2015/03/23

西の鎌倉、東の荻窪──荻窪

2015.3.8【東京都】──「神田川を歩く_11」



青梅街道付近(荻窪駅南口)

 荻窪駅前を通る青梅街道は、江戸城の漆喰に必要な石灰を青梅から運ぶために整備され、大正期から新宿〜荻窪間の街道上を路面電車が走りましたが、その地下に丸ノ内線が開通し役目を終えます。
 大正・昭和初期には、「西の鎌倉、東の荻窪」とされる近郊の別荘地だったらしいも、鎌倉に比べインパクトが弱いため「別邸」的なニュアンスだったのではないか?

 右の西郊ロッヂングは賃貸アパートで、関東大震災で被害を受けた本郷から移転し、高級下宿洋館として1938年(昭和13年)に開業。本館の旅館とともに国の登録有形文化財とされます。

 お金がかかったと思われる奥の杉並区立中央図書館は黒川紀章の設計で、脇にマハトマ・ガンジー像が立ちます。
 像は、友好交流協定を結ぶインドのガンジー修養所再建トラストへの募金に対するお礼として贈られたもの。
 教科書だけでなく身近に像があれば、関心を持つ子どもが増えるかも知れません。
 杉並区には教育に一言ある方が多い印象があり、スタンドプレーにいい印象はないも、改革に取り組もうとする土壌を持つならば、魅力的なアピールになります。




 初めての訪問ですが、門から70m続く石畳脇のイチョウ並木、右・下写真洋館のゆとりが生み出す「文化の香り」と、落ち着いた日本庭園の取り合わせに、はまりました!
 大田黒元雄(西洋作曲家の紹介著書で名を馳せる)の屋敷跡地につくられますが、杉並区が周囲の敷地と統合し公園にしたおかげで、洋館が引き立つように感じます。
 洋館や音楽評論家活動には財力の背景が感じられ、戦後のNHKラジオ番組『話の泉』に出演した、ダンディを気取るオヤジとは、ひがみ過ぎか?
 ですが、道楽人の手によるからこそ、洋館の味わいが深まったに違いありません。
 上は、休憩棟の釣り飾り。下は、旧軽井沢に並ぶ別荘のような洋館。



幻戯山房(げんぎさんぼう):すぎなみ詩歌館

 角川書店(現KADOKAWA)創業者である角川源義(げんよし:俳人)邸が整備され、2009年に開園します。
 句会や俳句愛好会は日常的に開かれても、関心無い者の目には止まりませんが、この庭からはガラス越しに、2組の集まりと茶会の様子がうかがえます。
 若い時分は、風流という世界に対して「ジジ臭い」印象が持ちましたが、これが「枯淡の世界」かと垣根の低さを実感することに、年齢の積み重ねを感じてしまいます。
 右は、水を注ぐと地中から水滴音が響く水琴窟


善福寺川緑地

 川が蛇行する周辺の氾濫原は公園とされ、現在河川改修+地下洪水調整池の建設工事が行なわれています。
 以前歩いた晩秋は紅葉に目を奪われ気付かなかったが、川沿いの桜並木の立派さは「花見の名所」として記憶しておかねばと……(もうじきです!)

 右は道路脇の境界柵に並べられたドングリで、時間を忘れ夢中で飾った様子が目に浮かびます。
 単純作業(日常の仕事)は「忍の一字」ですが、それを「おもしろきこともなき世をおもしろく──高杉晋作」のように取り組めれば、克服できそうな気がしてきます……


追記──地下鉄サリン事件から20年 2015.03.20

 大震災被害のように区切りをつけられるものではなく、犯行に関わった連中の刑が執行されても、この国が背負い続ける課題として残ります。
 また、国際社会へのアピールのために「非人間的行為」を繰り返す組織の動機と思われる、「力を持つ側からの押しつけ:格差」への不平は、われわれ庶民の間にも根付き始めており、「不満分子」予備軍が世界に広がる状況を止めることもできません……


追記──選抜高等学校野球大会開会 2015.03.21

 以前は毎年、わたしの誕生日(27日)に開会していましたが、春分の日に開会するのは「春の到来宣言」のようで、気候に加え気持ちも一気に「春モード」に切り替わる見事な演出です!

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