォーマンスで大太鼓が打ち鳴らされ、全身を揺るがす振動で邪気が払われるような心地よさがあります。
 読経もパーカッション付きの「音楽」と考えると、心の支えを求める方にはとても魅力的に響き、心をとらえるのでしょう。


富岡八幡宮(Map)


 富岡八幡宮の祭礼で、江戸三大祭りのひとつともされる深川祭ですが、江戸時代には見物客の重みで永代橋が崩れ落ちたとの記録があります。
 また近年では、日本最大の神輿を作ったものの大きすぎて表に出たのは一度きり(1991年)で、それ以後は展示品とされる大神輿があったりします。
 氏子衆は「粋ってのは、花火みたいに上げりゃ気が済むもんよ」と納得し、「ビジョンの欠如」などとは考えず、「日本一に、何か文句あるか?」なのでしょう……

 この地で思い浮かぶのが、東京大空襲後の焼け跡を訪れた昭和天皇の「これで東京もとうとう焦土になったね」の言葉です。
 その思いは、これからの天皇も心に留めてもらわねばなりません……

 注:ここはフジの花の名所ではありません(近くでは亀戸天神が有名)。


 上は、富岡八幡宮近くにある「弾正橋(だんじょうばし)」で、日本最古の鉄橋として国の重要文化財に指定されます。
 カメラの背後にはマンションが並びますが、八幡宮側(橋の奧)のこだわりがあるような日本家屋に、ホッとしたりします(店舗的な建物か?)。

 以前付近には、京都の三十三間堂を模した建造物があったそうですが、火事の多い江戸では灰に帰した後、再建されることはありませんでした。


 奧で大通りに接する路地で遊ぶ姿。
 広場と違い路地遊びでは近所仲間と遊ぶため、路地仲間とのつながりが強い地域ほど、将来の町内会活動が活性化しそうに思えます(少子化から女の子も実家に残りそう)。
 成長に伴い、この先に出会う仲間たちが世界を広げてくれたとしても、路地で近所の仲間と遊んだ記憶は「社会の原点」として忘れられません。
 「何が楽しい?」の問に「路地遊びが楽しい」の答えでしょうから、次の世代にも伝えたい思いは受け継がれることでしょう。

 さまざまな理由で以前の景色が失われてしまいますが、奇跡的に記憶と符合する景色と再会した際には、「残して欲しいなぁ」と思う年齢となりました……

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