2017/01/30

引き返せない橋──大井町

2017.1.14【東京都】──「立会川を歩く_3」

 歩いても体が暖まらない寒い日で、さすがに冷えたとラーメン屋に入るも、手がかじかんで箸が動かせず、ヤバッと思った通り風邪をひきました…… お気をつけ下さい。




 銭湯開始を待つことも「一番風呂」を味わうための儀式とはいえ、キレイなお湯は高齢者には刺激が強すぎると聞いたことがあります。江戸っ子の性分なら仕方ないも、付近は江戸市外でした。
 昭和初期まで上・下蛇窪(へびくぼ)の町名でしたが、東京市編入の際「蛇はまずいだろう」と、上・下神明町に改称。その後、豊町・二葉町とされたように、東京にはルーツ(歴史)に縛られない自由さ(?)がありました。
 東京の歴史は、三代続けば江戸っ子程度しかないため問題視されなくても、歴史のある関西で町名変更を提案したら社会問題になりそうです。

 線路際の気になっていた「東小路」「平和小路」「すずらん通り」は飲み屋街ながら、昼間は飲食店に人だかりがあります。右の洋食屋や、その奥の中華料理店が盛況な様子を目にすると、人気の理由を探りたくなります。
 大井町駅南側の踏切付近や、東急大井町線高架下の溜まり場のような飲み屋街にも、労働者を癒す飲んべえ天国の様がうかがえます。
 付近に勤めていた父が、素通りできず引っ掛かった際に「あいさつしてきた」と、楽しげに話した表情を思い出します(現在入院中)。

 現在暮らす田町には衣料品店がないため、庶民的な店舗が集まる大井町によく足を運び、イトーヨーカドー、駅ビル(ユニクロ・無印良品)、ヤマダ電機など、生活用品を扱う店舗があるため、大方の用は足ります。
 商店街やスーパーはあるが大型店の土地確保が困難な、山手線沿線、東急大井町線沿線住民にアクセスがいいため、庶民の味方が出店しにぎわうようです(山手線からひと駅外れると、を体現するような場所柄)。

 ですが、りんかい線の開通以来、再開発で工場が次々消えるため、オヤジが追い出される日も近いのでは……



 立会川に架かる旧東海道の泪橋(現 浜川橋)では、江戸時代の鈴ヶ森刑場で処刑される罪人を、涙で見送ったと伝わります(村松友視の小説『泪橋』の舞台)。
 南千住駅付近にあった仕置場の小塚原刑場近くにも、この世との別れの場とされた泪橋があり、漫画『あしたのジョー』では橋の下に丹下段平のジムがある。
 川の名称由来には、「太刀合い説:戦国時代の北条氏と上杉氏が川を挟んで合戦した」もあるが、「泪橋説:見送る(立ち会う)」を支持するのは、罪人であれ処刑を悲しむ人がいたことを、戒めとして伝え続けるべきと思うためです。


勝島運河周辺


 勝島(大井競馬場があるためではなく、1939年埋め立て時の日中戦争勝利祈願が由来)との間にある運河の土手には、市民が整備した「しながわ花海道」があります。
 キチッと手入れされた場所はもちろん、子どもの手による区画も含め、土手を花で埋めつくそうと取り組む一画に、寒い季節に咲く花を目にします。
 真冬の季節に花を咲かせ、活動数の少ない虫や鳥に受粉を託そうとする植物の戦略には、どんな狙いがあるのか?


 江戸時代、立会川河口付近にあった土佐藩抱屋敷(かかえやしき:船の荷揚げ場)では、ペリー来航の翌年に幕府の許可を受け、砂浜を埋め立て「浜川砲台:砲台8門」を建設します。その際に坂本龍馬が奔走したことから、立会川駅近くに龍馬像が建ちます。
 先人の足跡を有効活用しようと、2015年に浜川砲台モニュメント(下)が作られますが盛り上がってるのか?
 ここはハーフ・ハーフながらも(平昌(ピョンチャン)冬季五輪を目指す真央ちゃんを応援したい)、付近の旧東海道沿いも、北品川のように何となくでいいから整備すれば、「おやっ?」と感じる人が増えるのではないかと思ったりします。


追記──東芝のバーゲンセール?

 大井町付近の川沿いにある東芝病院も、売却対象と取りざたされています。
 当初は従業員のために設立されますが、現在は地域住民に欠かせない存在となっています(実家近くにも系列病院があり、父も一時お世話に)。
 「売ってお金に換える」が企業論理としても、大企業の撤退は地域社会への影響も大きいため、公共施設である医療機関には特別な配慮が必要ではないか?

0 件のコメント: