ゴールデンウィーク到来です!
昨年の沈滞ムードも改善され、今年はほぼ普段通りの連休を過ごせそうなムードです(まとめて休みやすい暦もあります)。
わたしは人が動く時は動かぬようにと出かけませんが、願望としては東北方面へ多くの方に出かけて欲しいと思っています。
親せきよりも近所の知り合いと言いますが、逆に遠方から来てくれた方の「応援メッセージ」には、素直に感謝の気持ちが芽ばえるのではと思います。
自分は「何ができるか?」と考える人は「いまこそ訪問すべき時」と思えます。
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田町からの山手線歩きでは、早くもこの辺りが中間地点のようで、運賃では目白、池袋、大塚が250円で最も高く、駅数では大塚と巣鴨の間が中間になります。
所要時間は外回りの池袋と、内回りの大塚が同じ31分とあるので、一周64分前後のようです。
これから逆回りのアプローチができるところが、環状線のいいところではあります。
ちなみに地下鉄三田線で三田〜巣鴨の運賃は260円(22分程度)ですから、相応という印象があります。
これから逆回りのアプローチができるところが、環状線のいいところではあります。
ちなみに地下鉄三田線で三田〜巣鴨の運賃は260円(22分程度)ですから、相応という印象があります。
以前、板橋区(蓮根と高島平)に暮らしていた時分は、買い物や映画は最も近い繁華街の池袋でと、よく足を運びました。
学生街であるも繁華街のため、飲食店は多種あるもランチは高めの印象があります。レンガ作りの建物にある学食が営業中だったので、ここで食べればよかったと後悔……
立教大学から想起するのは長嶋茂雄と、ツタの絡まるレンガ作りのキャンパス、というイメージしか浮かんできません(古くてスミマセン)。
この学府は、1874年(明治7年)ウィリアムズ主教が築地に開いた私塾が立教学校とされたことに始まります。
右写真はレンガ作りの建物内部で、歴史あるキャンパスという印象を受けますが、明治学院や青山学院を歩き設立の背景を理解しているので「ミッション系スクールはもういいか」の満腹感があります。そこで思い出したのが前回の護国寺に墓がある、大隈重信(早稲田大学創設者・初代総長)、山田顕義(日本大学・國學院大學設立)、梅謙次郎(法政大学初代総理)の歴々です。
開国と共に海外から、布教活動を目的としたミッション系スクールが次々流入してきますが、国内に自立した「高等・専門教育機関」が無いことに危機感を感じた彼らは、「護国」のために立ち上がった人々であると思えてきます。
現在では、日本大学の名称には「私学のくせに国名を名乗っていいのか?」、國學院大學には「国学を民間が教える右傾組織?」との印象がありますが、当時の教育界が「海外列強」に抵抗する様子が垣間見える気がしましたし、大きな功績として評価されるべきと思えてきます。
しかし、これからの少子化時代に当然生じる大学の統廃合では、名称の変更や組織の再編が必要と思われ、成り行きを注視するしかありません。
西口ロサ会館のピンクのビルは健在ですが、映画館に入った覚えは無く、主に東口方面の映画館に足を運び、中でも名画座の雄とされた文芸座によく通いました。2000年パチンコ店に建て替えられますが、現在その地下で「新文芸座」として営業しています。
この日は、先日亡くなられた淡島千景さんの追悼上映中で、そのプログラム設定や当時のポスター(チラシ)を掲載するスタイルは現在も変わらず、『麦秋』の原節子さんや『鰯雲』の司葉子さんに見入ってしまいます(よく保存してるよね〜、さすがです!)。
以前は、1階に文芸座(洋画)地下に文芸地下(邦画)があり、「2本立て300円均一」(懐かしい響き!)に、電車賃の方が高くてもせっせと足を運んだものです。
フランスのヌーヴェルヴァーグ(映画界の新しい波:1950年代末〜60年代)は白日の下で繰り広げられるも、日本のヌーヴェルヴァーグは映画会社の圧力を受け、アングラ(アンダーグラウンド:地下における反体制運動)的な活動となり、まさに「地下」の劇場名を持つポルノ系映画館と同列の扱いのもとで「ATG映画」などは公開されていました。
ですが当時は「地下にこそ刺激がある!」とする、風潮があったのも確かです。
わたしは乗り遅れ世代のため、懸命に背伸びして着いていこうと通ったものです……
サンシャインシティ周辺(文化会館)には展示会などで何度も足を運びますが、サンシャイン60の展望台に上ったのは、ずいぶん久しぶりという気がします。
右写真の2人は「真下観覧スペース」という窓際まで立ち入れる台の上に立っています。
この日は曇っていて展望はよくないのですが、その名の通り真下を見下ろせば下の写真のようにクリアに見えます。
近ごろ「高いところダメ、ダメッ!」で、腰が引けながらも「航空写真の立体視:空から撮影した近接の写真を並べ、左右の目でそれぞれ単眼で左右の写真を見ると立体的に見える→3D」のような絵を撮りたかったので。
若いころは「落ちてもいいや」くらいの勢いで、写真の野郎のように手を握って「大丈夫だよ!」くらい言えたと思うのですが……
池袋駅からここへ向かう「サンシャイン通り」は、以前から週末や休日にはごった返していましたが、現在も変わらぬ人出で、地下道へともぐる手前の東急ハンズや、サンシャインシティの店舗街はあきれるくらいの人出があります。
この日イベント広場では「Cute」という女性グループの握手会があり、人だかりがありますが、原動力は各店舗の集客力であるとの印象を受けます。
女性向けの店舗街なので詳細は分かりませんが、1978年オープンの施設が現在でもこの賑わいをキープするためには、きっと細やかな戦略があったことでしょう。
この「サンシャイン60+サンシャインシティ」の地には、1970年まで巣鴨拘置所(巣鴨プリズン)がありました。
ここでは第二次世界大戦中の「ゾルゲ事件(ソ連スパイ活動に日本人が協力)」主犯のリヒャルト・ゾルゲ、協力者の尾崎秀実(元朝日新聞記者)が、敗戦後は連合国の「東京裁判」でA級戦犯とされた東條英機(戦争を指揮した)などの死刑が執行されました。
施設の性格から仕方ないとはいえ、その地にオフィスビルが建ち、週末は買い物客でにぎわうスポットとなったことは、ある意味この地で処刑された人々の慰みとなっているようにも思えます(彼らのビジョンは間違いですが、「いい国を作りたい」信念はあったのだとうと思います)。
1990年東京都庁第一本庁舎(ビル本体の最高部243.4m)の完成までの12年間は、日本一の高さ(239.7m)を誇り多くの入場者を集めました。
若い時分なら上ったであろう屋上展望台「スカイデッキ」(屋外)の記憶がありません。今回上りましたが、以前からありましたっけ?
そこから望む「東京スカイツリー:634m」を水平線から高度比較すれば、本当に「半分もねえや!」と、その対面が楽しみになります……
サンシャイン水族館は、ワールドインポートマート(展示会スペース)屋上にある水族館で、2011年8月にリニューアルオープンします。
以前訪問していますが、サンシャイン60の最上階にあると思い込んでいました(映画『タワーリング・インフェルノ』(1974年)のような高層ビル火災の消火に威力を発揮すると)……
リニューアルしても結局はビルの施設なので手狭な印象ですが、場所をとらない「カエル」「トカゲ」類など、他ではあまり見られない展示に力を入れているようです。
思い出しました、以前来たときは「ウーパールーパー」がブームの時代で「これが人気なの?」の印象がありました(エリマキトカゲもここが発信地らしい)。
現在横浜中華街にある「よしもとおもしろ水族館」と業務提携しているらしく、「企画」で勝負する水族館のようです。
サンシャイン60展望台へのエレベーターはガラガラで上りは貸し切りでしたが、水族館へのエレベーターは上り下りとも待ち時間は短いながらも、行列ができていました。
そんな行列の中で「去年なんか20分待ちだった」(リニューアルオープン時の様子か?)と耳にするほど盛況のようです。
思うに、池袋に接続している私鉄「東武」「西武」のどちらも、海のない埼玉県から人を運ぶため、このような施設が人気を集めるのではないだろうか?
湘南新宿ラインが通りますが、「湘南はここからまた1時間」というのはちょっと選択肢にならないのかも知れません。
そう考えると、お台場や葛西臨海公園あたりが最も近い海辺として足を運びやすく、人気を集めることは当然なのかも知れません。
水族館リニューアルにあたり、近ごろはやりの立体的な施設で動き回る動物を見せようと腐心していますが、アシカくんはどうも食後の休憩中ようで、頭上のパイプ水路でまったりしています(掲載せず)。
イルカはいないけれど、アシカやペンギンなどの必須条件を満たそうとの努力が感じられます。
この会社は「しながわ水族館」の運営もしているそうで、ここより広いとはいえ「狭い敷地での見せ方」をテーマにする会社のように思ったりします。
まあ、東京近郊で大きな水族館を作ることは「夢」に描くとしても、現実的には難しいことなんでしょう。
上のペンギンは、まったり寝ている姿と思いますが、その姿勢から、そのまま寝ちゃったの? とも見えます。
右のペリカンのような、動物たちが作り出す「曲線」にとても興味を感じますが、生き物を相手にするにはこちらにも「時間の流れを共有する覚悟」が必要になります(この時も結構待ちました)。
彼らの時間はとてもゆっくり流れているようです……