2018/12/24

もう終わりだねぇ──皇居 乾通り

2018.12.8【東京都】

 前週東京駅で、皇居 乾通り一般公開の出口案内を耳にし、まだ公開されていたら是非にと誘われたのですが……



 右写真左側の行幸通り(皇居前 和田倉門交差点〜東京駅中央口交差点)は普段歩道として解放されますが、天皇の行幸と外国大使の信任状捧呈式馬車列が通行する際には専用道路とされます。皇居へ向かうシンボリックな道は日本の中心にふさわしく、外国大使にも喜んでもらえることと。
 街路樹のイチョウが新緑や紅葉の季節(右はちと遅い)には、馬車の駆け抜ける姿が絵になりそうなので、一度見てみたいと。
 イチョウの木はまだ背丈が低く(整備されて日が浅い?)、両脇に建てられた高層ビルに圧倒されますが、背が高くなったらいいロケーションになりそうです(何年先になるのか?)。



 乾通りは2度目で、ニュース等で混雑の様子を目にするも、午後だと並んでもダラダラ動いた記憶をあてに向かったところ、今回も並ぶのは15分程度で済みました。
 乾通りの紅葉は桜の季節同様、城壁や建造物とのコントラストが売りと思われますが、「もう終わりだねぇ〜」の声が聞こえるような状況で、限られた場所の狭い絵だけに。
 場所柄「平成も、もう終わりだねぇ〜」とも聞こえたように、年が明けるとそんな話題が増えそうです。
 天皇制云々は別として、平成天皇は新しい天皇像構築のために腐心されてきたと感じますし、健康の問題としている退位についての考えも、社会への影響を考慮したものと受け止めます(皇后への配慮も)。

 天皇即位を目前にした皇太子が発言できない時期の、秋篠宮発言(大嘗祭(だいじょうさい:天皇即位の儀式)費用について、「宗教色が強いものについて、それを国費で賄うことが適当かどうか」)の役割分担は見事というか、彼らは平成天皇の姿勢からもう一歩踏み込んだ皇室改革を考えているように感じられます。
 祭り上げようとする国の姿勢(軍国主義時代に通じる)よりも、天皇家による見識の方が現代人の感覚に近しいと感じられることは、おそらく平成天皇・皇后の影響によるものと思われ、今後も内側から皇室が変わる可能性がありそうと。

 下の乾門(出口)から見える北の丸公園のイチョウに誘われ直進します。




 「こっちの方がキレイ!」の声のように、まだ紅葉の見頃な場所が残っています。
 皇居内は植生のバランスが考えられているようですが、北の丸公園は千鳥ヶ淵の桜並木のように見て楽しむことを念頭に木々が配置され、緑の多さだけでなく植生のメリハリによる季節感が楽しめる公園に整備されています。
 この季節に訪れるのは初めてで、来年からは紅葉の名所としてチェックしに来たいと。

 武道館ではK-POPのコンサートがあるようで、関連グッズを買いに来たおばさんが、袋入りの写真を開けてはガッカリを繰り返しています(いくつ買ったのか?)。その空気感から、ガキ時分に駄菓子屋のくじが外れた気分がよみがえりますが、あれは10円じゃないでしょうから、かなりの出費かと……




 転居後は近くなったので何かのついでにと思っていたが、一年が過ぎてしまいました。
 帰りがけに半蔵門線で立ち寄るが、ここも紅葉はもう終わりの様子。品があり落ち着ける庭園で、今回で3・4度目程度の訪問と思うが、いちいち細かな部分まで記憶にあり、気に入っていたことを改めて納得しています(変わってない様子)。

 清澄白河駅前は幹線道の交差点にありますが、集合住宅 清洲寮(昭和8年)も健在など町の空気は変わらないように。帰りに門前仲町まで歩きながら(小津安二郎さん生誕地を通る)、以前は「ゼロメートル地帯はNG」にこだわったが、現在暮らす西葛西(ゼロメートル地帯)も同様の環境ですから、これまで以上に愛着を感じそうと……

 上は、大きなミミズを捕まえても動き回るためか、一気に飲み込めないサギの様子。


追記──平成天皇最後の誕生日会見

 「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています。」
 「自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労いたく思います。」

 聞きたかった心情をキチッと語る言葉は、責任の重さとともに国民に響いたことと。
 一般参賀に最多の8万2850人が皇居を訪れたことは、その御礼の気持ちであるように……

2018/12/17

のぞいてみたい願望──上野公園

2018.12.1【東京都】

 今年二度目の訪問(花見以来)となるのは、転居後は新宿・渋谷等 山手線西側方面が圏外となったため、下町圏に引っかかりやすくなったせいかも……




 上は、京成線 旧博物館動物園駅(1933年〜1997年)がアートスペース(「アナウサギを追いかけて」の展示)として21年ぶりに一般公開された様子で、ボードを持ったお姉さんが「本日の入場整理券配布は午前中に終了のため、入場できません」と説明するように、見学はかないません。
 少しくらい見せてやろうとの、おこぼれとして(?)脇の門が開かれています(上の白い物体は右のウサギのお腹)。見てもらうことに意味がある展示会を開くために、見せられるよう整備し直す取り組みは、芸術の森、東京藝術大学の隣接地ゆえ実現したように。
 都の歴史的建造物とされる開かずの門の中を、のぞいてみたい願望を抱く人は多いので、イベント終了後に改めて公開されますことを。



 江戸時代は寛永寺の敷地でしたが、1873年(明治6)芝、浅草、深川、飛鳥山と共に日本で初めて公園に指定されます。関東大震災(大正期)の後には西郷隆盛像がたずねびとの張り紙で覆われ、東京大空襲後には臨時の火葬場があったそう。東京で迷子になった際など、もしもの時の待ち合わせ場所とされる知名度の高いランドマークでした。
 東北方面の玄関口のため駅周辺には途方にくれる人も多く、溜まり場付近にアメ横(闇市)が生まれたように、現在もホームレスには居心地がいい場所のようです。
 以前からホームレスに食事を提供し布教活動する宗教団体を見かけたが、現在は数が増えたそうでこの日も賛美歌(?)が聞こえてきます。日々の練習の成果か、結構聞けるレベルだったりします(右の方は無関係)。

 グズグズせずに次なる目標へ! なんて二の次との考えでお目にかかれる相手ではありません。ご察しの通りパンダのシャンシャンを目指しますが……
 公開当初の熱狂はだいぶ静まったように見えても、もう少し時間が必要らしい。パンダ情報は様々公開されており、ライブ映像や、ニュース映像アーカイブス等を見てしまうと、会いたくなっちゃうのはわたしも同じです。それでもこちらは、到着30分前に整理券配布終了ですから、旧博物館動物園駅よりは手が届きそうな感触を受けます。
 天気のいい日に散歩するには格好の場所柄で、人出が多いと分かっていても誘われてしまう、庶民のランドマーク人気は衰えません。
 右の「時の鐘」は6時、12時、18時につかれます。

 右は、手前の少女が拍子木を打つと、台上の演じ手が踊り始める大道芸で、外国人観光客からは「ブラボー」の声が掛かります。
 子供を使った出し物からは、日本が貧しい時代の、教育より生きることを優先した状況(目にしたことはない)を想起してしまうが、現在は寺山修司が語った時代(口減らし等)とは違います。
 いまどきでは、少女が師匠に弟子入りし、大道芸人の修行をしていると受け止めた方が理解しやすそうな気がします。
 自分で生き方を選択できる時代ですから、外国人のようにありのままを受け止めて、素直に反応すべきでなのだろうと。

 近頃は上野に限らず人が集まる雑踏では、あちこちから中華系(中国+台湾 等)の言葉が聞こえてきます。
 上野界隈で商売をする方々は、観光地・繁華街の認識を持つため異論はないと思うが、はたから見るとどこの観光地も中華系観光客に養われているように感じます。
 今年各地で発生した自然災害等(今年の漢字は「災」)で観光収入が大きく落ち込んだ際に、中華系観光客の減少が取り上げられました。特に中国人観光客をお得意様としているようですが、依存しすぎると別の理由から「死活問題」が発生する恐れがありそうに。
 現在の米・中間の貿易戦争は、体面を気にしないガキのケンカのようで、将来は不安だらけです。
 右は不忍池の枯れたハス。


 NHK大河ドラマ「西郷どん」終了

 当初、西郷役の鈴木亮平に感じた違和感はほどなく薄れ、次第に「太か」人物像と重なり存在感が大きく見えてきたのは、役作りで体型が太くなっただけではないと。
 西郷さんらしさとは、国民のための国づくりを目指し奔走する姿や、武士を束ねて明治新政府に異を唱え反乱を起こすこと以上に、2008年「篤姫」で描かれた、薩摩藩主 島津斉彬から篤姫と共に命を受け敵対する立場となっても、国・人を愛する気持ち(無用な戦いは避けたい)に従い、江戸城無血開城を実現させた決断にこそ表れていると。
 それこそ「太か人物」ならではの英断と思うが、本作では明治維新達成に向けた葛藤を描きたかったらしい。
 
 近頃の大河ドラマで不満だったタイトルバックのCG合成を、全部実写(に見えた)としたことに拍手です(実写の方が格段に迫力がある!)。


追記──ブラタモリ「豊洲」に落胆
 
 「豊洲市場も無事開場したので、早い時期に豊洲をアピールしてもらいましょうよ!」との、小池都知事の声が聞こえるような企画に驚きました。
 豊洲市場に触れないところがブラタモリらしいとは、評判を利用したカモフラージュで、見せられないものを隠すためでは? と勘ぐりたくなります。
 この番組は地面を掘り下げようとする探求姿勢が売りなのに、旧工場地帯の「盛り土」(そのキーワードが墓穴を掘る)の上に市場や住宅が立ち並ぶ「新しい町」との説明(都の宣伝)で、「めでたし…」と終わらせたいとの意図が感じられます。
 将来、市場移転時に騒がれた汚染土壌や、汚染地下水の流出(東大島)のような問題が発生しないことを願いたいが、タモリの「すごいとこですねぇ〜」の締め言葉にも、「本当に大丈夫なの?」が込められていたように……

2018/12/10

錦秋に染まらない?──旧古河庭園、六義園

2018.11.23【東京都】

 紅葉を期待し旧古河庭園、六義園へ足を運びますが、ちと早かったか。千葉のように初めての地をさまよう楽しみはないが、知った場所では歩調もスムーズになります。




 広さはないが、起伏を利用して日本庭園と洋館+西洋庭園が配される趣向から、大正ロマン(1919年:大正8年)が目指したものは、いまの日本人好みに通じるようにも。
 季節に合わせて都立庭園紅葉めぐりスタンプラリーが実施され、年配の方がスタンプを探し歩いています。目当ては景品(来年のカレンダー)としても「スタンプを集める」という目的には、年齢に関係なく引きつけられる魅力があるようです。
 これをお年寄りを外出に誘うきっかけに活用できれば、ボケ防止や運動不足解消に役立てられるのではないかと。

 同じ枝に緑と紅い葉が混在する様子(右)から、紅葉は枝の葉全体が同時に染まるのではなく、染物のように末端から染まっていく様子がうかがえます。


 バラに限らず庭の手入れが行き届いた様子にはいつも感心しますが、そのおかげで紅葉と秋バラを同時に楽しむことができます(単に温暖化のせい?)。
 上写真を帰ってから目にし「こんなウケ狙いの写真を撮ったのか?」と驚きましたが、屋敷や庭園設計者の術中に飛び込んだとも言えそうです。ベタな絵ならではの強さが感じられるので、今後はこんな視点でも撮ってみようと思い始めています。
 駒込駅近くの本郷通り沿いにあった銭湯 亀の湯は、跡形もなく駐車場に……




 見ごろではないが紅葉シーズンのため駒込駅側の染井門が開門されており、そこに並ぶ行列にビビりましたが、正門はガラガラの通常通りでした。
 上は、見学者の投げたボールを傘の上で回す大道芸で、彼のチャレンジは成功し緊張感を満足感に変えてくれますが、次の子はとんでもない方向にボールを投げてしまいます。その子に求めるのは無理だったとしても、飛び入りの人選って難しそうと。
 「いつもより多く回しております!」の染之助・染太郎さん(ともに故人)は、伝統演芸の太神楽(だいかぐら)師と呼ばれたそうです。


 上の松は枝ぶりが見事なため、かなり背の高い雪吊が施されています。積雪から枝を守るための縄の配置やバランスが考慮され、最後は職人さんの美意識で仕上げられているように(これは美観目的の飾りかも)。
 外国人観光客の多くは特徴的な吹上の松や茶屋が好みのようで、その周辺は通路が渋滞しますが、紅葉にはさほど関心がないように見えます。


 上の渡月橋は混雑(手すりがなくすれ違いは危険)のため一方通行とされ、サザエさんのエンディングのような絵に。
 「色づき始め」の情報でしたが、もう少し時間がかかりそうというか暖かい日が続いたので、この先もふぞろい(まだら)のままで終わってしまいそうに。


 前回まで千葉方面を歩いたため、都心部の交通網の細やかさ、運賃の安さに、改めて便利さを実感します。ですが、千葉方面への行き帰りは人の流れとは逆方向のため、帰路の車内でグッスリ眠れましたが、都心からの帰路では混雑する地下鉄東西線(下り)に乗るため、休息もままなりません……



 木村威夫さん(2010年没)の展示会を知り、国立映画アーカイブ(京橋)に立ち寄りました。
 鈴木清順、熊井啓、黒木和雄監督作品をはじめ、拝見した作品はどれも印象に残ります。特に鈴木清順監督『ツィゴイネルワイゼン』(1980年)については、「満足のいく仕事ができたが、監督はその上に違う世界を作り出してくれた」(正確な表現ではないかも)、に近い驚きを観客も感じられたことは、美術と演出が互いに刺激しあった成果だったと。木村さん監督作品『夢のまにまに』(2008年)も好印象でした。
 木村さんが日活入社当時の映画界は夢のような世界でしたが、斜陽産業とされる中でも芸術家肌の美術演出のおかげで、黄金期に負けない光を放っていたと……

 本施設は、2018年4月 東京国立近代美術館フィルムセンターから独立した国立美術館が運営する映画専門機関で、施設内には映画上映ホール「長瀬記念ホール OZU」があります。長瀬とはIMAGICA(旧東洋現像所)の創業家が設立した長瀬映像文化財団で(日本の映像文化を支える存在としてふさわしい団体と)、OZUは小津安二郎さんではないかと。
 このホールでは何でも上映できそうなので、上映プログラムを考えるのが楽しそう。
 右は、黒澤 明監督作品『七人の侍』(1954年)に登場したのぼりのレプリカ展示。

2018/04/02

江戸川区の千本桜

2018.3.31【東京都】──お花見2018 in 江戸川区

 転居から半年が経過し、周辺の環境をほぼ見分したつもりでしたが、初めて迎えた春に桜を見かけないことに気付き、これでは寂しいと近場の花見スポットへ……


 現在暮らす集合住宅は商業地区に接するため、駅までの道筋に緑地はなく駅前にも桜の木はありません(田町駅でさえ海側の芝浦口には植えられていた)。
 車窓からも海側に数本見える程度で、荒川を越えると地下に入ってしまい、下車駅の神谷町もビルの並木ばかりという通勤環境で(移転前は六本木ヒルズで堪能できた)、桜難民を自覚する状況に「ここは日本か?」とも……



 ソメイヨシノは明治期以降、街路樹、河川敷、公園の植え込み等に植えられるようになり、戦後の焼け野原でも若木から花が咲くため、戦後復興のシンボル的存在として爆発的な勢いで全国に植樹されました。
 ですが、当時の西葛西周辺には湿地や水田が広がっており、町として整備されたのは高度成長期のためソメイヨシノ植樹ブームを知らない町になります。
 桜の植樹に消極的に見えた江戸川区も(事前に都の護岸整備が必要だったためか)、区民の要望に後押しされるように2014年新川千本桜を整備します。


 区の広報から盛り上がる様子を想像したが、「江戸川区民は花見が好きじゃないのか?」と感じる静けさに驚きます(翌日が桜まつりのせいか)。
 広い水路の岸に若木が植えられるため、まだ目黒川のように川を覆うような迫力が感じられませんが、木の成長を見守る楽しみがあります。
 上は、新川西水門広場の火の見やぐら(モニュメント)。


 櫓こぎ舟が浮かぶ水路には風情があり、水都を目指すにはいい取り組みと思うが、川岸に並木が続くだけの単調なロケーションなので、30分程度歩くと「もういいか」の気分になります。
 桜の木と同様、名所として盛り上げるために地域で知恵を絞ることから、地元意識と地域振興の活性化ができるのではないか。名所となるかは、これからの取り組み次第。




 ここは江戸川区小松川と江東区大島にまたがる都立大島小松川公園で、季節の活気を体現する子どもたちの姿が、新川千本桜の物足りなさを解消してくれます。
 ですが以前も触れたように、地下には六価クロムを含む鉱滓(こうさい)が埋まっており、『風の谷のナウシカ』で描かれた腐海のように、木々が汚染された土壌を浄化してくれるまでには、人の寿命では計り知れない時間が必要になりそうと……

 下の荒川沿いに植えられた並木が小松川千本桜で、土手の緑と桜が引き立てあいます。


 右・下は旧中川河川敷。水上スポーツも本格的な開幕のようで、花が舞い散る水面を漕ぐ姿は気持ちよさそうに。
 一般に名所とされる桜の木は、大きく育ち地面に日が当たらないため下草が生えませんが、緑の上に桜が咲く様はこれからの季節に希望を抱かせる色彩に見えます。

 季節柄「桜ソング」をよく耳にしますが、わたしの頭の中には、竹内まりや『人生の扉:満開の桜や 色づく山の紅葉を この先いったい何度 見ることになるだろう』が流れてきます(以前も書いたと思う)。
 回数が減ることをリアルに感じる前に、毎年の季節感を楽しんでおくべきと思うように……



追記──連続テレビ小説「わろてんか」終了

 最終回の脚本は見事と、拍手をしながら見ていました。
 往々にして回想シーンが登場するところを、戦後の焼け野原の青空舞台で自演し、見る者の記憶から「あった、あった!」と引き出させようとする狙い。
 これまでも時折幽霊のように登場した主人公の亡き夫が舞台上に本人役で登場し、主人公がその応援を活力として戦後を歩みだそうとする姿。
 どん底の暗い気持ちを明るくしたい思いが、吉本新喜劇を生んだことへの賞賛。
 どこをとっても見事でした!

2018/03/26

花も待ちきれなかった?──上野公園

2018.3.24【東京都】──お花見2018

 花もこの冬は例年より寒いと感じたのか、平年より10日も早い満開は、暖かい日に誘われ待ちきれずに咲き急いだようにも。



 この日は浜離宮庭園に向かうため地下鉄日比谷線 東銀座駅に降りると、歌舞伎座の「屋上庭園」の案内が目に入り、そのまま吸い込まれるように。
 イメージしていたのは高層ビルの屋上でしたが、劇場建物の屋根上庭園なので5階でエレベーターを降ります。庭園はどってことないが、屋根瓦を間近で見るのは初めてと。



 菜の花と桜の色彩がキレイだった印象があり足を運ぶも、桜は種類が違うらしくまだ先のようです。
 近ごろは爆買いではない外国人観光客のバスツアー(国籍は様々)が増え、健全性を取り戻しつつありますが、いたるところで外国人観光客を目にするように。特に日本が自慢できる季節ですから、花見を楽しんでもらいたいと。

 下は、築地市場移転が遅れたため、橋は完成しても接続道路が作れない築地大橋。これ以上の遅れは許されないためか、判断理由がハッキリ伝わってこない気がします。これが小池知事が言うオープンな都政なのか?


 特別名勝・特別史跡とされる庭園の松を剪定する方々は、プロフェッショナルなんだろうと眺めますが、作業規定とされる出で立ちには粋さが感じられません。
 池の畔に鷹の御茶屋が復元され、2020東京五輪に向け復元を検討される建物があるらしく、庭園としての側面だけでなく、鹿鳴館の完成まで迎賓館とされた外国人接待所延遼館があったことなども伝えるべきかと。

 外国人観光客の子どもたちの飽きる様子は仕方ないと思うも、彼らの世代向けのサービスを提供できれば、将来のリピート訪問に期待が持てるのではないか。




 特に桜の名所ではないが、この日も「第1回 からだにいいことWeekend with フィンランド:雑誌のイベントに、世界でもっとも幸福度が高い国とされるフィンランド大使館が協力」が開かれるなど、世代を超え気軽に立ち寄れる公園として親しまれます。

 上は10円カレー(10円以上の募金に協力した方)の松本楼。右は、日比谷公園らしいテニスコート前の桜。
 下奥は、フェリーチェガーデン日比谷(ウエディング施設)。調べてみると、公園内には他にも知らない店舗がいくつもあります。






 「花や陽気に誘われて」の表現には、浮ついた気分や優柔不断さが感じられますが、桜の季節には積極的に参加したいDNAを受け継ぐため(?)、花の便りに誘われるままに。
 風情を静かに楽しみたい気持ちや、春の到来を仲間たちと一緒によろこびたい気持ちなど、どんな楽しみ方も無礼講として心を許せるひとときです。
 満開の花と満開の笑顔の群れに身を投じたいと思うようになったのは、東日本大震災で人々の表情が一気に暗くなった経験からだろうか。あの記憶は決して消えないが、この瞬間だけは不安を吹き飛ばせるポジティブな気持ちを持てる気がします。
 上は、東京都高等学校文化連盟茶道部門の学生による「観桜茶会」。いい文化だなぁ。


 心が一つになれる光景から、同期の桜と称した表現は見事で、それが島国根性の求心力とされたら否定も放棄もできないが、この光景を外国人観光客に体験してもらい客観的に評価してもらえば、理解しあえるはずと。
 動物園前にパイロンを並べた通路が広がっているのは、もちろんパンダのシャンシャン見学希望者を整理するためのもの。小さな可愛い時期に見たい気持ちは理解できますが、この通路に人が群れていたらと想像するだけで……
 でも「シャンシャン」の言葉に反応してしまうのも事実ですし、明るい話題は地域を活性化させてくれます。「あれは誰?」とされる西郷さんも、大河ドラマ中盤くらいから上野も盛り上がるのではないかと。



追記──1年もがいた高梨沙羅

 男女を通じ最多の通算54勝(翌日の今期最終戦で55勝)は1年ぶりの勝利ですから、その間ずっともがき続けていたことになります。
 トップアスリートが1年間勝てない状況は想像できない世界ですが、欲やあせりから調子を崩しても、辛抱と努力を続けてきた成果に違いありません。
 この試練を乗り越えられたのだから今後も記録を伸ばしてくれそうですし、次の五輪こそ一番高い場所に立ってくれるのではないかと、応援しています!

2018/02/26

地下鉄は身近なれど……──葛西

2018.2.3【東京都】──地下鉄 東西線を歩く_1

 江戸川区内はおおむね歩き、何だかなぁ〜の様子が分かったので、今回からほとんど初めての東西線 西葛西駅から下り方面を歩こうと思います(葛西は江戸川区ですが地下鉄博物館があるので)。



 葛西にある美術館とはどんなものかと足を運ぶも休館。地元出身の建築家 関口雄三氏の「子供たちに気軽にアートに触れて欲しい」との思いにより2001年に開館。
 常設展示される彫刻家 柳原義達氏の作品は、鳩やカラスの彫刻が有名なのに、全然違う写真を撮ってしまった(右)。カラスの巣にも見えないし……
 周辺には関口氏の手によるのか、チラホラとデザイン性を感じさせる建物がありますが、あまり個性が過ぎると落ち着きのない町になりそうとも。




 1986年葛西駅高架下に開館した地下鉄テーマパーク(?)の入口は改札になっており、腕に覚えのあるOB(?)が切符(入場券)にハサミを入れてくれるが、現役時代(高度成長期)のノリはなく、確実さ第一の手さばきに。
 ガキ時分、リズミカルに改札鋏を鳴らしてハサミを入れる姿がカッコ良く見えましたが、中にはリズムに酔っているのか「早く切ってよ!」という駅員もいましたっけ。切り損じもご愛嬌で、自動改札と比べればゆるい時代でしたが、自動改札の警告音って、通勤客をイライラさせようとする効果音のように聞こえます。
 上は丸ノ内線一号車、下は日本初の地下鉄銀座線車両。


 地下鉄限定の博物館(新幹線はない)って人気あるの? と思うも、付近は地下鉄しかない土地柄で身近なこともあり、女の子たちの食いつきもよさそうです。親にとっても「きょうはここで」と安心できる施設(入館料 子ども100円)なのでは。
 人気の運転シュミレーターには行列ができており、地下鉄なのでトンネルを走り続けますが、乗車時には気付かない起伏が見て取れるのは楽しそう。
 ガキ時分に心躍らせた模型電車が動くパノラマコーナーは、地下鉄を意識した構造物が多いため見通しが悪く、どの路線を説明しているのか分かりにくいと。
 地下鉄は身近なれど、東西線も利用者数が輸送能力のキャパを越えているように……


 上は、副都心線建設に使用されたシールドマシン(トンネル掘削機)のカッターディスクですが、以前見た首都高速 山手トンネルで使用されたマシンは、もっと複雑だった印象があります。副都心線沿線ルートの地盤は軟らかかったのか。

 ガキ時分、車内の床は木製でしたが、都心の地下鉄はスマートな仕立てに見えます。
 神奈川県を走るローカル路線の床板は、レールの枕木を薄く切り油をしみ込ませたような姿で、すり減った部分ではネジが頭を出していました。
 後年、鋼板上にシートを貼った床が登場し「何て柔らかな床!」と驚きましたが、新しさばかりに関心が向いていた時代には、木のぬくもり云々という感性は持っていなかったように……





 ゾウや獅子の装飾がある鐘楼に引き寄せられます。江戸時代の建築物が当時の姿で残るのは(1984年解体修理)、震災や空襲の被害を受けなかった環境のおかげと。

 永代通りは、皇居大手門前の大手門交差点から江東区の清砂大橋(荒川)西詰交差点に至る道路で、その東側(埋め立て地)に延伸された清砂大橋通りは、現在右の旧江戸川手前が終点。時期は不明だが、カメラ背後の旧江戸川に架橋計画(仮 堀江橋)はあるらしい。
 一般的に埋め立て地間を結ぶ橋は少ないため散策しづらいし、東京都・千葉県の県境で双方に住宅地が広がる地域ならば、災害避難路確保のためにも早急に造るべきと。


 旧江戸川を航行する小型タンカーは、波の影響が少なく、水深が浅い環境向けの設計らしいが、満タンの荷を積む姿は小型ボートの波でもかぶりそうと。
 川沿いの立地に固執する工場は効率が上がらないように感じるも、内陸地の雇用を支えているため、一概に海沿いに立地すべきとは言えないと。


追記──美しさが生んだ速さ(スピードスケート女子団体パシュート)

 研究により提案された理想型を肉体で実現できれば、成績と共に美しさを放ちますが、団体競技の滑りをシンクロさせるまでには、どれほど時間が必要だったか?
 リオ五輪 陸上競技・男子4×100mリレーのバトンパス同様、Japan Specialtyという武器を備え高みに挑む姿は、国民の心をしっかりつかみました(芸術点をプラスしたい!)。アスリートとして、高木美帆の飾りっけのないストレートな姿勢こそがカッコいい! と。

 今大会の成績は素晴らしかったし、メダルに届かない選手にもベストを尽くした姿を多く目にできたので、とても盛り上がった印象を受けました。
 彼らの奮闘を東京オリンピックへとつなぐために、助力できることがあればと……

2018/02/19

地盤沈下だけではない──東大島

2018.1.27【東京都】──江戸川区探訪_15

 1930年(昭和5年)造成の荒川(放水路)は当時の町村界に関係なく通されますが、分断された村を含む合併で32年江戸川区誕生の際、西側の江東区との境界が旧中川沿いに設定されたため、荒川を挟み飛び地のような地域があります。


 この日は亀戸行きの都バスに乗り(西葛西→両国や秋葉原行きもある)、車窓から目にした清洲橋通り、新大橋通り等の標識に、江戸市中(隅田川)へ続く道の歴史をうらやましいと。埋め立て地に通された新しい道の名称は、語呂合わせの記号のようで覚えやすくても、文化の香りが感じられません。




 1998年周辺の防災再開発事業により移築されますが、周囲を高層住宅に囲まれる様は城塞都市の守り神のようにも。現実には、災害避難場所の広場に境内の土地も組み込まれるように見えるが、社の存続と地域社会とのつながりには絶好の環境とも。
 上写真、柵の奥中央に白く見えるのは富士山を模した富士塚の碑で、周囲には当時からの石碑が並びます。以前南葛西でも感じた、平坦地に暮らす人々の山へのあこがれ? のようにも(浅間神社は富士山信仰の社)。




 旧中川は荒川放水路の開削により元の流れから切り離された水路で、地盤沈下の影響から水門に守られる池のような存在となり、流れのない水路ではボート競技等の練習が盛んに行われます。
 普段は穏やかな川面も北風が強烈なため、上の艇たちは風で下流へ流される際はおしゃべりしていましたが、帰りは苦労しているように。



 バスで荒川を渡る際に目にした河川敷を走るランナーたちは、東京30K 冬大会(マラソン)参加者と知ります。
 右はメイン会場撤収の様子で、更衣所等の一体型テントはたたむと右の姿に。設営・撤収は手軽でもがさばりそう……

 ここは、江東区・江戸川区にまたがり、災害時に20万人の避難を想定した防災公園として整備されます(1997年)。荒川に面した広い敷地は空が広いため開放感があり、川沿いにある小松川千本桜の樹齢はいい感じに見えるので、花の季節にはまったりできそうです。

 荒川と旧中川に挟まれた小松川1丁目付近だけ土地がかさ上げされるように見えるのは、高潮対策ではなく、前所有者 日本化学工業の、六価クロムを含む鉱滓(こうさい:精錬後の鉱物くず)の廃棄場だったことによります。
 汚染地下水の流出発覚後、都は汚染土壌の洗浄や封じ込めを行うが、その後も汚染地下水の流出は収まりません。
 高度成長期の臨海部一帯は汚染物質の廃棄場とされたらしく、葛西臨海部周辺が死の海と化し漁業が衰退したことも、当時の辺境の地という認識が原因のように。
 汚染物質の流出防止に失敗し対処に追われる都の対応は、都民ファーストどころかSafety Firstすら実現できないように。その甘さが、築地市場の豊洲移転で繰り返されたとすれば、まずは「都職員の学習ファースト」に取り組んでもらわねばと…… 右は、希望を表現する像。



 江戸期付近にあった中川船番所が、夜間の出船や女性・鉄砲の出入りを取り締まったのは、関所と同じ役目かと。
 付近には、水陸両用バス スカイダック(リンク先YouTube)のスプラッシュポイントがあり、この日は客が少ないせいか、中華系家族の旅行者が貸し切りで乗車 or 乗船(?)していました。
 はとバスのコースにありそうでも、近ごろは細かな情報まで調べる旅行者が増えたため、その恩恵は地方まで行き届きそうです。 Welcom !  でも通訳が足りないとの声を、新たな雇用機会と考えれば、別の芽も生まれそうと。




 荒川ロックゲート(2005年)は、荒川と旧中川を結ぶ閘門(水位の違う水路間の船を航行させる施設)で、災害時の水上交通を確保するため、阪神大震災クラスの地震に耐えられる設計とのこと。
 前回訪問時も迫力ある施設と感じたが、ゼロメートル地帯に暮らすようになると「頼りにしてまっせ!」という存在に見えてきます。

 下は、荒川放水路開削時に荒川・旧中川間の水位調整のために作られ、大島小松川公園に保存される旧小松川閘門。
 以前は、2枚下の旧江戸市中へと続く小名木川の正面に旧小名木川水門がありました。


 右の小名木川は、徳川家康が塩を確保するため行徳塩田まで開削した運河ですが、きれいな姿で残されているので現在は観光船のルートになっているそう。

 都営地下鉄 新宿線が東大島〜船堀駅間の荒川を高架橋で越える理由を、周辺の地盤沈下が著しいためと理解していましたが、付近に埋められた汚染土壌を避けるため高架にしたのではないかと。地下鉄構内に汚染地下水が流れ出したら、電車はストップしてしまいます……

 今回は、転居によりゼロメートル地帯が身近に感じられるようになった、をテーマにするつもりでしたが、周辺に有害物質がまき散らされたことを知り、うちの団地のまとまった土地も怪しいと思うように。
 経緯を知らない庶民は、家賃が安く暮らしやすい地域を求めて集まりますが、物価の安い理由を知るとちょっと考えてしまいます……

 そんな不信感が高まったところで、江戸川区探訪は終了になります。


追記──羽生結弦 冬季五輪2連覇! 不可能と思っていました(大変失礼)

 昨年負傷したシーンがテレビで何度も流れたが、目をそらすほどのケガに見えました。
 五輪に挑む際の「現在可能な準備はした」に、ベストではないと感じたが、彼が自信を持てるレベルであったことに(痛み止めを使ったとはいえ)驚かされました。
 アイドルのような受け答えはファンに対する感謝としても、23歳でプーさんのぬいぐるみでは疑いたくなります。

 一方、長野五輪の清水宏保のように気合いに満ちたオーラ(リンク先YouTube)が感じられた小平奈緒の表情には、イケそうな雰囲気を感じました。短距離の金メダルを狙うには、獲物を狙うようなハングリーさが必要なのだと。
 本当に速かったし、五輪記録を祝福する観客に向け、次のレース競技者への配慮求める姿勢は、スポーツマンシップの体現者の姿として記憶に残ることと……