2016/02/01

谷で接した「天と地」──赤坂御用地

2016.1.16【東京都】──「汐留川水系を歩く_1」

 前回の内濠周辺までは神田川水系でしたが、その本流である隅田川にはもう一筋の独立した汐留川水系(旧 桜川 )という支流があります。
 鮫川(四ッ谷三丁目)、清水谷(紀尾井町)、太刀洗川(檜町公園)の流れは外濠〜溜池に流れ込み、その下流は江戸期の城や市街整備により、浜御殿(現 浜離宮恩賜庭園)を囲む水路とされ汐留川水系と呼ばれるようになるも、ほとんどが埋め立てられました。




四ッ谷三丁目付近

 江戸城に水を送るため、玉川上水終点の大木戸から半蔵門への水路が敷設された新宿通りは、馬の背のような尾根道に見えます。北側の神田川水系に下る荒木町側同様、南側もすぐ脇から鮫川(汐留川水系)へ傾斜する様は、甲州街道整備時に土を盛った? という形状です。

 地図で見かけた袋小路のどん詰まりには、何だか気取ってるような井戸が鎮座しています。
 車も通れない道幅の傾斜地で、新聞配達もバイクを降りて歩くような場所だから住民の愛着があるのかも……


須賀神社

 右は境内にある建物で、下は神輿庫になっています。
 庫の上に社務所等があるのは分かるが、アパートにするとはさすが都会の神社です。
 一般的に庫の町名表示は、一目で分かるよう大きな文字で表記されますが、ここでは扉の上の小さなプレートに記されるので、祭以外の時期には気付かないかも知れません。
 付近は、紀尾井町清水谷公園周辺にあった寺社が、城の拡張工事により集団移転した地で、服部半蔵(半蔵門の由来)の墓がある西念寺も近くに移転しました。


鮫ケ橋

 鮫ケ橋は元の鮫川に掛けられた橋で、付近で信濃町駅方面からの千日谷と合流するためたびたび氾濫したらしく、下水となった現在も隣接の公園地下には調整池が設置されます。
 名称の由来は鮫ではなく、大雨時に増水する「雨:さめ」、わき水「冷水:さみず」(鮫洲にも伝わる)らしい。右の「せきとめ神」は、下流に紀州藩屋敷(現 赤坂御用地)を作るために川を堰き止めた、堰の安全を祈願する神社が「咳止め」として広まったそう。
 元の流れは赤坂御用地の池に注ぎ外濠に至りましたが、江戸期の付近には火葬場・岡場所(私娼の歓楽街)があり、明治期は東京最大の貧民窟だったとのこと。


迎賓館

 赤坂御用地の正門である「鮫が橋門」は上の橋のたもとにあります。1873年(明治6年)皇居が焼失し明治天皇がこの地に移った際は、治安の悪そうな門を出入りしたのだろうか? 当時の元帥にそんな心配は無用かも知れないが、庶民はどんな思いで眺めていたのだろう。

 隣接する迎賓館の建物は、東宮御所(皇太子の居所)として1909年(明治42年)に建設されますが、後の大正天皇は外観が華美で、住居としての使い勝手が良くないと使用しなかったそう。
 迎賓館としての利用は、1974年現職のアメリカ大統領として初めて日本を公式訪問したジェラルド・フォード。


赤坂御用地の勝手口?

 右は、勝手口のような門にある呼び鈴? の遺構か。周囲は警官だらけなので、撮れたのはこれだけ。

 敷地内の赤坂御苑で開かれる園遊会の様子は映像で目にしますが、功績・活躍をおさめた方々は招待される名誉の引き換えに、皇室の広報活動に利用されていると感じる面もあります。
 ですが、招待者と接する際の態度に疑いを感じないのは、天皇という存在の器の大きさなのかも知れません……


豊川稲荷

 豊川稲荷前のビルが「サンダーバード」でラッピングされています。そこは新テレビシリーズ『THUNDERBIRDS ARE GO』の日本放映権を獲得した東北新社の本社ビル。
 予告編を見ましたが、わたしはカクカクする人形の動きで十分と思うが、いまどきの子ども向け(CGアニメーション+ミニチュアセット)という「言い訳」で、旧シリーズに夢中だった大人たちがオタクぶり全開で「楽しんで作っちゃいました!」というところか。
 2号のプラモデルで、夢を広げていた時分の記憶を懐かしく振り返りました。

 江戸時代の大岡越前(忠相:ただすけ 実在の人物)が、豊川稲荷から吒枳尼天(だきにてん:白狐に乗る天女)を勧請したもので、ルーツは神社ではなく曹洞宗の寺院とのこと。
 お稲荷様は日本独自の信仰で、様々な要望を受け入れて全国に広まりますが、明治以降の赤坂花柳界で芸に通じるとされてから、芸能・スポーツ関係者の信仰を集めるようになります(騒がしかった「ジャニーズ事務所」の奉納提灯も下がっている)。
 様々な神様が集合しているためか、いつ来ても人が多いことに感心します。


追記──「勝てない世代」がアジアチャンピオンに!

 「リオ五輪に行けないのでは?」との前評判を受け応援したサッカーU-23日本代表ですが、アジア選手権(リオ五輪最終予選)で見事に優勝しました。
 選手全員が「勝てない」レッテルを返上しようと挑み、日替わりで「オレも、オレも!」の見事な活躍が生まれ、チームの結束力で頂点に立った印象があります。
 直近の目標はリオ五輪ですが、彼らの世代のエポックになると思うので、ぜひ今後の活躍の弾みにしてもらいたいと。


追記──終わりなき敗戦処理

 平成天皇はわたしの父と同世代なので、小学生時分に敗戦と向き合ったことになります。後に大元帥だった父 昭和天皇の苦悩に接したかも知れませんが、昨年のパラオに続き今回のフィリピン訪問も、天皇の意思によるのでしょう。
 おぼつかない足取りでも「生あるうちに行かねば」の思いに、戦争を体験した人間の使命感が見て取れ、天皇の心の内をかいま見られたような印象を受けます。
 やらねばならないことはまだあるでしょうが、敗戦処理に終わりは無いのでは、とも……

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