2009/12/14

落ち葉から、クリーンエネルギーを!

2009.12.6
【東京都】

 都内では、紅葉の見頃も終わりに近づいてきたので、今回は落ち葉をテーマに歩きました。
 「葉っぱがお金に化ける」昔話ではありませんが、膨大な量の落ち葉を目にすると今どきの願望として、この落ち葉を燃やすのではなく、クリーンエネルギーとして活用する技術が生まれないだろうか? そんな空想をしたくなります。
 落ち葉がエネルギー源となったなら、皆こぞって樹木を育てるようになるでしょうから、温暖化対策のひとつの柱となるようにも思えます。
 だなんて、小学生の夢物語の作文のようですが、近い将来に実現するかも知れませんから、期待を込めて待ちたいと思います……


 新宿御苑(Map)


 人が多いことは仕方ないのですが、ついでに立ち寄れる公園として、都心にこれだけ立派な施設があるのですから、利用しない手はありません(入園料200円)。
 それでも近ごろ訪問回数が減ってきた理由を考えると、新宿に映画を観に来なくなり「ついでの元」が減ったからのようです。
 近ごろでは、都心周辺の中核都市に「シネコン(シネマコンプレックス:同一の施設に複数のスクリーンがある映画館)」が増殖し、スクリーン数も多いので、マイナーな作品も都心以外で観られるようになりました。
 最近は、川崎、横浜の映画館で、観たい作品の95%くらいは観られるようになりました(都心に比べれば混雑してませんし)。

 個性や雰囲気を持つ、かつては「劇場」と呼ばれた施設が次々姿を消した今どきでは、都心の映画館はステータスでは無くなってしまったようです(日比谷シャンテ付近にあった「有楽座」のロビーにあったシャンデリアや、反対側にあった「スカラ座」の石造りの階段等が、強いインパクトとして残っています)。
 渋谷はメジャーからミニシアター系作品まで、守備範囲が幅広いのでたまに行ったりしますが、銀座方面は皆無となりつつあります。
 なので、新宿御苑にも増して、日比谷公園はずいぶんとご無沙汰です。


 ここは、フランス式整形庭園とされるプラタナスの並木になります。
 勝手な思い込みですが、ここは映画『第三の男』のラストシーンを想起する場所で、この季節には大きな落ち葉をバリバリと、踏みしめて歩くのが好きだったりします。
 絵になる景色の中を、トレンチコートを着た女性が、映画のヒロインのように歩いていました。
 これはシャッターチャンスと思ったのですが、「何でここにそんな人種がいるの?」と思ってしまう様な、アキバ系的な若者たちに雰囲気を壊され(女性も遠ざかりますわね)チャンスを逸してしまい、ちょっと声を上げたくなりました。「枯葉は、萌え〜じゃないでしょ!?」
 ──アジアからの観光客が多かったので、ひょっとするとそんな人たちだったかも知れません。


 緑のオアシスなので当然ですが、落ち葉はもの凄い量に見えます。
 落ち葉を量る単位があるのか知りませんが、トラックだと何台分くらいになるのだろうか?(運び出さなくていいのですが)
 でも、冷静に考えてみれば、枯葉は落ちる場所を選ばないので、散らかった印象を受けるものの、東京ドーム何杯分まではないような気がします。
 すると、近ごろCMに登場の「レレレのおじさん」(松平健)が、何人いれば1日で掃きおわるか? というような、身近な単位になってくるのかも知れません(くだらん例えでスミマセン……)。
 でも今どきは、強力な風で落ち葉を吹き飛ばすハンディマシンがあったりします。
 確かに便利だとは思うのですが、ほこりも巻き上げるので、こっちに来ないでと思ってしまいます……


 今回テーマとしたかった「落ち葉をクリーンエネルギーにできないか?」について調べてみました。
 最も多かったのが「腐葉土作り」で、それ以外では「落ち葉プール」「カブトムシの幼虫を育てる」などで、革新的なものは見当たりませんでした。
 現状では、数年かけて堆肥化したものを、販売する等の利用法が現実的なようです。
 ちなみにカナダでは、落ち葉を指定されたゴミの日に出すと、落ち葉専用の収集トラックで堆肥処理場に運ばれ、数年後、堆肥化された土は「リサイクルされた土」の表示がされ、販売されているそうです。
 まずはそこからのスタートでも、将来的には映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に登場した、タイムマシンの燃料(映画ではバナナの皮などの生ゴミでした)のような利用法を目標に、研究してもらいたいと勝手に思っています。


 代々木公園(Map)


 前日の雨のおかげで、いつもほこりっぽい印象の公園を、気持ちよく歩けたと思える本日ですが、落ち葉遊びとしては「Good Idea !」と思える光景を目にしました。
 代々木公園の足下には、地下鉄千代田線が通っているため、その通気口が点在しています。
 その上に、イチョウの落ち葉を山のように積み上げて、地下鉄が通過するときの風(マリリン・モンローのスカートが舞い上がる風と同じ)によって、落ち葉を舞い上げようとする遊びです。
 電車が来るたびに子どもたちは、大はしゃぎで踊り出しますが、前日の雨のせいでしょう、葉っぱが湿っていてキレイに舞い上がらないようでした。
 ──地下鉄沿線に数ある通気口の中でも、公園一帯にある通気口の清掃は、ちょっと大変かも知れません……


 明治神宮(Map)

 何だか少女趣味的な絵柄になりましたが、被写体に手は加えていません。
 腰をかがめてウロウロと、怪しまれながら(?)結構探しました。


 仮に、落ち葉からクリーンエネルギーが生み出されたとすると、その時点から、山中の落ち葉が消えてしまうかも知れません。
 「おじいさんも、おばあさんも山へ落ち葉を集めに行きました」どころの騒ぎではなく、積極的に木を植えても供給が間に合わなくなるかも知れません。
 そんな時代には、杉を切った場所に落葉樹を植えるようになり、花粉症は減るのかも知れませんが、枯葉を根こそぎ持って行かれては、山の土壌がやせてしまい、植物の生育が悪くなり、水害が増える等の心配があります。

 近ごろわたしたちの自然との付き合い方は、「ここまでは大丈夫だが、これ以上はダメージを与える」という、「さじ加減」(付き合い方)ができなくなっているようにも思われます。
 そのしっぺ返しに「圧倒的な自然の力」である、自然災害(土砂崩れ、鉄砲水等)に見舞われてしまいます。
 それは、何でもお金に換算して考えようとする、現代社会の風潮そのものに思えてきます。
 お金に見えてしまうから、何でもしてしまい、揚げ句の果てには「○○ショック」のように、はじけて混乱を招いてしまいます。
 地球環境がはじけてしまったらどうするのか? 世界で話し合うはずの「COP15」の序盤は、非難の応酬のようですが、何とか知恵を出し合い、取りまとめてもらいたいものです。

 ならばやっぱり「お金に化けるのが一番イイ」なんて、海を挟んだ隣国の様なことを考えていると、いつか化けの皮がはがれて「お金が葉っぱに戻ってしまう」かも知れません。
 やはり現在は(いつの時代も)、将来にクリーンエネルギー化の夢を抱きつつも、次世代の草木に栄養が行き渡るような、土壌を育てていくべきなのでしょう。
 それが、れっきとしたクリーンエネルギーであることは、先人たちに育てられたわたしたちが証しとなるのだと思います。

2009/12/07

江戸庶民の行楽地──滝野川

2009.11.28
【東京都】

 現在滝野川という名称は、地名(北区滝野川)に対して使われています(概略として、JR王子駅・板橋駅・地下鉄西巣鴨駅に囲まれる地域)。
 室町時代以前には、現在の石神井川は滝野川と呼ばれていたそうです。
 当時の石神井付近は、人影もまばらだったと思われるので、「王子七滝」(現在のJR王子駅周辺)と呼ばれ滝の名所とされた、この付近での名称が定着したと想像されます。
 この付近は、明治時代に滝野川村、その後滝野川町となり、昭和には滝野川区とされたこともあるそうです。

 地下鉄南北線の、駒込と王子の間にある西ヶ原駅はピッタリと、独立行政法人国立印刷局滝野川工場の前に作られてあります(建設に融通の利く場所だったのかも知れませんが)。
 パフォーマンス的と思えた事業仕分けでの、「お札などは、都会で印刷する必要があるのか?」とのやり取りを思い出したりしました。
 確かに、新聞や週刊誌ではないのだから(搬入が数時間遅れただけで始末書などにはならないでしょうし)、そういう機能はできるだけ地方に移していくべきとも思われました。


 旧古河庭園(Map)

 この庭園は駒込に近く、地名は西ヶ原になります。
 1917年(大正6年)に造られた、古河虎之助男爵(古河財閥の3代目当主)の邸宅を、保存した施設になります。
 男爵とは、明治時代に制定された華族制度の最下位で、財閥家にも与えられたそうです。
 ちなみに後述の渋沢栄一は、公共への奉仕が評価され、その上の子爵を与えられます。
 それは、天皇(国家)から「あんたはエライ!」(古いギャグの引用で通じなかったらゴメンナサイ)と言われたことになるのでしょうから、現代では文化勲章か? とも思いましたが、比較対象とできる社会構造ではありませんでしたよね……

 この庭園の特徴としては、ジョサイア・コンドル(久々の登場ですが、東大の校舎旧岩崎邸、鹿鳴館等、西洋建築技術を日本に伝えた人物)設計による洋館(右上下写真のバック)と、前庭に広がるバラ園になると思います。
 花については全般的にうといのですが、バラという植物は園芸品種として、品種改良等がしやすい植物のようで、品種名表記だけではその意図が理解できない名称を見かけたりします(南半球には自生しないそうです)。
 ここには「プリンセスマサコ」という品種のバラがあるそうですが、最近は人気無いんだろうなぁ〜(失礼)。

 ここは何度も来ているのに、洋館内に入った覚えが無いと思ったら、往復葉書で事前の予約が必要なんだそうです。
 まあ、桂離宮(京都)ほどの倍率ではないにしても、日時を決められると行きづらく感じてしまいます。


 この庭園のもうひとつの特徴は、斜面を下った木立の中に日本庭園があることです。
 この庭園は、近代日本庭園の先駆者とされる小川治兵衛(おがわじへえ:幕末生まれで昭和まで活躍)によるものだそうです。
 平安神宮、円山公園(共に京都)などを手がけたそうで、この名前を記憶しておきたいと思い、書きとめました。
 これも治兵衛さんが持ち込んだのだろうか、大きな灯籠が点在しており、それぞれの存在感がとても印象に残ります。
 上写真は、どこかで目にしたような絵ですが、やはりその場に立つと撮ってしまうし、それが絵になるというのは、まさに庭師の術中ということなのでしょう……


 飛鳥山公園(Map)

 右写真からは趣旨が伝わらないとの反省から、説明させてもらいます。
 状況としては、このちょっと前に、もう少しお姉ちゃんの2人組がこの噴水のてっぺんで、水遊びをしていました。
 オイオイと思いながらも、シャッターを切ったわたしと同じように、興味を感じてしまった彼は、噴水に向かって行きます。
 お母さんは止めますが、言うことを聞く気配がないので、仕方なく靴を脱がせ、ズボンをまくり上げて噴水に入らせた、という状況になります。
 でも、お母さんの選択としては、どうなんでしょうねぇ? その後、風邪をひいてなければいいのですが……
 自分もガキの時分、そんなことをやっていたのだろうか?

 こちらには、自分の彼女か知り合いの女性をモデルにして、撮影をしているお兄さんがいました。
 雲が出てきてしまったのですが、レフ板(光を反射させて対象物を照らす板)を取りだして準備をしています。
 助手もいないのにどうするかと思ったら、あぐらをかいた自分の足で方向を調整していました。
 「必要は発明の母」と言うのか、表情の硬かった女性も、そんな滑稽な姿勢に笑いだし、緊張もほぐれていたようです。

 下写真は、以前訪れた旧渋沢栄一邸になります。
 日本資本主義の父と呼ばれる方ですが、当初は尊皇攘夷(反徳川幕府)側の考えを持っていながら、徳川慶喜の家臣となってさまざまな経験を重ねたようです。
 新しい会社が次々と作られた時代ですから、500以上の企業設立に関わったそうですが、財閥(上述の古河を含め)を作らず「私利を追わず公益を図る」との姿勢を貫いたそうです。
 初代紙幣頭(後の国立印刷局長)となった彼の志は、独立行政法人国立印刷局の組織を守ることに受け継がれているように見えてしまい、反公益的と思えてしまうのは、とてもおかしなことです。
 印刷所に隣接して大きな付属病院があります。病院が悪いとは言いませんが、経営・運営の実態(税金の使われ方)について明らかにされているのだろうか? そんな「いいがかり」的な疑いを持つ視線が、今どきの世間の見方と思います。
 渋沢栄一の生きた「希望の持てる時代」とは社会情勢は異なりますが、現代にも「私利を追わず公益を図る」人物が出現して欲しい気もします……
 ──期待は大きかったのに、何億ものお小遣いをもらっても「知らなかった」というお坊ちゃま感覚では、いくら耳が大きくてもこちらの声が届くとは思えません……(でも、頑張ってもらわないと)


 これまでは、駒込地域、王子地域という線引きで散策することが多かったので、駒込から王子までを、歩いてつなぐことがひとつの目的でもありました。


 金剛寺(紅葉寺)(Map)


 東京周辺の紅葉情報を調べていて、この寺の存在を知りました。
 都内にも紅葉寺と呼ばれるお寺があるのかと、期待を膨らませて門前に立ちましたが、瞬時に「過去の名声」であったことに気付かされます。
 金剛寺の名称通り、弘法大師(空海)の教えである真言宗のお寺で、源頼朝が鎌倉幕府を開く前に、この地に陣取ったとされています。
 江戸時代には、第八代将軍吉宗の命によってカエデが植えられ、そこから紅葉寺と呼ばれるようになりました。
 前述の飛鳥山公園、後述の弁天様と合わせて、江戸の観光名所とされたそうです。
 吉宗は、飛鳥山には桜を、この地にはカエデを植林したそうで、そこだけ見ると、何とも粋な殿様と感心させられますが、これは「享保の改革(きょうほうのかいかく):江戸時代の三大改革の一つ」の一環なんだそうです。
 ──分かりやすいところでは、庶民の声に耳を傾けるための目安箱の設置などがあります。


 岩屋弁天跡(Map)

 むかし、石神井川がわん曲して流れていたころ(江戸時代の以前のことと思います)、流れに削られたガケに「弁天の滝」が見られたようです。
 石神井川は、十数メートルの渓谷を刻み滝も数多く見られたそうなので、住宅が密集し河川改修される以前の姿は、現在の等々力渓谷的なイメージでしょうか。
 どうも明確な資料は見当たりませんが、江戸時代の古地図には、金剛寺の「松橋弁天」と、近くに「岩屋弁天」が表記されています。
 滝沢馬琴『南総里見八犬伝』(江戸時代)には、「滝野川なる岩屋殿」として登場しているそうです。
 八犬伝の記述は、岩屋弁天のようですが、古地図サイトに掲載されている広重の浮世絵を見ると、松橋弁天のようにも見えます。
 いずれにせよ、江戸時代この付近が大変にぎわっていたことは、確かなようです。


 上写真は、王子駅近くの音無橋になります。
 これまで、橋上の道と交差する本郷通り(都電の通る道)しか歩いたことがなかったので、深く刻まれた川面に続く橋下の光景に出会えて、とても新鮮な印象を受けました。
 隣接する飛鳥山公園との高低差は結構ありますし、この地形を生かして、桜やカエデが配された江戸の時代に、行楽地として持てはやされたことは、とても納得できる気がしました。

 飛鳥山というのは、滝野川のある「山の手」と、王子駅のある「川の手」の境にありながら、丘のような高台になっていますから、王子駅側から登るにはちょっと息が切れます。
 そこでこの7月に登場したのが「飛鳥山公園モノレール」です(無料)。
 16人乗りと、サイズは小さめですが、かなりの急勾配を登っていきます。
 瀬戸内や四国のミカン畑でよく見られる、果実運搬用のモノレール(と呼ばれること初めて知りました)の上に、ゴンドラが乗っているようなイメージ。
 あれなら、エレベーターの方が安く作れたのでは? とも思いましたが、景色が良かったりするのかも知れません。
 今度は乗るつもりで来たいと思っています。

2009/11/30

オアシスの風景──善福寺川

2009.11.21
【東京都】

 ひとたび真冬の寒さを経験してしまうと、防寒への意識が働くので、外出時には暖かめの服装を選択するようになります(新型インフルエンザへの意識もありますし)。
 若いころは、必要以上の汗をかきたくない気持ちから、少し寒くても我慢するつもりの服装をしていましたが、近ごろは寒さを我慢できないというか、少し冷えただけでも「風邪ひいたか?」と、ナーバスに感じてしまうところがあります。
 「まだ早いか?」と思いながらも、ダウンジャケットを着ることに抵抗感が無くなってしまったこのごろです……


 善福寺公園(Map)

 週末の井の頭(いのかしら)線は、こんなに混雑するのかと驚いていたら、東大駒場キャンパスにて駒場祭(教養学部等があり、1〜2年生が主体の学園祭)が行われていたようです。
 実行委員会のサイトでは、「来場者数は10万人を越える日本最大級の学園祭」と豪語していますから、迷惑ながらもこの混雑は毎年繰り返されるようです。
 若い東大生人気、恐るべし……

 善福寺公園は、吉祥寺駅の北側(井の頭公園とは反対側)にある、東京女子大の裏手に位置するので(徒歩約20分程度)、訪れにくい場所かも知れません。


 上写真の「マンガの吹き出しみたいなのは何?」と思っていたら、「トロールの森・野外アート展」の展示物なんだそうです。
 ──トロールとはノルウェーに伝わる妖精で、いたずら好きなことから、物がなくなると「トロールのいたずら」と言われるんですって。

 身近な公園で毎年イベントが開かれているのですから、近隣の人たちに受け入れられているのでしょう。
 とてもいいチャレンジだと思いますが、重要なのは作品の内容になりますよね……


 この善福寺池は、井の頭池(井の頭恩賜公園)、三宝寺池(石神井公園)と共に、武蔵野三大湧水池とされています。
 井の頭池からの流れは神田川、三宝寺池からは石神井川、ここからの流れは善福寺川になりますが、中野区付近で神田川に合流するそうです。

 広い公園ではないこと、交通の便がよくないこと等のおかげで、近隣住民の憩いの場として親しまれている印象があります。
 人の数もそれなりですし、静かな印象ですので、近場のオアシスを求める方には、オススメできると思います(バスの情報をチェックした方がいいでしょう)。


 この公園の特徴は、後述する湧水量の多さと、池の周囲に配されたベンチの多さにあると思います。
 写真のように、くつろげるスペースとして利用されるのはもちろん、高校のクラブ活動と思われる女子部員の集団が、背もたれや手すりのないベンチで、トレーニングをしています。
 彼女たちの使い方を見ていると、ベンチがトレーニング台のように見えてきます……

 幼少期、思春期のころ、恋愛時代、子育てのころ、そして老後と、近所で暮らしていたら、まさにこの風景の一部になるのだろう、と感じられる場面も多々見られました。
 右写真のおじいさん、聞いてるのか分かりませんが、手元のラジオをつけっぱなしで舟をこいでいるようでした……


 上写真の植物を、関東では「葦:アシ」と呼びますが、関西では「ヨシ」と呼ばれるそうです。
 「アシ」は「悪し」に通じるので、「良し(ヨシ)」と言い替えたのが定着したそうです。
 関西の呼び方には日本的な文化が感じられますが、それを気にしない関東の無頓着さは、前しか見ないバイタリティと感じられる気もします。
 分類的には、イネ科の「ヨシ属」とされています。
 ですが、パスカルの言葉は『人間は考える葦(アシ)である』(人間は葦のようにひ弱な存在だが、思考する点で他の生き物とは異なる)と記憶しています。
 これ、翻訳者が関東の人だったということでしょうか?
 でもこの言葉の趣旨からすると、「アシ:悪し」の方が、道徳心や反骨心から頑張れるような気がしてきます。


 水鳥を撮ろうとして逃げられちゃったのですが、いいモノが撮れました。
 中央付近に水紋が見えると思いますが、これは、わき水によるものだと思います。この池の湧水量はかなり多そうな印象を受けました。
 池の周辺ではちょっと分かりにくかったのですが、下流の川面からはその透明度がよく分かり、結構キレイな水であると感心しました。
 戻って調べてみたら、公園の脇には杉並浄水所があるそうで、池と同じくわき水(井戸)を水源とし、それを浄化して水道水に供給しているそうです。
 23区内で、井戸が水道水の水源とされているのはここだけなんだそうです。

 ここから川を下る途中の川底にも、わき水の様子がいくつもみられます。
 全体はコンクリートで固められていますが、その部分だけ地盤が丸く露出しているのが、お役所的な感性に思え「どんなセンス?」と首をかしげてしまいます……


 上はメタセコイアの葉です。
 この植物は大木でありながら、細かい葉をビッシリ身にまとっているので、遠くから撮ると「ボワーッ」とした絵になってしまいます。
 並木になっている場所等では、とてもキレイな絵になるので、一度チャレンジしたいと思っています。

 池の下流である善福寺川は、岸や水路もコンクリートで固められていて「神田川のようだ」(実際に神田川の支流)と思ってしまいます。
 住宅密集地を流れる川ですから、川岸が崩れないようにコンクリートで固めたい気持ちは理解できます。
 また、住宅街の路地を含めた道路も、アスファルトで舗装したい気持ちも理解できます。
 ですがその結果は、どう考えても、川に雨水が集中する構造になってしまいます。
 洪水発生が懸念される地域なので、地下調節池等が整備されているそうですが、それでも2005年(平成17年)には氾濫し、被害が出たそうです。
 これから温暖化に向かう時代には、これまで以上に大規模な洪水対策が必要になるのでしょう。
 確かに、目先の費用対効果の検証も必要ですが、下水道を含めた安全確保の対策を考えると、気の遠くなるようなお金がかかりそうです……


 善福寺川緑地公園(Map)

 善福寺川に沿って広がる公園で、共に都立公園である後述の和田堀公園とは、道路を隔てて接しているというか、連続しているような立地になります。
 整備目的や、時期の違いがあるのかと思えば、両公園とも同じ日に開園したそうで(1964年)、調べてもその境界線の根拠については見当たりませんでした。
 近ごろ、にぎやかであっても、単なるパフォーマンスに見えてしまう「事業仕分け」的に言えば、「担当部局が違うから、公園の名称を変えたのかぁ?」ってとこでしょうか……

 和田堀公園と同様、善福寺川が蛇行する場所に当たり、むかしから氾濫が繰り返された水はけの悪い土地を、河川改修により公園として整備したそうです。
 洪水時の調整池的な役目もありそうです。

 多目的グラウンドや、交通公園等、子どもたちを呼び寄せるような施設が整備されています。
 杉並区内では、この一帯が最も運動施設や緑の多い地域とされるそうで、確かに子どもたちの多い印象がありました。
 子どもたちも「オアシス」の意味を、体で感じ取っているように思われます。


 和田堀公園(Map)


 隣接する善福寺川緑地公園が、憩いの場的な施設とすれば、こちらはレクリエーション的な施設になり、野球場、陸上競技場、テニスコート、バーベキュー広場、サイクリング広場などの施設が整備されています。
 上写真の和田堀池は、カワセミが見られることで有名のようで、もの凄い望遠レンズを付けたカメラの三脚が並んでいました。

 まだ3時過ぎなんですが、西側に高台があって、日が陰ってしまいました。
 わたしはもう終わりの時間なんですが、カワセミマニアはこれからの夕暮れ時が勝負のようです。

 帰りの楽しみにしていた、永福町のラーメン屋「大勝軒」ですが、行列を目にして心折れてしまいました。
 久しぶりなので、並んでも食べたい、という味覚のインパクトが薄れていたのかも知れませんが、どうも養鶏場のニワトリのように、麺をすする気にはなれませんでした……


 追記
 大河ドラマ『天地人』が終わり、『坂の上の雲』が始まりました。
 直江兼続という人は、戦国時代〜江戸時代初頭においての重要人物であることは、とてもよく分かりましたが、歴史上のメインキャストではないために、主人公として描くのは難しい人物だったかも知れません(妻夫木くんは好演)。
 しかし後者の主人公たちも、万人が知るところの人物ではありません。
 ですが第一回から、明治という時代背景や、日本のおかれた状況や国民の気分というものが、伝わってきたと思います。
 来年の『龍馬伝』で、幕末の革命についての知識を広めることも大切ですが、維新後の日本が、どのようにして欧米列強を目指し、富国強兵のスローガンを勘違いしていったのか、当時の日本人の心理や社会の気分を再検証することは、わたしたち国民の必須科目とも思われます。
 司馬遼太郎さんの世界を伝えるために、かなり脚本が練られている印象を受けましたし(脚本のクレジットには三人の名前がありました)、CGを使っているのでしょうが、絵作りもじっくり腰が据わっていると思います(大河ドラマより格段に上質)。
 とても楽しみなんですが、放映は3年にわたるので、気の長い話しになりそうですが、その間に原作を読むことを目標にして……

2009/11/23

冬支度前の楽しみ──昭和記念公園

2009.11.15
【東京都】

 この日のような暖かい陽気には、紅葉を楽しみながらも、気持ちでは冬支度を始める、そんなふうに季節感を楽めたらと思うのですが、いきなり寒い日がやって来たりします。
 「冬支度前」なんて書きましたが、最高気温が10℃以下という日もありましたから、もう寒い季節の扉は開かれているようです……


 昭和記念公園(立川)(Map)

 植物等の季節感が欲しくなった時には、この公園を頼ってしまうところがあります。
 所要時間も1時間程度で、四季を演出するための整備もキッチリ行き届いていますし、何といっても広々としているので、近場でリフレッシュするにはいい場所です。
 普段は入園料400円(ちょっと高い)ですが、この日は「天皇即位20周年」のお祝いのようで、無料開放されていました。
 現在は平成の時代なのにと思いつつも(この公園は昭和天皇の即位50年を記念して作られました)、素直に喜んで入らせてもらいました。

 今日の主題は、イチョウ並木だったんですが、もう葉が散っている……


 地面が黄色いので、葉がかなり散っていることが分かると思います。
 右写真の右側が西の方角になりますが、西側の並木はもう散っている状況だったので、両側に葉が残る場所を探すのは難しい状況でした。
 そのくせ、まだ緑の葉も残っているのですから、タイミングを狙うにしても難しそうです。

 天気も良かったので、モデル連れの写真撮影が行われていました(篠山紀信の屋外撮影でないのは残念?)。
 人出の多い中では関心を集めますし、男性としてはモデルの容姿に視線が向くわけで、アベックで来ていた彼が「趣味じゃないなぁ」と彼女につぶやく声も聞こえました。
 3〜4人いましたが、1人だけ可愛い娘がいました。事務所の戦略ですね……


 トイレの洗面台に「ここでギンナンを洗わないでください。排水が詰まってしまいます」の張り紙がありました。
 地面に落ちた実のニオイは強烈ですが、おいしいですよね。
 食べたくなってきました……

 イチョウの木は雌雄が別株であるところから、ギンナンの悪臭対策として雄株だけを植える研究がされていますが、種から育てると雌雄判明まで十数年もかかってしまうそうです。
 その対応策として、雌雄不明の若い株に雄の木を接木したものを植えているのだそうです。
 ってことは、将来街路樹下でのギンナン拾いができなくなるってことになります。
 まあ、町中では仕方ないところでしょうか……


 お母さんまで髪を振り乱して、バウンドしています。
 ここは「雲の海(ふわふわドーム)」とされる、巨大なトランポリンのような施設です。
 子どもが好きそうな施設に違いないのですが、みんな飽きることなく「Jump !」しています。
 きっと「ほこりセンサー」(そんなものがあれば)等で計測すると、もの凄い状況に思えますし、マスクしながら飛んでる子もいませんから、遊んだらちゃんとうがいをしようね……

 付近には、子どもたちがはしゃぎ回れる施設が集中しています。
 「霧の森」(人工的に霧を発生させる施設)や「虹のハンモック」(クモの巣のように張られたネット)等がありますが、公園の設計が見事なのは、周囲を森で囲んでいるので外周道路等、他の施設から見えないように目隠しをしていることです。
 子どもたちがどんなに大声で騒いでも、文句をいわれない防音効果となっています。
 また、森のすき間から聞こえる子どもたちの歓声は、シェイクスピアの『夏の夜の夢』等に描かれた、森の妖精たちの声を想起したりします。
 森を抜けて、声の主をたどっていくと、子どもたちはみんな怪獣だったりしますが……

 ガキの遊び場と、大人が楽しめる空間をキッチリと分けているのは見事と思いますが、それは広さがあるからできるのでしょうね。

 多様な植物が植えられている園内でも、晩秋の季節感は十分感じられますが、日本庭園ではかえでやもみじが見られます。
 ここ立川は郊外ですし、都内では寒い地域になりますが、もう十分な見頃と言えます。

 訪問の前日には、かなり雨が降ったこともありますが、道を外れて木々の下を歩くと、落ち葉に含まれた水分が「グジュグジュ」音を立てています。
 この公園も、落ち葉をちゃんと集めて土に戻すことにより、動植物が生息しやすい腐葉土作りを目指しているようです。
 まあ、これだけ来場者が多いのでは難しいかも知れませんが、将来はカブトムシやクワガタなどが暮らせるようになれば、しめたものと思いますが(目指していたりするかも……)。


 海外の方も多く訪れていましたが、中国・韓国からと思われる方も多かったようです。
 調べたところでは、韓国には紅葉狩りという習慣があるそうですが、中国は広いですから地域が限られるようです(中国では、大陸・乾燥気候により、紅葉の発色が良くない場所もあるそう)。
 それを踏まえると、平安時代から京都の上流階級でもてはやされた、紅葉を楽しもうとする造園の趣向は、韓国の影響を受けていたと言えるかも知れません。
 確かに、韓国の映画(韓流と言われる以前のもの)を見ていて、感性や情の厚さなど、根っこが近しい民族ではないか? と思ったことがあります。
 それにしても、気性は大きく違う気がします。
 歴史的にも、大国に脅かされ続ける地理的条件に置かれた国と、のほほんと海に浮かんでいる「ひょっこりひょうたん島」のような国では、社会を支配する気分というものが、まるっきり違うことは容易に推察されます……

 近ごろ、ススキを撮りたいと思っているのですが、あまりいい絵になりそうな景色に出会えません。
 ガキの時分には、そこら中にススキが生えていて、そんな場所で遊ぶもんだから、ススキの穂まみれになって家に帰りしかられた記憶もあります(葉で指をよく切った覚えも……)。
 いまどきは、河川敷などの水辺でしか見られなくなった印象があります。
 そこでも、葉は似ていてもススキでない(外来種か?)勢力の方が強そうに感じられたりします。

 今ごろ琵琶湖近くの西の湖辺りの水辺は、一面がススキに覆われているのではないかと、想像したりしています。
 そう考えるとやはり東京周辺では、昔ながらの景色は年を追うごと失われていることに、気付かされます……

2009/08/17

天狗とハイヒール──高尾山

2009.8.9
【東京都】

 今回足を運んだ高尾山は、東京・神奈川に暮らす人々には、身近なハイキングコースとして親しまれていると思います。
 ガキの頃から何度となく登った印象や、「ハイヒールで登れる山」と言われることからも、「あんなの山じゃない」という気分を、どことなく持ち合わせています。
 でも近ごろでは、平地はよく歩くものの山登りには自信がないので、ケーブルカーで登りました……
 それじゃ、山登りと言えないじゃん!

 下りだけでも、翌日(だったことにホッとしたりして)ふくらはぎがバリバリに痛く、悲鳴を上げていました……


 高尾山薬王院(Map)

 山の頂にある薬王院は、744年聖武天皇の勅命により、東国鎮護のために開かれ、真言宗智山派の関東三大本山(残る2つは、川崎大師平間寺と成田山新勝寺)では最も歴史があるそうです。
 空海さんの真言密教のお寺なのに、世間的には天狗のお寺として親しまれています。
 1375年京都醍醐寺から来た僧侶が、飯縄権現(いづな or いいづなごんげん)を祭ったことから、飯縄信仰の霊山とされ修験道の道場として人気が高まったそうです。
 飯縄権現とは、長野県飯縄山(Map)に対する山岳信仰が発祥とされる神仏習合の神で、白狐に乗り、剣と縄を持った烏天狗(右写真は大天狗)の姿をしているそうです。
 戦勝の神として信仰され、足利義満、上杉謙信、武田信玄等の武将たちに信仰されたようです。

 ──上写真は、大天狗(鼻の高い天狗)像。下写真は、ホラ貝を吹きながら本堂に向かう山伏姿の僧侶。ホラ貝を吹くことには、悪霊退散、山中での修験者同士の意思疎通、熊よけ等の意味があるそうです。ちなみに「ホラ吹き」とは、仏法の説教を熱心に行う様からきたそうで、法螺貝は見た目以上に大きな音が出ることから、大げさなことを言う人をそう呼んだそうです。


 天狗の一般的なイメージは鼻の高い容姿になりますが、それを「大天狗」と呼び、鼻先が尖ったもの(尖ったマスクを付けたような容姿)を「小天狗」もしくは「烏天狗」というそうです。
 奈良時代の役行者(えんのぎょうじゃ)から始まったとされる山岳信仰が、鎌倉時代から修験僧(山伏)の広がりを生み、その姿が天狗と呼ばれるようになったそうです(山伏も山を飛ぶように駆けていたことでしょう)。
 庶民が山地を異界として畏怖した時代には、山で起きる怪異現象や、天狗(語源は、怪音をたてて空を飛来するもの(火球、隕石)とされる)のイメージに、山伏の姿が重ねられ呼ばれるようになったようで、そのころから天狗を山の神と考える風習が広まったそうです。
 しかしそこには、他宗派からの軽蔑の表現(そんな行為は修行と認められない)も含まれているそうです。


 「天狗になる」の言葉通り、天狗は慢心の権化とされていて、その始まりは、彼らが「教えたがり魔」であるとの言いつたえによるようです。
 仏教六道(りく or ろくどう:天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道)のほかに天狗道があるそうで、仏道を学んでいるので地獄に堕ちないが、邪法を用いるため極楽にも行けない「無間(むげん)地獄」(仏教八大地獄の周辺に存在する小規模な地獄。これじゃ分からんね…)との見解もあるそうです。
 ですが、そこには日本人に愛されそうな「あいまいな存在」としての特徴が現れているような気がします。
 人間に似た容姿を持ち、山間地においては超人的な身体能力を発揮し、空も飛ぶと考えられていながらも、われわれを守ってくれるわけでもない「畏怖(いふ)されるだけの存在」であっても、神として祭ろうと考える心理は、説明不要な「存在感」ゆえのことと思われます。
 また、古事記・日本書紀などに登場する、天孫降臨の案内役であるサルタヒコ(猿田彦)は、長身で長い鼻を持つことから、天狗のイメージと混同されていることも、日本的であると思ってしまいます……

 そんな「原始宗教」(アニミズム的な「八百万(やおよろず)の神」等)を理解する感性を持っている民族が、海外から先進国と見られていることは、驚くべき事なのかも知れません。
 不信心と考えられているわたしたちですが、万物(自然界)を慈しむ気持ちこそが、信仰心につながることを、世界に向かってアピールできたら、と思うのですが、いかがでしょうか?

 ──上写真は、かつて火渡りの儀式(?)等が行われたように思える修行場。下写真は、滝行に使われている琵琶滝(右奧)。


 高尾山の名をよく目にするのは、自動車の窓に貼られた交通安全の、真っ赤なもみじ型のステッカーではないでしょうか。
 お寺の紋章には、もみじの葉が3枚あしらわれており(右写真)トレードマークのようで、もみじステッカーは交通安全以外にもいろいろあるようです。

 近ごろ夕刻に高尾山を訪れる人が増えているそうで、それは「高尾山ビアマウント」(山上ビアガーデン)の人気によるもので、開場1時間前から行列が出来ていました。
 ずいぶん前ですが、親戚一同で訪れたことがあって、景色の見事さに見とれたものの、夜の山はとても冷えるので「寒い」と言いながら降りてきた印象があります。
 都心近くには山がないので、屋上ビアガーデンで我慢するしかありませんが、機会がある方にはオススメ出来ると思います。


 いい機会なので、天狗のうちわとゲタについて調べてみましたが、「うちわであおぐと鼻が高くなる」「一本歯の高ゲタは俊敏に動くことが出来る」等の記述にしか出会えませんでした……(上写真は、ゲタが納められる社)
 形状が似ていることから、植物のヤツデの葉(八枚に裂けた葉)の方に「天狗のうちわ」との異名がついたそうです。

 登山口付近に、大きな天狗のお面が飾ってあったと記憶していたのですが、見あたらないので探してみましたが、勘違いだったのか?
 記憶のある方がいたらお聞かせ下さい。


 高尾山 山麓(Map)

 下りは、ガキ時代の記憶をたどり、滝(琵琶滝:上へ3枚目の写真)の道を歩きました。
 山上の杉並木も立派でしたが、古くから修験道の霊場とされたおかげで、山麓一帯の森林保護は各時代で続けられ、東京近郊としては驚くほどの自然林が残されています。
 また驚いたのが、年間の登山者数が世界一の山であるということです。
 確かに人は多いのですが、団体でも訪れやすい山で(企画する側として立案のしやすい場所になるのでしょう。学生時代に来た覚えがあります)、アクセスも悪くないので気軽に立ち寄れることは確かです。
 そんな登山者の多い高尾山を見込んで(東京都ですし)、この地に「エコツーリズムの本部」となってもらってはどうだろう? と思ったりしました。

 最近では、観光・ハイキング気分で屋久島や北海道の山等を気軽に歩こうとする、中高年が多いと耳にします。
 言葉は悪いですが、そんな中高年たちが各地の自然環境を踏み荒らさぬように、知名度に引かれるだけで「自然を知らない」人たちへの「ネイチャー・スクール」を、この地に開いてはどうか? と思ったりしました。
 高尾山だって、雨が降ったら大変なことになる「山」であること等を、この地から発信してもらえれば、多くの人の耳に届くのではないか、とも思われます。
 わたし自身、多少バカにしている高尾山でも、結構リアルな山であることを再認識させられた思いでおります……

 実際にハイヒールで歩く方を見かけました。
 天狗の高ゲタを意識した訳ではないのでしょうが、一本歯の高ゲタのような俊敏性は得られないと思われます。
 今どきは、ビアガーデンの開場待ちで散歩している方もいるでしょうから、デートだとハイヒールも仕方ないのでしょうか?
 しかし、そんな認識の延長が、山を軽視した登山での遭難事故につながるように思えてなりません……

 とりあえず、東京都(Map)に関しては、このあたりで終了と考えています。
 また、何か企画があったら歩きたいと思います。

2009/08/10

残された森の声──高幡不動、多摩動物公園

2009.8.1
【東京都】

 この日歩いた多摩丘陵は、高尾山の東のふもと付近から、東は多摩川付近、南は横浜市の円海山(横浜横須賀道路釜利谷ジャンクション付近)まで及ぶ、東京都・神奈川県に広がる丘陵地帯になります。

 縄文時代には海水面が高かったことから(都心の低地は海でした)、丘陵地帯には点々とその時代の遺跡が数多く残されています。
 海水面が低下した弥生時代からは、谷戸と言われる谷の下に農地を開いて、稲作等の農業が始まったそうです。

 1950年代から周辺一帯の開発が進み、里山とされた緑や田園風景が失われ、いまに至っています。
 元もと丘陵地域なのでどの地も傾斜地ですから、決して安心して住める地ではないと思われます……

 Wikipediaの説明が分かりやすいと思ったので、引用させてもらいます。
 ──映画『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994年)ではこの丘陵の開発が取り上げられ、また、映画『耳をすませば』(1995年)ではこの丘陵が開発された住宅地が舞台となっている。

 開発に異議をとなえても止めることなどできず、それを受け入れた地においては、どんな夢が描けるのかを模索する姿が想起されます。

 むかしながらの多摩丘陵にふれられる散策路が、高幡不動〜多摩動物公園〜多摩テック(2009年9月閉園予定)〜平山城址公園〜野猿(やえん)峠(甲州街道脇の「ホテル野猿」の看板はまだあるのだろうか?)に整備されているそうです。
 多摩地域に残された森は、綱渡りのように歩く程度の、ほんの限られた場所だけになってしまったようです……


 高幡不動(金剛寺)(Map)

 高幡不動の名は通称で、金剛寺(こんごうじ)という真言宗(空海)のお寺になります。
 「金剛」の名は、総本山である高野山の金剛峯寺(こんごうぶじ)の名や、その祈りに「南無大師遍照金剛」(なむだいしへんじょうこんごう)と唱えられたりする、真言宗においてのキーワードになります。
 密教徒(真言宗を含む)の間では「大乗」「小乗」に対して「金剛乗」とされるそうですが、密教が仏教に含まれるかについては見解が分かれるそうです。
 わたしにもそんな印象があって、日本向けに練り直された教えではないかと思う面があり、そこにこそ、空海(弘法大師)の力が発揮されたように思われます。


 通称の通り本尊は不動明王で、真言密教の本尊である大日如来の化身とされるそうです。
 世間では「お不動さん」として親しまれていますが、日本人向きの信仰(即身成仏)であることを、この「お不動さん」の表現からも感じることが出来ます。
 成田山新勝寺(成田不動)とともに、関東三大不動のひとつとされるそうですから(もうひとつの候補には3寺ほどあるそうです)、その人気ぶりがうかがえます。


 多摩地域を歩けば「トシちゃんに当たる」印象のある土方歳三ですが、ここが菩提寺となるそうで、銅像が建てられています。
 ──その名から新撰組ではなく、むかしのコミック「マカロニほうれん荘」を連想するなど、新撰組への関心の薄さを自覚しています。

 実家の土方家が保存・展示している資料館や、お墓も近くにあるそうなので、若かりしころはこの辺りを走り回っていたのかも知れません。
 江戸時代の多摩地域は、雑木林が広がる山里のような土地柄だったでしょうから、出身者が侍に出世した(当人もよろこんでいたらしい)となれば、一躍名士〜郷土の誇りとされた様子が、現在でも見て取れる印象があります。
 この地域では他に有名人がいないこともあるのでしょうが、多摩でひとり勝ちの「トシちゃん人気」(これまで何度かふれましたが)に接することが出来たのは、とてもいい見聞だったと思います。


 多摩動物公園(Map)

 ガキの頃、多摩動物園といえば「ライオンバス」でしたし、インド王宮のような塔が並んだ建物がとても印象に残っていました(塔は健在です)。
 ──当時、何でインドと思ったのだろう? 知らずともタジマハール等をイメージしていたのだろうか?

 この日は比較的気温は低かったのですが、お昼寝タイムでしょうか「ライオンは(日陰で)寝ている」個体が多く、写真の彼女だけがそれらしく振る舞い、見学者をよろこばせていました。
 現在でも人気があるようですから、子どもの興味の対象が変わっていないことへの安堵感と、手軽さという「親の感覚」も変わっていないのかも知れない、と思ったりしました……


 象はどこの動物園でも、こちらに顔を向けてくれた印象が無いので、思わずシャッターを切りました。耳も開いてくれましたし……(アフリカゾウ)
 見聞が広まってくると(年をとると)動物園とバカにしてしまう面もありますが、「こんな姿は初めて見た」という動物園ならではの光景に出会えることがあるので、足を運んでいるのだと思います。


 下写真はグレビーシマウマで、右方向が頭になります。
 左側の足の付け根あたりのしま模様が、とっても不思議に思えました。
 シマウマのストライプ模様は、全部ストレートで1本なのかと思っていたら、途中で切れていたり、他とつながったりしています。
 中でも、つながりそうでつながらない模様には、何かお互いの意志があるようにも思えてきます。

 ここで、視点のネガ・ポジを切り替えます。
 上記までは、白毛を模様と見た表現になりますが、お腹が白いことを踏まえると「白地に黒い模様が入る」と考えた方が自然に思えてきます。
 そんな視点で考えると、黒毛の模様が変化・移動していくことになります。
 下腹部あたりでは黒い模様が枝分かれしており、その辺りが模様の調整個所(変化の始まり)のようにも見え、途中で枝分かれしている模様を付け替え直していくと、キレイなしま模様が完成するようにも思えてきます。
 しかし、当のシマウマがそれを完成型としているかは、疑わしいですよね。
 だって、人間が勝手に「ストレートなストライプ」を望んでいるだけなのかも知れませんもの……
 シマウマの気持ちを推測すると、遠くから見るとストライプ模様は、草原の風景に埋もれて判別しにくい、と考えられているそうです。


 ここは、コアラが日本に初めてやってきた(1984年)地のひとつで、当初はかなり盛り上がっていた記憶があります。
 写真も眠っている姿ですが、一日約20時間程度眠るそうです。コアラ館は安眠を守るためでしょうか、とても暗いので、ブレずに撮れたのはラッキーでした。
 主食のユーカリの葉から栄養分や水分を摂取するものの、ユーカリには毒素が含まれるため消化が悪く、栄養分も少ないため、省エネのために寝て過ごすのだそうです。
 ──食べ物の消化に時間のかかるテングザルも、食後は消化されるまで眠って待つと、テレビで見ました。

 「コアラ」とはアボリジニの言葉で「水を飲まない」という意味なんだそうです。
 オーストラリアでは抱くこともできますが、爪は鋭いので引っかかれる危険性があります。でも、あのフサフサの毛並みに触ってみたい気持ちは、とてもよく分かります。
 記憶はたどれないのですが、その毛並みの「繊細な毛の感触」を手のひらが覚えていました。
 ですが、場所も覚えていないのですから、当時の関心の薄さがうかがい知れます(オーストラリアだったかなぁ…)。

 下写真はオランウータンの子どもですが、とても人気があるようで、もの凄い望遠レンズを抱えた(アマチュアと思われる)カメラマンたちが群れていて、驚きました。
 注目されている子どもなのかと調べてみても見あたりませんから、オランウータンの撮影会(?)だったのでしょうか?
 って、そんなのあるの? 水着も着てないし……


 多摩動物公園は、丘陵地帯の斜面に沿って各動物たちの飼育舎が点在しているので、一周するとハイキングくらい上り下りをさせられますから「今日は歩いた〜」という実感を得ることが出来ます(汗はダクダク……)。
 この年になると視野も広がるので(休憩が多いだけ?)、周囲にも視線が向き「いい雑木林が残されている」と感じることができたりします。
 ヒグラシの鳴き声(カナカナカナ)を久しぶりに耳にすると、風情があると言うのか、ガキの時分の「遊びの時間がもう終わる」と感じた、一種のさみしさがよみがえってきます。
 いまどき、住宅街では耳に出来ませんから、当時はそれだけ身近に自然があった(身近に里山的な環境があった)ということになります。

 帰りは、多摩モノレール(レールの設置高度が高い上、山を上り下りするので、ジェットコースターのような迫力が楽しめます。是非、先頭の席で楽しんでみてください)で、多摩センターに出たのですが、もうビックリ!
 開発期の様子や、サンリオピューロランド開設くらいまでは知っていましたが、現在のこの姿がほぼ完成型なのでしょう。
 都市計画があまりにも人工的過ぎて、便利ではあっても面白味を感じることのできない「不思議な町」になっていました。
 開発計画が進められた時代(1950年代〜)における「未来都市」の姿なのでしょうけれど、そんな反省が横浜港北ニュータウン等に反映されているようにも思われます(別に好きなわけではありません)。

 具体的なイメージは持っていませんが、「現在描く未来都市の絵」ってどんな姿なのでしょう?
 実現した時に「何考えてたんだか?!」と、言われないようなビジョンを持たないといけません。行政に期待はできないので、自分たちで明確に持つ必要があるのかも知れません。

 『平成狸合戦ぽんぽこ』のタヌキたちは、共存のために人間に化けて生活することを選びましたが、もう彼らの帰る場所は、この多摩丘陵からは失われてしまった、という印象です。
 だから「狸オヤジ」が、人間界をかっ歩するようになったのでしょうか?
 どっちも困っちゃうんですけど……

2009/07/27

生活を守るために──羽村の堰、横田基地

2009.7.19
【東京都】

 関東地方ではぐずついた天気が続くので「梅雨明け時期見直しか?」とも言われています。そんな時の用語に「戻り梅雨」なんて言葉があるんですね。
 九州・中国地方では大雨による被害が続いており、「まさかうちが被害に遭うとは…」の声をインタビューで耳にしました。
 「観測史上最多となる降水量」等のニュースをよく耳にする近ごろですが、温暖化の影響等が心配される将来では、安全な土地は思っているほど広くないのかも知れません……
 

 羽村の堰(せき)(Map)

 羽村の堰(正式名称:東京都水道局羽村取水堰)とは、多摩川から玉川上水に流れを誘導する取水施設(水源)になります。
 玉川上水の開削は江戸幕府による事業で、江戸市中への飲料水供給を目的として、この地から四谷大木戸(現在の新宿区四谷)までの43kmに渡って築かれ、1653年に開通しました(江戸開府は1603年)。
 現存経路の開削は半年余りで完成したそうですが、その前には2度(日野、福生(ふっさ)からの取水経路)の失敗があったようです。
 庄右衛門・清右衛門兄弟(玉川兄弟)が工事を請負ったものの、2度の失敗で資金が底をつき、自分たちの家を売って費用に充てたそうです。
 その功績に対して「玉川姓」の使用が許され、「玉川兄弟」と呼ばれるようになり、銅像が建てられるに至ったそうです。 めでたし、めでたし……


 右写真は、玉川上水最上流地点の様子です。
 ご覧のように、かなり豊富な水量が確保されています。
 玉川上水から想起されるのが、作家太宰治の入水自殺ですが、現場とされる三鷹市付近の現在の流れは小川のようで、とてもその場所で自殺したとは考えられない状況となっています。
 では、どこに流れているのかと言うと、この少し下流で取水され東村山浄水場に送られており、またその下流では、現役の農業用水(新堀用水)にも取水されているようです。
 下流域では需要が減ったため流量は少なくなり、水路の面影だけとなっていますが、上流の流れは現在でも、東京近郊の飲料水の水源として活用されているそうです。


 多摩川と玉川上水の分岐点(両側に流れのあるどん詰まり)の地は、東京都が整備している多摩川沿いの散策道「たまリバー50キロ」の終点にあたります。
 堰を見下ろすベンチでは、ゴール到着後の満足げな表情をしたサイクリストたちが、談笑をしています。
 ──この地には「歳の鬼あし多摩川50km」というマラソン大会があるそうです(歳とは土方歳三からの引用)。

 わたしも分割しながらですが、河口付近(羽田)から立川までは歩いているので、近いうちにそのフィニッシュを決めに来たいと思います。

 上写真、堰の下の流れは多摩川で、右下のおじさんは流れの中に陣取って釣りをしています。
 釣果は分かりませんが、最高の避暑だろうと思われます。寒いくらいではあるまいか?


 羽村市郷土博物館(Map)


 多摩川の対岸に市立の郷土博物館があるので、一息入れるつもりが、あまり涼しくありませんでした(28℃設定か?)。
 エコも分かりますが暑い日には、一服の清涼感も欲しい気がします。
 屋外にかやぶき屋根の古民家が保存されており、囲炉裏の火はこの季節も絶やされないようです。
 囲炉裏の火の熱は空気の対流を生むので、その温度差によって開け放たれた戸の外から自然の風が流れてきて、夏でも快適なんだそうです。
 その古民家の脇には、薪が積み上げられています(太めの薪は乾燥のために干されていました)。
 生活様式を伝えることを目指す施設なので、薪の蓄えも仕事のうちのようです。




 横田基地(Map)

 再訪の第一印象が「基地らしい基地だなぁ」というのは、「Air Base」(空軍基地)たる空港施設の広さはもちろん、フェンスの中の芝生はまぶしい緑ですし、基地城下町とも言える商店や関係者向けの住宅(木造平屋建てで、玄関の網戸が「バッタン」と閉まる家:マッチョな軍人が出てきたら怖いので撮れませんでした……)が、いまも健在で存在感を示していることによると思われます。
 現在もそんな印象があるのは、近郊では横須賀基地くらいでしょうか。厚木基地や司令部が置かれて注目される座間キャンプ周辺も、基地城下町的な雰囲気は皆無になりつつあります。
 ──ガキの頃の思い出として、横田基地を見晴らせるドライブインの屋上(3階建てくらいか?)から、観光バスの乗客もこぞって離着陸する米軍機を眺めていたことを覚えています(結構な人が集まっていました)。まだ庶民が飛行機に乗れない時代だったからでしょうか? 不思議な光景として記憶に残っています……


 1940年に、陸軍立川飛行場の付属施設である多摩飛行場として建設されますが、敗戦後の1945年アメリカ軍に接収されます。
 接収後の拡張工事により、北側では国鉄(現在JR)八高線と国道16号線が、南側では五日市街道の経路移設が生じたそうです。
 朝鮮戦争では出撃基地、ベトナム戦争では補給基地とされましたが、現在は「極東地域の輸送中継ハブ基地」とされるそうです。
 ──軍隊にもハブ基地は必要ですわなぁ……

 この基地に関しては書きたいことが多く、収まらないので、要点だけにします。
 ●「横田ラプコン(RAPCON: Radar Approach Control)」施設において、関東周辺(1都8県)の航空管制が行われ、米空軍の管制下に置かれているため、民間航空機はその空域を通れず遠回りするために、渋滞の原因になっているそうです。

 ●石原都知事が「民間共用化」を公約し、自衛隊との「共用化」から、民間チャーター便の就航を目指すそうですが、結局は調布飛行場程度のご機嫌取りで、周辺住民には歓迎されないのではあるまいか?

 ●国連軍の後方司令部が座間からこの地に移転したそうです。国連に対する施設提供を拒む理由はないにしても、いい顔をしたかったのでは? とも思ってしまいます。

 ここで主張したいのは
 ●「1971年に戦闘部隊が沖縄に移転した(させた?)」ということです。首都周辺に、煙が上がりそうな連中を置きたくない、という考えは理解できますが、沖縄に米軍を押しつけたのは、東京を重要視した日本国家である、ということです。
 ──沖縄の施政権が日本に返還されたのは翌年の1972年になります。

 基地には国を守るという大義があります。
 その基地周辺の民間地を守る義務は誰が負うのでしょうか?
 都知事が「これでも沖縄よりは安全なんだ!」なんて言ったら、どうしましょう……

 ここにはドデカイ、ゴルフ練習場があります(右上写真)。
 体力を持てあましている人には、これくらい広い練習場が必要なのだろうか?


 繁華街には及びませんが「福生ブランド」は健在のようで、電車に乗って訪れる若い女性の姿も見かけました。


●日食(神奈川県 等々力緑地)──7月22日(おまけ)


 46年ぶりに、日本で観測可能な皆既日食に向けての盛り上がりは、スゴイものがありましたが、残念ながら東京近郊の空は雲に覆われてしまいました。
 曇天だったため、暮らしを支えてくれる太陽に対しての畏怖(いふ)等を感じることもなく、「普段の曇り空と変わらない」としか思えなかったのは残念でした。
 ですが、たまたま雲間から顔を見せてくれた姿が、こちらとしては好都合なフィルターとなってくれたおかげで、わたしのカメラでも撮影が出来ました(これは拡大トリミングしています)。
 皆既日食の場にいないと、その意味が理解できないことをテレビ報道で理解しました。
 でも、洋上の船から見えたという、360度の水平線付近に広がる夕焼けのような光景は、ちょっと見てみたい気がしました。
 機会があれば、そんな体験をしてみたいと思ってしまいます……