2012/12/31

思い広がる海の玄関──日の出〜竹芝

2012.12.8【東京都】──「ベイエリアウォーク⑬」 
《ゆりかもめを歩く⑨ 日の出〜竹芝》


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日の出桟橋(Map)


 上は、レインボーブリッジをくぐり入港する船の正面にあり、東京港のシンボルであるはずの「晴海客船ターミナル」ですが、写真左奧から手前側には巨大なビルが林立するため、この姿は背景に埋没してしまいます(日の出桟橋からは背景が抜けて見える)。
 船乗りは海図などから港内信号(上の「F」は制限無しのFree)を探しますが、素人には見つけにくく、存在感というより「意欲が感じられない」施設に見えてしまいます。
 横浜のように、ベイブリッジをくぐり大桟橋を目にすれば「あそこに接岸するんだな」と、一目で分かる期待や安心感は、とても大切なアピールと思うのですが、もう力を入れられない状況のようです……(レインボーブリッジ通過の高さ制限のため)


 上は隅田川・東京湾観光水上バスで、カッコイイと思うも(前に見た気がする)何も寒いのに屋上デッキに出なくてもと思いますが、それには背景があるようです。

 これは松本零士デザインの「ホタルナ:ホタル+ルナ(月の女神)」という船で、2012年に就航し大人気とのこと。
 見た気がすると思ったのは、8年前から運行の松本零士プロデュース第一弾「ヒミコ」を目にしていたらしい(デザインテイストが似ている)。
 これまでの水上バスには屋外甲板がありましたがヒミコには無く、それがホタルナで実現したため、ファンたちは寒さも関係なく屋上デッキに上るようです。
 この船で宇宙を旅する必要は無いことを、松本さんも納得したのではあるまいか?


 豊洲では「乗船券売場」に利用される、シルバーボディの「エアーストリーム:トレーラーの名称」は水上バス会社施設のようです(ここはアイスクリーム店だったか)。
 背後のシンフォニーやバンティアン(竹芝ふ頭)は、船上ディナー、パーティのできるクルーズ船ですが、波の静かな東京湾内とはいえ洋上なので当然揺れます。
 船に弱い人は近寄らないにしても、「ディナークルーズ」の響きに引き寄せられる人は多いようでが、大丈夫? 「アレ、わたし酔っちゃったかも?」も含めて……

 一度だけ経験した屋形船の宴会では「酒・船? どっちに酔ってる?」と無頓着ですが、トイレは座敷の外にあり「海に落ちるなよ!」のかけ声は、結構本気と感じるほど船が揺れてたりします(酒・船どっち?)。
 クルーズ船は屋形船より揺れませんし、品もあるので大丈夫ですよね……


竹芝桟橋(Map)


 レインボーブリッジの下に望む、大井ふ頭のクレーン群に活気がないので(曜日や時間帯かも知れませんが)実態を調べてみようと。
 「いまや横浜港に抜かれ…」の様子は織込み済みですが、2011年国内主要港湾統計によると、入港船舶の総トン数では横浜トップの2位ですが、貿易輸出額では名古屋、横浜の順となります。東京で目立つのは輸入額の多さです(1位)。
 漠然としたイメージ通り、名古屋や横浜から自動車や工業製品を輸出し、大量消費地である東京でガツガツ輸入する流れが、日本貿易の大動脈のようです。
 今後もこの構造を維持する腹づもりで、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への交渉参加となれば、当然「強きを守り、弱きをくじく(守れない)」とのスタンスになることは、火を見るよりも明らかです(逆の考え方では日本の国力は弱まってしまう)。

 そう考えると東京港のふ頭は、困らない程度にヒマ(週休2日)でもいいのか?(デフレ脱却に安価な輸入品を減らすためにも)と思ったりします。


 上は汐留川水門とされますが、その陸側も海水域で水上バスなどの船だまりがあるため、川の水門とされてもピンときません。
 江戸時代干潟の埋め立て時から、運河のような人工的な水路も川とされ、工事下に置かれたものは、陸地扱いの河川として管理されます。

 この水門には、海水面上昇時に右の海側からの海水侵入を防ぎ、左の陸側にたまった河川からの流入水をパイプを利用し、海側に排水する役目があります。
 配水管の上にある構造物がユニークで撮りましたが、その説明には「配水管のカバー」としかありません。
 想像もできない活躍で驚かせてくれそうなので、不謹慎ですがこのカバーが稼働する場面(洪水時)を見たくなります。
 まん中の垂直に下がる腕の根元が軸となり、右のしっぽ部分の下が逆流を防ぐ弁になっているのでは? 上はその際のバランサー(重し)と想像しますが……


 竹芝桟橋を出航する「おがさわら丸:東京と小笠原諸島父島を結ぶ唯一の定期航路」に遭遇します。
  はて? ここを夕刻に出たら到着は翌日の夜? と調べると、土曜の夕方竹芝着なので勤めを終え停泊地に向かう姿のようです。

 もう20年も前ですが、初代おがさわら丸に乗り込む際「あれっ、八丈島航路の船より小さくない?」と、船中の揺れを覚悟したものです。
 現在の2代目は少し大きくなっても、八丈島航路の新船より小さいそうです。需要を考えれば仕方ないとしても、重要度は極めて高い島民の命綱とされる存在です。

 時刻表によると所要時間は26時間程度で、途中の寄港や休憩も無いため、サラリーマン的な1日8時間換算では片道で3日分の労働時間となります(船内では交代制としても)。
 父島ではクルー交代ができないので休息日が必要となり、父島で2日間の休みを取ります(荒天などの非常時には変更あり)。
 それを積み重ねると1週間に1往復しかできず、採算はとても考えられませんから、運営側に使命感はあっても、船のサイズは「最小限」となってしまいます。

 不便な面ばかり書きましたが、不便な土地だから感じられるよろこび・楽しみは必ずありますから「生涯一度は小笠原の旅」を是非オススメします!(世界遺産ですもの)
 父島で暮らす大学の同級生への年賀状は、船便の曜日を読むと元旦には手元に届きそうです……


 本年も当然のように暮れていきます。
 よいお年をお迎え下さい。

2012/12/24

運河のある町に一年──芝浦ふ頭〜日の出

2012.12.1【東京都】──「ベイエリアウォーク⑫」 
《ゆりかもめを歩く⑧ 芝浦ふ頭〜日の出》


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埠頭公園(Map)

 首都高速に面した埠頭公園のペンギン像には、南極探検の先駆者である白瀬矗(しらせのぶ:白瀬中尉が一般的か)が、1910年(明治43年)南極に向け開南丸で芝浦埠頭を旅立った記憶が込められています(当時のふ頭はこの付近らしく、記念碑と南極観測船初代「しらせ」のスクリューが飾られます)。


 白瀬氏は陸軍軍人の冒険家で、千島列島探検隊の経験から北極を目指しますが、1909年米国探検家ペアリーの北極点到達を知り、目標を南極に変更します。
 時まさに「南極点」を目指す競争のさなか、ノルウェーのアムンゼン隊、イギリスのスコット隊南極点到達の一ヶ月後に上陸するも、困難のため極点をあきらめ帰還します。
 ですが全員無事の帰還は、全滅したスコット隊はなし得なかったことです。

 他国隊のようにスポンサーのいない白瀬隊は、国民からの義援金を活動資金に南極へ向かったことから、帰国後は国民から熱狂的に持てはやされますが、公演活動の収益はすべて借金返済に回されたそうです。当時の冒険家は、資金面でもワイルドでした。

 その後の南極観測開始は1957年で、歴代の南極観測船は「宗谷:1957~1962」「ふじ:1965~1983」「初代しらせ:1983~2008」「2代目しらせ:2009~」と代替わりする。
 船名「しらせ」は白瀬中尉にちなむと思いきや、現在自衛隊所属のため「艦名等を付与する標準=名所旧跡の名」準拠のため、人名ではなく南極の「白瀬氷河」からの引用という、アホくさい解釈が必要とのこと。
 白瀬さんには、植村直己さんもあこがれたんだろうなぁ〜。


芝浦アイランド(Map)


 江戸時代の海岸線は、現住所に残る「芝」地区に接していました(JR田町駅付近)。
 由来としては「芝が生える場所」よりも、「すき間なくのりひび(のりの養殖施設)が続く海辺」の方がイメージを広げてくれます。
 芝の沖を埋め立てた「芝浦」の命名は分かるところで、造成は1912年(明治45年)隅田川口改良工事のしゅんせつ土(砂泥)を、埋め立て地に転用する目的で始まります。
 当然ながら、埋め立て事業は陸地側から沖に向かいますが、当時土砂輸送の主力は船であり、埋め立てやその後の活用にも、運河(水路)の存在は必須条件でした。

 現在周辺地区には再開発の打診がありそうですが、水利の活用を目的に集まった人や企業には生活や業態が環境に根付くため、簡単に移転はできないでしょう。
 再開発が進行中の現在でも、まだ「物流拠点」としての圧倒的な存在感(倉庫群)は健在です(立地の便利さ、従業員確保には一等地です)。


 上の2枚は、芝浦アイランドとされる再開発島(運河に囲まれた地)の様子です。
 以前の土地利用を調べると、南側にあった製糖工場以外は東京都が利用しており(下水道局ポンプ場・都営アパートは現存)、都電車両工場と操車場があったと知り、これまでの疑問が晴れました。

 近ごろ改装オープンした、YANASE(外車ディーラー)本社前から芝浦アイランドへと続く広い道(片側3車線)が、運河の手前でぷつんと途切れる理由を探していました。
 以前そこには運河を渡る都電専用橋(船路橋(ふなじばし))があり、そこに接続する都電レーンのため広い道が必要でしたが、都電廃止後もその道幅は変わらず現存します(あぁ、納得!)。
 1972年都電は荒川線だけとなり、転用された都バス整備工場も1991年に閉鎖されます。

 なぜ埋立地に都電の車庫があるかというと、関東大震災で既存工場が被災し、下町では元の土地での再建に時間がかかるため、新天地への移転が必要とされたためです。
 東京湾の砂や泥で埋め立てられた地ですが「車両避難所」とされたのですから、地震の被害状況は違うにせよ、とりあえず液状化は無かったということになります。

 大震災で被害を受けた浦安と同じ東京湾内での違いについては、技術では格段の進歩があってもそれを生かそうとしなかった「手抜き」以外に理由は見つかりません……


 2枚上写真の船の係留施設付近では、船舶免許の教習と思われる様子が見られます。
 なるほど、波のない運河で練習してから海へと出て行くようです。

 運河という構造物は船の航行のため、キッチリと溝のような構造が求められます。
 新築マンションから身近な海辺とはいえ、そんな場所に砂浜海岸は作れないので、上写真左の子どもたちのように固められた護岸で遊ぶしかありません。
  広場は無くとも子どもたちは遊び方を見つけるようですが、大人たちは壁に守られた運河でないと船舶運転の練習もできないようです(海に出て大丈夫なのか?)。


シーバンス(Map)


 浜松町の東芝本社ビルに隣接した運河沿いに「シーバンス」という複合ビルがあり、その中にダンスフロアとして利用できるホールがあります。
 上はそこで開かれる「キッズダンスコンテスト」直前練習の様子です。
 中央のコーチと右下に座るマネージャー? が盛んに声を掛け、ダンサーたちは、レンズとの間にあるガラスを鏡に見立て踊りを確認しているのか?
 元気盛りの小中学生でも、踊りの後には肩で息をするほどハードな動きです。

 幼児から高校生までの若年層対象コンテストですが、群れても騒がない「本気モード」には、彼女たちの夢をのぞいてみたくなります。
 とは言え、彼女たちの未来を「SPEED」にしか例えられない想像力では(AKBは違うでしょ?)、コメントする資格はなさそうですが、Good Luck !


TABLOID(Map)


 ゆりかもめ「日の出」駅前の旧産経新聞社印刷工場を、オフィス・商業複合施設に転用した施設「TABLOID」の壁面です(パブのような施設はあるも入口が分からず未見)。
 旧倉庫などの施設を改装し、都心では実現できない広いスペースの再利用が注目され久しいところです。
 今どきはそんな施設でパーティーを開くようで、越してきた当初田町駅前で「この着飾った人たちは何?」と感じた理由を、ようやく納得できた気がします。


 12月で「運河のある町」に引越して一年となりました。
 運河を満たす海水は決して澄んではいませんが、「悪臭」のイメージもほとんど気にならならず、自然とベイエリア方面に足が向きます。
 以前暮らした近所の多摩川河川敷も空が広く気持ちいいのですが、ドブ臭さは川の方が強かった印象があります。
 物価は高く、スーパーも少ないので暮らしやすいとは思えませんが、交通の便利さだけは実感できます。
 海好きとして、東京湾や運河も海と拡大解釈? できれば、人の往来が多い地域でも「より所」を実感できるようなので、精神的には落ち着けるような気がしています……


追記──大河ドラマ『平清盛』完。

 「画面が暗い」「絵が汚い」など不評から視聴率は最低でも楽しめるドラマだった。
 ナレーションを源頼朝役に託したことから、主題は「公家政治からの脱却」と理解できるので、武士たちのみすぼらしさこそが原動力と率直に受け止めるべきである。
 本作で評価すべきは何といっても、平氏と源氏は同様に「武士の世」を目指す好敵手であり、お互いに不可欠な存在であったとの視点である。
 清盛が公家社会に取り入るため身につけた「宮中文化」を排除する頼朝は、流罪とされた地での地方武士のつましい暮らしを、ないがしろにできない思いを基軸に据える。
 その精神が、現在も華やかさが無い武士の都鎌倉に通じるものと思われる。
 
 松山ケンイチはガキっぽく好きではないが、演じる年齢と共に感じた貫録は悪くない。
 何といっても深田恭子のやる気には目を見はらされ、最期の入水シーンの表情は、保存しておきたいほど迫力があった。
 出番は少ないも、義経役の神木隆之介くんのりりしさが「若武者」の存在感を際立たせ、これから大注目です!

 それにしても受け入れがたいのは「双六遊び」の表現で、さいの目のように気まぐれに歴史が積み重ねられたような表現は、物語の提供者が「自身の才」を転がしているようで、とても納得できるものではない。

2012/12/17

虹をわたる心地よさ──レインボーブリッジ

2012.11.25【東京都】──「ベイエリアウォーク⑪」
 《ゆりかもめを歩く⑦ お台場海浜公園〜芝浦ふ頭》

 以前レインボーブリッジを歩いた際は本土側から向かい、両側の歩道を歩きたいこともあり途中で引き返したので、渡ったことにはなりません。
 今回はお台場レインボーバスで向かい、橋を歩いて家まで帰るコースになります(真っすぐ歩けば1時間弱程度)。


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お台場海浜公園(Map)

 この日は、お台場海浜公園はスルーしてレインボーブリッジを目指すはずでしたが、砂浜のにぎわいに誘われました。
 砂浜にはビーチバレーコートが何面も設置され「第21回お台場ビーチバレー(2人制ファイナル)」が開かれています。
 お台場ビーチバレーは、この砂浜で毎年4月から11月に開かれるエントリーフリーの大会で、現在7年目とのこと。
 プロとは違う「草ビーチバレー」なので、時折見られるナイスプレーに歓声が上がる程度ですが、砂まみれでのハツラツとしたプレーには、見る側にも力の入る場面があります。
 男女ともギャラリーの少なさは季節柄なのでしょう。
 やっぱりこのスポーツは、夏じゃないと盛り上がりませんよね……

 ビーチバレーの浅尾美和選手が引退表明しました。
 その報道写真に、和的で派手さは無いも整った容姿は、日本人男性の多くに好かれるタイプではないか、と感じたりします。


 彼女らの足元に広がる白砂(本当にキレイ!)は、伊豆七島神津島(こうづしま)の湾内整備でしゅんせつされた砂が運ばれ、有効活用されました。
 島ではどこに廃棄しよう? という土砂ですから、輸送費はかかりましたが「白い島」の絶好のアピールになります。
 神津島は、流紋岩質のマグマ活動から生成される無色鉱物の多い岩石で成り立つため、島の周囲は白い崖に縁取られ、砂浜は「真っ白」でとてもまぶしく明るい印象があります。
 沖縄のサンゴ由来の白砂と比べ、ミネラル豊富(鉱物由来)で色素が多い分、白色度は落ちるも、ガラス質のキラキラが明るさを演出しています。

 伊豆七島では新島、式根島が「白い島」の仲間になります(大島や三宅・八丈島は富士山のように真っ黒:これは地下でのマグマ生成過程の違いによります)。


レインボーブリッジ(Map)


 レインボーブリッジの歩道(レインボープロムナード)から、台場の様子を見下ろせるポイントがあり、ここから新旧「埋め立て事情」のコントラストが見えてきます。
 手前にある江戸時代の台場は、周囲に土を盛った砦仕様で、戦いを想定した構造になっています。
 一方、奧に見えるお台場地区は平坦で、汎用性を想定した様子がうかがえます。
 この対比は、埋め立て事業の昨今を学ぶための格好の素材になりそうです。
 そんな光景を眺めながらレインボーブリッジを歩く「社会見学の授業」もありでは?(子どもたちの関心をつかめそう)という気がします。

 レインボーブリッジ(吊り橋)は上下2層構造で、瀬戸大橋(吊り橋・斜張橋・トラス橋を併設:上層の車道と下層の鉄道)、横浜ベイブリッジ(斜張橋:上層の首都高速と下層の一般道)をミックスした欲張りな仕様になります。
  上層は首都高速(台場線)、下層の中央をゆりかもめが通り、両脇を一般道の臨港道路海岸青海線が通ります。

 下層の両端にへばりつくような遊歩道(レインボープロムナード)では、金網越しながら見事な展望が開けます(中央にゆりかもめが通るので反対側は見えない)。
 北側遊歩道(ノースルート)からは都心や東京スカイツリーが、南側遊歩道(サウスルート)からはお台場や品川・大井ふ頭が望めます(自転車は貸し出し台車に載せた手押し通行は可ですが一方通行)。
 今回は日当たりのいいサウスルートを歩き、天気の良さと、風がなかったおかげで(この場では風の方が重要です)少し汗ばむような心地さを感じながら歩けました。
 でも、車の騒音はじかに響くのでやかましいこと覚悟ください……


 一枚上は台場側の主塔(高さ120m:右下写真と同じ)で、芝浦側の主塔との距離は570mありそれぞれ鉛直(重力の方向)に立っていますが、塔頂間の距離は根元の距離より11mm長いとのこと(誇張すると、バンザイする両腕が開いている様)。
 身近な存在でも、地球の丸さを実感できる気がします……

 橋へのアプローチは、お台場側は新規開発で土地に余裕があるので、どれもスロープで可能ですが、芝浦側は既存施設との兼ね合いがあり、工夫が必要になります。
 上層の首都高は接続先の既存施設も高架道なので、スロープで接続できますが、同じく高架軌道ながら傾斜が急なのか、ゆりかもめと、地上まで降りる一般道はご存じのループを利用します。
 遊歩道へのアプローチにはエレベーターが設置されていますが、ループをグルッと歩いてみたい気もします。

 エレベーター施設の直下には「芝浦南ふ頭公園運動広場」があり、少年サッカーチームが試合開始のあいさつをしています。
 なかなかこんなアングルでは見られませんし、屋内競技場のカメラのようで選手の動きがよく分かり、「お前何やってんだ!」という的確な指示を出せそうな視点です。

 TVロケなどに使われる絵になるロケーションなので、アベックに人気と思いきや、いつ行ってもガラ〜ンとしています。
 きっと、わたしが飲んだくれている時間帯(夜も更けた時分)に、「夜景を見に行かない?」などと、虫がわくように集まって来るのかも……(ひがみ過ぎかしら?)

 お台場地区の住人にとっては「大動脈」と思われる橋なので、災害時等に閉鎖されてしまうと大混乱になりそうです。また、りんかい線も不通になると、本土への連絡路は豊洲や新木場方面の徒歩だけとなります。
 自分は本土側に暮らす身ですが、災害発生時には「有明の丘基幹的広域防災拠点施設」周辺に、都内で最も救援物資が集まるような気がしてなりません。
 勝手な思い込みかも知れませんが、橋が渡れない場合のルートを研究しておかねばと考えさせてくれたお台場周辺の散策も、これで終了になります。

 20分程度の帰りの道すがら、芝浦アイランドとされる高層マンション群にあるスーパーで、晩のつまみを買って帰るようなご近所になります……

2012/12/12

現代人が求める暮らし──台場〜お台場海浜公園

2012.11.17【東京都】──「ベイエリアウォーク⑩」
《ゆりかもめを歩く⑥ 台場〜お台場海浜公園》


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フジテレビ周辺(Map)

 右の像ではアジアからの観光団体が盛んに記念写真を撮っています。
 付近からの絵には、レインボーブリッジの奧に東京タワーは入るのですが、両側の橋脚を入れようとすると、まん中の部分が空いてしまいます。そのセンターにこの像を入れ込むと、バッチリの構図となります。
 それにしても、何でお台場に「自由の女神」なの?

 有名なニューヨークの像は、アメリカの独立100周年にフランス人の募金により贈られます。
 その返礼としてパリに住むアメリカ人たちが、フランス革命100周年に贈った像がセーヌ川沿いにあります。
 そのパリの像が、日本の「フランス年事業」のために貸し出され、1998年〜1999年お台場の地に立ちました。
 フランス年好評への返礼か、フランス政府公認のレプリカ(フランス製)が作られ、2000年に設置されます。
 像が「友好の象徴」と知らず「おフランス製なの?」の認識でも、友好の一助となっているようです……

 像は「台場の女神」とも呼ばれるらしいが、イメージが変わりそうなので、日本人はそう呼ばないでしょうね。

 右の球体展望台は「はちたま」と呼ばれるそうです。
 500円払い初めてのぼりましたが、ベストポジションと思えるレインボーブリッジを眺めはさすがです(下)。
 フジテレビの連中は、この光景を眺めてリフレッシュしているのかぁ〜。

 番組展示コーナーでは、近ごろの知らない番組が並ぶ中で「サザエさんも8チャンだ!」に、ようやく接点を見いだします。
 現在でも子供たちに人気があるらしく、日曜夕刻の家族団らんの時刻に放映され、親と子の世代を結ぶ接点となるポジションから、自分のガキ時代と変わらない家庭の様子が思い浮かびます……


 お台場という地域には、いつも「イベント感」が漂っていますが、やはりそれはフジテレビの仕掛けなのでしょう。
 毎日繰り返される「ここお台場では!」の連呼には絶大な集客力があるので、地元施設・店舗から広告料を徴収できそうですし、副業を部門化できそうにも思えます。
 実際、オートバイのハーレーの催しや、よさこい踊りの大会などが毎週開催されます。

 付近では、自主企画イベントの姿も見かけます(右)。
 はじめはカエルと思うも、子供のシッポは元気なので、トカゲ? いや、恐竜のようです。
 父:オレンジ、母:赤、子:青という靴のコーディネートからも、子供をダシにした親の願望が感じられます。
 青海(あおみ)付近に群れるアニメキャラコスプレ連中のように、お台場というイベント舞台の「キャラクター:の表現が近い気がする」気分なのかも知れません。
 以前この夫婦は、コスプレとかやっていたりして……

 フジテレビの移転に伴い、お台場の認知度アップの使命を背負った『踊る大捜査線』がお役ご免となったのは、「事件(イベント)はお台場で起きている!」が定着し、任務完了ということなのかも知れません。



お台場海浜公園(Map)

 おだいばビーチはペットと走れますし、シャワー施設があるので冬でもウインドサーフィンが可能な砂浜です。
 お台場海浜公園付近には「シーリアお台場」という公共住宅(UR賃貸、都営住宅)が立ち並ぶ一画があります。
 いまどきの新しい町はどこも同じ様に、高層住宅のサイズに合わせたスーパー、コンビニ、コーヒーチェーン店、ドラッグストア、広く見せようと広場を大きくとった公園、などがセットであります。

 「それだけじゃ困る!」の文句はあっても、とりあえず必要なサービスはあるので、生活できちゃったりします。
 現代人が求める暮らしって、そんなもんなのかも知れません。
 きっと住人は「それは我慢できる」とした上で、ここでしか手に入らない充実感を堪能しているのでしょう。
 付近の物件はどこも新築になるため、公共住宅の中では便利度は低め、家賃は高めの印象です。


ダイバーシティ東京(Map)

 フジテレビと首都高速をはさんだ隣接地に、複合商業施設+オフィスビルの「ダイバーシティ東京」が2012年オープンしました。
 最初の印象には、この施設はフジテレビとゆりかもめをはさんだ隣接地にある、「アクアシティお台場」と共存できるのか? の疑問がありました。
 歩いてみると、若者&アベック向け「アクア〜」と、ヤング・ファミリー向け「ダイバー〜」では、ターゲットの違いが明確に見えます。

 そこにガンダムを持ってきたのは、現在ファミリー層となったガンダム世代への「子どもと一緒にガンダムの聖地へ!」とのアピールかも知れません。
 まるで関心がないので「たそがれるガンダム」で十分なのですが、精巧な作りなので、動き出したら迫力ありそうです。

 現在盛んに研究されるロボットのサイズに比べ、格段に大きなサイズ(高さ18mの実物大)になりますが、ひとつの目標にしてもらおうと、大きなビルの前に設置して身近さをアピールしているのか? と思ったりします。
 ウルトラマン(40m)やゴジラ(50mでデビューも、建物の高層化により80m〜100mに成長)の実物大を目にしても、足元のカラーリングやウロコ? しか目に入りません。
 ヒーローは大きければいいわけではないようです……

2012/12/03

巨大堤防に囲まれる出島──船の科学館〜台場

2012.11.10【東京都】──「ベイエリアウォーク⑨」
 《ゆりかもめを歩く⑤ 船の科学館〜台場》


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 埋立地でひとり勝ち的なにぎわいの台場地区(13号埋立地)は、夢の島有明(14号地)の埋め立てと同期で、ともに1961年の計画により始動します。
  工事完了後も、埋め立て最前線の奥地であるこの地は交通の不便さから、ススキが生えるような荒れ地のまま放置され、そのスキに悪党たちのアジトにされてしいます!
 仮面ライダーなどの撮影では、悪の巣窟という設定とされました。
 当時は「火薬使いたい放題?」(制限はあるにせよ)のようで、西部警察もやって来たらしく、荒れ地のころからエンターテインメント指向だったようです。
 下のススキは整備され植えられたものです。



船の科学館(Map)

 右は悪者の基地で作られた砲弾ではなく、2011年展示終了の青函連絡船『羊蹄丸:ようていまる 1965〜1988年まで就航』のスクリューです(現在の名残はこれだけ)。
 羊蹄丸は「船の科学館」本館施設老朽化に伴う展示休止により、「えひめ東予シップリサイクル研究会」に無償譲渡され、解体リサイクルされます(解体に先立つ、各種部品のオークションは好評だったようです)。
 以前休日の羊蹄丸前は、イベント広場のようなにぎわいでしたが、現在では幻だったかのような静けさです……

 船の科学館(1974年開館)をバックアップした笹川良一(1995年没)が出演した当時のTV宣伝は、「偽善的笑顔」に見え好感が持てませんでした。
 現在では、海運・造船業の低迷やボートレースの収入減少などから、かつての勢いを失いつつあるようで、再建計画は未定とのこと(ドンの威光は消えました)。
 ですが現在も自宅近く(田町)に、母を背負う銅像を飾るビルは健在です……

 羊蹄丸用の桟橋は残るも現在の展示は、右の南極観測船「宗谷」だけとなります(人影もまばら)。
 この日レインボーブリッジから、晴海ふ頭に接岸する南極観測船「しらせ」を見かけ、翌日(11月11日)南極に向け出航したとのニュース映像目にします。

 そこで感じたのは、大型客船入港などイベントの少ない晴海ふ頭の「華のなさ」です。
 横浜の大桟橋には多くの客船が寄港するので、たびたび「デッカイのが来てるなぁ!」と目にするだけで、こころ躍らされる経験が何度もありました。
 横浜ベイブリッジ:橋げた高55m、レインボーブリッジ:橋げた高52m、その3m差で大型客船の誘致をあきらめるには、さまざまな理由があるのでしょうが、その華やかさには天と地ほどの違いがある、と思えてなりません……


潮風公園(Map)


 船の科学館から海沿いに台場まで続く潮風公園は、品川区がお台場に名を刻む飛び地となります。
 上は、公園内のメインルートである潮風橋(首都高速を渡る歩道)が工事中のため、その回り道で初対面した噴水。

 台場地区では高層の建造物があっても空き地があるので、少し離れれば「空の広さ」を取り戻せます。
 しかし、いくら「ゆとり」を宣伝しても、都市計画にそんなゆるさを盛り込むことはできません。
 計画が未達成で、土地利用が「スカスカ」であることを実感するのは、本土側の山並みのような高層ビル群を目にし、現実に引き戻される瞬間です。
 右の「太陽の広場」は、対岸の品川ふ頭(背後は品川高層ビル群)に面しており、山のように巨大な壁が次々と建てられる様子に、この地の将来を重ねることでしょう。

 本土側に暮らすわれわれには、巨大な防風林(堤防?)に囲まれ見晴らし、風通しが悪くなる印象がありますが、出島側に暮らす人々には、本土側の門が閉ざされる印象を受けるのではあるまいか?
 また、ビル群が巨大堤防として機能し波を押し返したら、ここだけ大津波にさらわれそうにも思えます。
 東京湾を襲う最大級津波のシュミレーションについて知りたいところです……


 上は公園のオブジェで遊ぶ子どもたちです。
 わたしがガキ時分の男どもには自己顕示欲からか、ボスザル争いのように「高い場所」を目指す習性があり、彼らの年ごろであればきっと高い方に座っていたと思います。
 いまどきの男どもは、女の子が「そっちがいい!」と言う前に、のぼる手助けをしそうに見えてしまいます。
 しっかりしろよ男子! と思うも、雰囲気として「お願いします!」の告白タイムにも見えるので、ガキのころから大変だなぁ〜とも(それは時代を超えたテーマです)……

 これって、母親の教育と、父親のアドバイスのように思えますが、きっと彼らが目にしている家庭での「現実の姿」なんでしょうね……(これじゃ、ろくな男にならない!)


追記──TV『タモリ俱楽部』「三浦半島断層群を行く!!」

 12月1日放映の「三浦半島断層群を行く!!(前編)」は、内容も含めシラ〜ッとした空気でしたが、次週の後編では城ヶ島を取り上げるようなので、充実したものになると期待しています。
 感心の無い方にも理解できる解説があると思うので、「そうなっているのかぁ〜!?」と、楽しめるものと思います。
 12月8日(土)0:20〜 を、ごらんになってはいかがでしょうか?