2017/01/16

地下水は土地の生命力──碑文谷

2016.12.25【東京都】──「立会川を歩く_1」

 立会川の名は、河口近くの旧東海道に架けられた橋のエピソードで知られますが、上流域(ほとんど暗きょ)の知識は何もないので、ぜひ歩かねばと……






 立会川の主な水源は碑文谷池と清水池ですが、付近まで高架上を走る東横線が、尾根上を通る環状七号線の下をくぐります。
 その尾根は現在、東:立会川と西:呑川の分水嶺になりますが、東側を浸食したのは碑文谷池とは高度差があるため現在の立会川ではなさそうです。そこで標高図を眺めると、太古の旧立会川は目黒川の支流だったように見えてきます。
 その水域の変化は海面下降の影響によりそうで(年代は未確認)、後述する現在の立会川・目黒川分水嶺は、その後生まれたように。


 以前、東急バス車庫の地にあった池を「清水」の地名由来としましたが、ほど近いこの池こそふさわしいと。清水の地名は、湧水地の名称として各地にあるように、湧水が点在する周辺の呼び名だったのではないか。
 上の釣り人が狙うヘラブナ(ゲンゴロウブナ)は汚れた水を苦とせず、植物ブランクトン(アオコの原因とされる)を食べるため、都市部の池に適応可能な淡水魚とのこと。



 公園(池)の名称からは、記憶に新しい事件が想起されますが、捜査も終わり園内の遊具施設で遊ぶ子どもたちの姿は、日常に戻りつつあるようです。
 ご冥福と繰り返されぬことを弁天様に祈り……

 江戸時代の碑文谷池は現在よりかなり広く、鴨が多く生息するため将軍の鷹狩り場とされ、付近に鷹狩りの番人が暮らした縁から鷹番の地名が残ります。
 後に周辺の灌漑用貯水池とされ、池の維持管理と共に弁財天(水の神)が祭られるようになります。
 清水池の弁財天、東急バス車庫にあった清水稲荷も同じく、水の恵み・豊作を祈願したもの。

 品川用水(玉川上水の分水)が通された尾根筋(東急バス車庫と清水池の間)は、東:目黒川、西:立会川の分水嶺で、いまも双方の湧水を間接的に確認できます。
 都心部の湧水を上水利用するには浄水施設が必要なため、ほとんどは雑用水(飲用以外)利用もしくは下水に流されることに。対策費用は住民負担(屋外の下水は税金?)となりそうですが、丘陵地の南端まで流れる地下水脈は、保全すべきではないか?
 池の水が「湧水」と知り、見る目が変わる驚きは小さな事ですが、可能であれば後の世代に「あるがまま」を伝えたいと。



 碑文谷のダイエー閉店(2016年5月)は耳にしたが、イオンとなった姿(同年12月)と対面し、シンボルだったDaieiマークが消えた姿には「碑文谷じゃなくなった?」とすらも(ダイエーはイオンの傘下なんですね)。
 賃貸契約終了に伴う親会社のテコ入れ策は理解できますが、周辺住民はその変革をどう受け止めるのだろうか?(ビルの元オーナーは横井英樹氏)

 冬でも緑がまぶしい竹の「若葉の季節」は秋とのこと。
 スズメの幼鳥は群れで生活するためやかましいも、目にしなくなった冬前には独り立ちしたのか? ふくらすずめのリンク>>>



 前回訪問時は、屋根上の十字架が東日本大震災で破損し修復中でしたが、今回はスッキリと。
 一般的に教会の鐘楼は丘の上にそびえますが、ここは立会川沿いの窪地に立ちます(敷地には平地を生かしたグラウンドがある)。それゆえランドマークとなるよう、高い鐘楼(36m)を建てたようにも。
 出会い頭に遭遇した神父さんと会釈を交わしますが、瞬時に生まれる「湧いてくるような笑顔」は、まねできませんし魅力的と感じてしまいます……


追記──小池都知事の本領発揮はこれから!

 東京五輪施設整備費の財源候補として、知事は東京2020公式オリジナル商品「ジャパンプレミアム」を紹介します。現代のイベント運営に必要と考えていたことを宣伝する姿に、拍手を送りたい!
 一方の「前の話は知らない」の無責任発言や、政治力で金を集める手段しか持たない昭和思考の森 喜朗は、とっとと退散せよ!(五輪はチャンスだが、バブルではない!)
 また、豊洲の有害物質検出結果から、専門家会議座長が「何が正しいのか? 原因究明のためわれわれが調査したい」と乗り出すほど、東京都への不信感が高まります。
 政治家とは「前の話を咀嚼し」舵取りをする仕事なので、どう転ぶか分からないにしても、彼女の判断は、舛添や石原に比べはるかに身近に受け止められるのではないかと……

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