2017/01/05

10年続くとは……

2017.1.5

 2006年夏に大阪へ転居し、当初はパラパラ届くメールに対処していましたが、どこまで伝えたかなど相手ごとのフォローがわずらわしくなり、全員が共有できるよう2007年1月にこのブログを始めました。
 それが10年続くとは思いもしなかったが、この機会に気に入った写真をみつくろい、振り返ってみようかと……





 これだけ続いたのは、よっぽどやることがなかったようにも思えるが、初めての場所を歩く事は「新たな経験」ですから、そんな関心を持ち続けることは大切なこと、とも。

 首里城中城城座喜味城・今帰仁城跡もそれぞれ魅力はあるが、負けん気の強そうな城主(阿麻和利)に似合う「男っぽい」たたずまいに引かれ、機会ある度に足を運びました。
 「琉球王国のグスク及び関連遺産群」世界遺産登録 2000年、『ちゅらさん』放映 01年、「沖縄美ら海水族館」リニューアル 02年とたたみかけ、沖縄ブームに火がつきました(2015年 おばぁ役 平良とみさん、2014年 人工尾びれのイルカ フジが世を去ります)。




 大阪への転居は仕事理由ながらオフの京都歩きが楽しみで、当初は「行ってみたい!」意気込みばかりで、写真を撮る余裕もなかった気がします。少し落ち着くと、魅力的な被写体が多い事に気付き、撮影にのめり込んだ記憶があります。

 琵琶湖を歩き始めた時分は、歴史や文化ではなく「湖西線:西岸を通るローカル線」への浅い関心しかありませんでした。足を運ぶうちに、湖周辺に古くから根付く信仰(湖に浮かぶ竹生島沖島を含め)や、信長・秀吉の施策により栄えた湖を「うみ」と表現する、感謝の気持ちを理解できたような気がします。




 それまで使用したのカメラが故障し、デジタルカメラに買い替えたことも、ブログを始めるきっかけになりました。アナログカメラ時代の、現像〜スキャン or CD-R作成工程に感じた「何だかなぁ〜」のモヤモヤが、一気に解消されました。

 子ども時分は鎌倉 長谷寺(観音様)の大きさに驚いたが、この寺の規模や施設の立派さには言葉を失いました(鎌倉はこの寺を倣ったそう)。
 台風直撃の土砂降りの中でも、龍のように山へ向かう「登廊(のぼりろう):屋根つき回廊」のおかげで、本堂までたどり着けます(交通は不便でも後悔しない寺院です!)。

 紹介できなかったが、日本の歴史は付近に始まったと思える、桜井市周辺の古代遺跡群(卑弥呼関連?)山辺の道もぜひ!




 車窓から目に留り車を止めるも、もう少し明るい絵じゃないとなぁ、と撮った記憶があります。それでも写真は気に入ったので、それからは目に留まったものはとりあえず撮るようにしようと(デジカメはお金かからないし)。

 上の、ワカサギやフナ漁に使用される四ツ手網(よつであみ)には、晩のおかずが捕れればとの大らかさを感じますが、湖ならではの文化として残してもらいたいと。
 反対側の畔には「鳥取にハワイが?」のようなテレビで目にした、羽合(はわい)温泉があります(湖底からも温泉が湧くらしい)。




 上写真は、わたしの200mm望遠レンズでは迫れないので、無理して拡大したもの。
 当時は300mmレンズが欲しいと思ったが、旅の荷物は軽量・コンパクトが基本のため、この手の写真はあきらめました。カメラ類を鞄に入れると倍以上の重さになるのよ……

 野生繁殖数の減少から保護増殖に取り組むも成功まで25年かかり、その間に野生の繁殖個体群は消滅しました。その後、飼育による繁殖は順調に増え(地元農家の協力による)、2014年には韓国へ渡った個体がいたとのこと。
 鳥インフルエンザは心配でも、田園に当たり前のように「コツコツ:クラッタリング」の音が響くようになれば、日本の少子化にも歯止めがかかるのでは?



 右の広間を独り占めできる約10分程度とは思っておらず、急いで歩き回りあれこれ撮り方を工夫したものの、結局気に入ったのは「あるがままを撮った」この写真でした(寒い日なのに汗がにじんだ記憶がある)。

 雪がチラつく寒さに、最大限の暖かい服を着込み挑んでみれば、普段の季節は人であふれる人気スポットが驚くような静けさです(石庭が人気の龍安寺も…)。
 沖縄では暑い夏、北海道では寒い冬に再訪を誘われますが、京都には暑い夏・寒い冬ともに魅力があります。
 雪が似合う日本家屋の魅力にも出会えますし、京都を自由に歩くベストシーズンは冬! と。



 付近を代表的するのは下述の施設ですが、町のどこからも「端正さ」「生真面目さ」が感じられるのでこの地の魅力は右のような「町並み」にあるのだろうと。

 朝ドラ『マッサン:2014年』のモデル、ニッカウヰスキー創業者 竹鶴政孝の実家「竹鶴酒造」が存続するように、守るべきものの上に新たな戦略を見いだそうとする、堅実な気質が町並みに宿っているようです。
 映画『時をかける少女:1983年』で目にした町並みがそのままのイメージで残されていたことに、驚いた記憶があります。



 施設内部・外部景色にも魅力的な絵が広がり、国際色豊かな人々が集う「ちょっとやかましい」場所柄(撮影スポット)からか、1日いても飽きません。

 コンクリートの岸壁に鉄の船が接岸する桟橋でも、送迎デッキは木で覆ってもいいでしょ!? という発想に、引かれてしまいます。ボーダーレスを連想させる海が、桟橋の混沌とした空気を醸し出すため、難民を海に向かわせているようにも。
 桟橋には世界に開ける希望が感じられるので、五輪に向け、大型船が通れないレインボーブリッジの外側に整備すべきではないかとも……



 見事な存在感に圧倒されますが、どこを撮っても「見たことある写真」になってしまうので、コソコソ探した記憶があります。

 「合掌造り集落」世界遺産登録(1995年)から観光客が押し寄せ、東海北陸自動車道開通(全線開通2008年)で便利になっても、山奥での暮らしは容易ではありません。
 若い時分に比べ自分も粘り強くなったと思うも、ここまでの勤勉さを見習うのは無理と、感服したことを思い出します。


 写真の下手さは言い訳ができても、下手な文章は恥ずかしくて読み返せません(全部書き直したい)。
 せめて、手を入れれば多少まともになる、と思えるような文章を目指して(作文の訓練)、続けていこうと思っています。
 これからも、ヒマつぶしにのぞいてみてください。


2017年 新春の景色


 年末年始の関東地方は穏やかな日和で、日差しの下では防寒着を脱ぎたいくらいですから、海に入りたくなるのも分かる気がするが、この日は1月2日(江ノ島 片瀬海岸)。
 ですが、富士山を望める澄んだ空気は、冬の季節のもの。


 今年の箱根駅伝も青山学院大のぶっちぎりは、先を見据えた準備のたまものと。
 今回印象に残ったのは、運営管理車(選手を守るため)からのアドバイスで、過保護に思える指示はその場の選手を励ますも、卒業後を応援するものではなさそうです。
 選手の「楽しむどころじゃない、苦しいだけだった」の感想を、後年の「いい思い出」にするだけではもったいない気がします(社会人で活躍する姿が少ない)。
 青学 原監督の「東京五輪を目指せるランナー育成」発言のような、先を見据えた取り組みが必要ではないかと。


追悼──キャリー・フィッシャー

 映画『スター・ウォーズ』のレイア姫が亡くなりました。
 前作エピソード7で感じた「還暦 スター・ウォーズ 同窓会」を完結できない事態なれど、物語が現実に近づくような印象を受けます(エピソード8は撮影済みらしい)。
 彼女に対する特別な感情は無くても仲間意識を抱くため、(現実のように)青春期の思い出が遠のくような寂しさを覚えます。
 母親 デビー・レイノルズが娘に続き亡くなったことも、悲しい事と……

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