2016/08/29

五輪前に景色が変わる町──下北沢

2016.8.11【東京都】──「目黒川を歩く_8」 北沢川_5

 今回は、京王線 笹塚駅付近を水源とし、下北沢駅周辺の谷を浸食して北沢川に流れ込む、下北沢東支流を歩きます。




北沢中学校

 上の標高図のように笹塚駅周辺は、3水系(神田川、渋谷川)の谷頭(こくとう)が迫る分水嶺に当たります。それぞれの谷は湧水により浸食されたと思われるので、かなり豊富な地下水脈があったようです。
 現在も付近の玉川上水では、代田橋付近同様に少量ながら湧水があるため、水は上流よりも澄んでいるとのこと。

 北沢中学校の手前を通る井の頭通り拡張工事は、学校のある上流側を避け、手前の下流側の用地買収が進みます。
 上流側の平坦地は利用価値や価格が高く、買収が困難なのは分かるが、下流側の拡張では右の段差が大きくなり、下流側の住民だけが不便を被る差別のようにも。


 上は立派な質屋の蔵ですが、看板はあるも営業しているかは不明。
 お付き合いがないため想像ですが、蔵はステータスですし、利用者にはその大きさが信用のバロメーターとなるのでしょう。その一方、客から搾り取ったお金で建てたと考えると、取り立てが厳しいのでは? と思ったりしそうです。
 質屋は貨幣経済が始まった鎌倉時代に、物々交換の融通が利かずに困る庶民の助け舟として生まれ、明治期以降は庶民金融として給料日前のやりくりに気軽に利用されるも(消費者金融の原点)、まじめな利用者が多く質流れはほとんどなかった(?)らしい。
 落語ばなしのような、冬に蚊帳を持ち込み夏に受け取る客の話に接し、沖縄のクリーニング店の話を想起しました。「おばあの服まだ預かっているよ〜」「大切に扱ってよ〜、使う時に取りにいくからね〜」……


下北沢


 上には、本多劇場のルーツである俳優養成所「本多スタジオ」の稽古場が作られ、その後改築し最初の劇場とされます(現在グループの劇場は付近に8つある)。
 劇場1階のすずなり横丁には、役者連中がたむろしそうですが、下北から想起するのも、原田芳雄、桃井かおり、松田優作ら、1970年代から銀幕で躍動した飲んべえ連中や、映画『ざわざわ下北沢:2000年』監督の市川 準さん。
 いまも裏道ですれ違いそうな町の空気感は変わらないが、再開発の道路計画地に含まれるため、この建物も姿を消すようです。


 解体が進む下北沢北口駅前食品市場で、最後まで抵抗し営業する店舗は、名残りを惜しむ客でにぎわいます。
 外部の者は町の生命力と受け止める「闇市の名残り」ですが、自治体には早く除去したい目障りな存在らしく、演劇の町、古着の町、すれ違う若者の「ここはデートで来る町でしょ!」というカラーで町を整備し、古くからの怪しい勢力を一掃したいようです(国の市街地再開発事業に含まれない、都・区による再開発事業とのこと)。
 父の実家に暮らす伯母と買い物に来た記憶や、下高井戸駅前市場もよく行ったとの話を思い出すと、前回オリンピック前に体裁を整えるためバラックが排除されたように、今度の五輪を迎えるまでに東京の景色は大きく変わりそうと……

 小田急線開通(1927年)後、無計画に谷沿いの田んぼに店舗や住宅が建設され発展したおかげで、現在の楽しげな迷宮が生まれました(1933年 井の頭線開通)。
 駅周辺の猥雑さを整理したい自治体は(緊急車両の通路確保は重要)、小田急線の地下化工事を機に「それいけ!」と、反対意見を振り払い突き進みます。都が小田急の後押しをする印象があったのは、このためかと……
 ですが、地下鉄 副都心線開業から、小田急線から渋谷へ向かう流れは、千代田線〜 副都心線(明治神宮前駅乗り換え)にシフト傾向とのこと。井の頭線は混み過ぎ!+その先も東京メトロ利用客は運賃が安いかも。
 右は、深〜い下北沢駅地下3階ホームからの光景(以前ホームから見えたビリヤード場は健在)。



 鉄道開通まで集落の中心は、下北沢東支流と北沢川の合流地付近でした(地域の鎮守 北沢八幡宮が鎮座)。
 山門にある「粟嶋の灸」の札は、腰痛に苦しむ和尚が夢枕で伝授された、粟嶋=淡島神(あわしまのかみ)の灸の秘法を広め評判になったことによる。
 TVで目にしたことがある、豆腐に古針を刺し供養する行事は世田谷区指定無形民俗文化財。
 また、歴史ある富士塚を取り壊したのは苦渋の選択と思うが(墓地整備のため)、信仰の「はやりすたり」を認める潔さも必要なのかも知れません(でも残念)。
 右はチベット仏教の「マニ車:経文が納められる」のように回すものかと思ったら、弁天堂とのこと。

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