2014/07/28

都営住宅が地域住民の砦──鐘ヶ淵〜白鬚橋

2014.7.13【東京都】──「隅田川を歩く_18」


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カネボウ公園(カネボウ本社跡)(Map)


 鐘ヶ淵(かねがふち:鐘が沈む伝説による)の地名から鐘淵紡績→カネボウが思い浮かびますが、粉飾決算問題で倒産後の旧本社跡地には、化粧品事業を引き継いだ花王の倉庫も建てられ、隣接の敷地は公営グラウンドとされています。
 門などの看板は外されるも地元の要請か、上だけは新しい看板がかけられますが、白斑被害を引き起こす事態には、関係者も落胆されたでしょう……


都営白鬚東アパート(Map)

 ネットの世界で耳にするのは「ファイヤーウォール:ウイルス等の防御設備」ですが、ここには文字通り「防火壁」の役目を持つ高層住宅があります。
 防災団地とされる都営白鬚東アパート(右・下)は、戦災を免れた木造住宅の大規模火災に備える防火壁の役割を担い設計されました(1982年入居開始)。
 敵ではなく火を防ぐために(火も敵だが)、ここまで大きな門が必要かと驚きます。


 火災時は上の鐘淵門を初め各門で緑の鋼鉄扉を閉じ、想定8万人収容可能な下の緑地帯で避難者を守る設計です。
 緑地側に数十m間隔で設置された右の放水銃と、非常用の池で、体に着いた火の粉を払います。
 電車からも気になった屋上のオレンジ色の巨大タンクは、火が迫る側の防火シャッターに水を流すための貯水槽と知り、想定可能な準備は万端という印象です。
 わたしでも付近には、「震災・戦災の火から逃れようと隅田川に飛び込んだ」話を想起しますから、地元の方々は二度と繰り返したくない教訓とされているようです。


 上は避難場所とされる隅田川沿いの緑地帯。
 奥の高い建物は、南千住の再開発地域(貨物専用の隅田川駅周辺)。
 訪問後も南千住の遠景が何度も登場しますが、付近で隅田川が南千住を中心に大きく蛇行しており、そのまわりを歩く様子が伝わるかと……


 先ほど見下ろした野球場で「ガキでもいい球投げるなぁ」の印象に、何とか食らいついて打ったヒットを、上級生にほめられるのがうれしかったことを思い出します。
 この試合は都の大会らしく(審判もちゃんとついている)「調布・町田が強そう」の話しを耳にするも「まずはここで勝ち上がれ!」です。
 上はもっとも盛り上がる場面ですが、もっとも残念な結果(三振)に……

 下は隅田川神社で、以前はここが入江(海)の始まりとされ水神だったそう。



白鬚(しらひげ)橋(Map)

 名の由来は向島側にある白鬚神社にちなみ、そのルーツは、琵琶湖に鳥居が建つ白鬚神社とのこと。
 現在、隅田川七福神の「寿老神(寿老人)」とされますが、単なる語呂合わせでしょう。

 この橋は、1914年(大正3年)付近の人々がお金を出し合い「白鬚橋株式会社」を設立し、木造橋を建設して通行料を徴収したことに始まります。
 渡し船だけでは足りない(物輸需要が高まる)時代の幕開けだったかも知れません。
 ここもジョーが走った場所か?(ガスタンクに近い)


向島百花園(Map)

 梅雨末期の「急な天候変化」のため、暗い写真となりましたが雨は避けられました。
 江戸時代の骨董商が作った庭園で、こぢんまりとしていますが手をかけているおかげで、散策の道すがら里山の花を目にしたような「ほっこり」感が味わえます。
 花ではなく地味な写真を選びましたが、奥には御成座敷(以前投扇興を目にした)があります。


追記──「ヘルパンギーナ」って何?

 6~8月に流行する「夏かぜ」の代表的な疾患って、ご存知でした?(首都圏では警戒基準を超え急増中らしい)
 ウイルス性の疾患で(38度以上の発熱と、口腔内に水疱ができる)、予防策は一般的なウイルス性疾患と同様、手洗い等の消毒が有効らしい。
 これまで夏かぜは、熱帯夜でお腹を出して寝たせいと思ってましたがウイルス性と知ると、食物の鮮度劣化がはやい季節柄、O157と共に気をつけないといけません……


追記──隅田川花火大会の浅草(7月26日)


 百万人近い見物客が訪れるイベントですから、一週間前から「場所取り禁止」のバリケードが並びますし、当日の見物人と警備側との攻防はすごいことになっています。
 上は桜橋(当日午後は通行止め)付近の第一会場近くの歩道で、4時間以上前から日陰に陣取る様子。
 花火は見ませんでしたが、そんな雰囲気は次回に……

2014/07/21

「吉原」に行ってきました……

2014.7.5【東京都】──「隅田川を歩く_17」


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 江戸時代の町外れにあった小塚原刑場に近い旧山谷は、市民権を持たない連中の掃き溜めとされますが、隣接する吉原遊郭には「男の都合」を合法化するため、「格式」などとして女性を擁護する不思議な取り決めがまかり通っていました。
 人形町付近の元吉原が火災で焼失後、庶民文化にぎわう浅草近くに移転したのは「わい雑な施設の集約?」と、隣接する浅草・吉原・山谷の関連性に初めて関心を抱きました。


 現在の吉原大門交差点は旧吉原遊郭の入口にあたり、近くには丼からはみ出る天麩羅で知られる「土手の伊勢屋:明治22年創業」があります(上)。
 土手とは、隅田川に通じる水路沿いに造られた日本堤(地名に残る)のことで、遊郭の周囲にも掘りをめぐらせ、出入りを大門だけとして遊女を監視しました。
 店舗の木塀(右)も近ごろ見かけなくなりました。

 左隣の「桜鍋 中江:明治38年創業」ホームページに「東京の郷土料理」とあるのは、以前は頼りにした「馬力」が力尽きた後に食する習慣があったためらしい。

 「男が吉原に行く理由は決まっている」地に初めて足を踏み入れ、「写真を撮ってきました」の説明は、ラブホテルに入り「何もありませんでした」の釈明のように説得力ゼロです。
 しかも町の様子は「帰りがけにスマホで撮ったんじゃないの?」と言われそうな1枚だけです(右)。
 だって、昼間から店の入り口に立つ「笑顔が怖い」黒いスーツの兄ちゃんに声をかけられ、カメラを構えられる状況じゃなかったんだもん…… そんなの当たり前さぁ〜。
 ご出勤のタクシーから降りてくるのはごく普通の若い娘で、特に容姿も格好も派手でない様子から、「AKB(アマチュア)的?」な身近さが求められているのか、とも。
 花魁(おいらん)の文化も消えステータスはありませんから、現在の動機は小遣い稼ぎなのか?
 男としては、その手の需要が無くならないことは確かと思いますが、白昼堂々の様子を恥知らずと見ている自分は、時代劇で目にする好感度ゼロの「堅物の商人」のように映るのだろうか……

 上の2枚は吉原弁財天で、江戸時代によしが生い茂る湿地を埋め立て「吉原遊郭」を造成した際、残された池に弁天様が祭られたもの。
 関東大震災(1923年:大正12年)の火災時に、唯一の出入り口である大門が閉ざされ逃げ場を失った多くの遊女が池で亡くなり、供養に観音像が立てられます(大正15年)。

 大鈴が下がる社の色使いには、映画美術の木村威夫さんのセットを想起し心踊りました!(鈴木清順、熊井啓、黒木和雄監督作品等々で活躍)
 このデザインは、武蔵野美術大学と東京藝術大学の卒業生によるそうで、「傾(かぶ)き:風変わり」ながら、日常との接点を彩ってくれることを期待します!


 上・右は、毎年11月「酉の市:とりのいち」で賑わう「鷲(おおとり)神社」(酉の市発祥地とされる)。
 大熊手には干支の馬が飾られるが、縁起物を詰め込む欲張りな様は関西的な感覚に思え、大阪今宮戎神社の「十日えびす:えべっさん」がルーツではないかとも……

 6月30日に行なわれる「夏越の祓:なごしのはらえ」は機を逸しましたが、右の「茅の輪:ちのわ」が残されていたので、作法に従いお参りしました。
 そんな行事の習慣化から、日本人の心(京都へのあこがれ)に近づければと……



追記──夏休みが始まってしまった……


 東京スカイツリーにたどり着く前に夏休みが始まってしまいました。逃げやしないので、平日休める日に機を狙うことにします。
 上は夏休み初日の六本木ヒルズで、ドラえもんをCMキャラクターとした自動車キャンペーンの様子(土曜出勤となり、これくらい撮ってから行こうと……)。


追記──投手 大谷翔平のオールスター戦

 オールスターで「リミッターを外した」としても162kmは驚きです。
 しかし、ストレートだけを狙えば打者も打ち返しますから、速球をどう生かすかという課題が明確になったことでしょう(まだ20歳のWonder Boy !)。
 バッティングの面でも、同じ左打ちで背が高い方のわたしは、彼の柔らかい肘のたたみ方・腰と膝の使い方に、「あの打ち方をしたかった!」と「理想型」を感じていました(ヒットは体の反応から生まれるので、イチローの打ち方は真似できない)。
 ですが、やはり投手を目指すべきで、本腰を入れた時の活躍が楽しみになりました!

2014/07/14

「現代のジョー」はいるのか?──旧山谷

2014.7.5【東京都】──「隅田川を歩く_16」


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旧山谷(現在:台東区清川・日本堤・橋場、荒川区南千住)(Map)


 泪橋は、江戸時代の小塚原刑場(現南千住駅付近)に向かう処刑者の「この世との別れの場」に由来します(漫画『あしたのジョー』では橋の下に丹下段平のジムがあった)。
 大井競馬場近くにあった鈴ヶ森刑場付近にも、「泪橋:立会川に架かる」とされる橋があります。

 南千住駅南側は下町ながらも、飲食店では国際観光都市のような英語や中国語の表記を目にします。
 それは、旧山谷地区に並ぶ簡易宿泊施設(素泊専門で日雇い労働者が暮らす「ドヤ街:宿以下の意」)で、FIFAワールドカップ日韓大会(2002年)以来、バックパッカーなど外国人旅行者の利用が増えたことによります(右写真にも英語案内がある)。
 野宿NGの都心では、安い宿に集まるは当然か?

 右の「玉姫稲荷神社」近隣には、靴・ベルトやカバン等の革製品を扱う業者が多いため、境内で「こんこん靴市」が開催されますが、「古靴供養」では山積みの古靴を焼くと聞き、鼻が曲がっちゃいそう、とも……
 トップページのジョーのパネルは境内に置かれたもので、物語に神社も登場したのか?

 隣接の玉姫公園を占拠する「ホームレスの住居群?」は、しっかと根を下ろしている様子で、ブルーシート小屋の登記や住民登録をしてそうなふてぶてしさがあります。


 山谷の暗いイメージは、江戸時代の千住宿外れに並ぶ「木賃宿(きちんやど):木=薪代で宿泊させた最低レベルの宿」に、住所不定の労働者が集まることに始まります。
 加えて戦後の被災者テント村設置以降、寄せ場(日雇い労働者の滞在場所)とされるなど、意図的な政策により「吹きだめ」のような役割を押し付けられてしまいます。


 現在は野蛮なイメージは無く右を撮る際、たむろするオッサンが「あんたTBSじゃないの?」と言い寄って来るも、右写真を見せたら静かに引き下がるレベルです。
 実はその前に遠くから彼らを撮りましたが絵にならず、構図を選びたかったのですが近づくにつれ、昼間から酒を飲む連中を撮って楽しいか? と、やめました。
 とはいえ、わたしも以前の徹夜明けには、朝から家で酒飲んでいたっけ……

 同様に寄せ場とされる横浜寿町よりも、下町の空気感を持つこちらの方が落ち着ける印象があるので、その際にはこちらを選びそうです……
 右の「いろは会商店街」では、ジョーを町おこしキャラクターとし「あしたのジョーまつり」などを行うも、イベントでは動じないほどの落ち込み様です。
 アーケードは立派ですし、せっかく外国人が近くに来ているのだから、「世界のドヤ街ネットワーク」など、広がりを持つ継続可能なアピールができれば、笑い飛ばせるような明るさが戻るかも知れません……

 『あしたのジョー』のテーマはハングリー精神と思うも、極端な二極化社会とされる現代に、身ひとつで底辺から上を目指す精神は生まれるだろうか? そんな状況だからこそヒーローの誕生を応援したくなるのです(わたしは、○村田諒太、×亀田一家です)。

 『巨人の星』『あしたのジョー』連載当時は、漫画といえば「少年マガジン」でしたが、漫画禁止の家なので歯医者の待合室で治療後も読んでいました。
 テレビ版は見ておらず、印象にあるのはキャラクター(力石徹、カルロス、小さな女の子)だけです。
 右のお嬢さんとの関係は覚えてないが、このツーショットはとてもいい雰囲気です。
 あまり撮らなかったジョーが本編の軸となり、急遽不採用写真から切り抜いたため、拡大するとNGなのでちっちゃくなりました……


追記──台風接近に向けた「特別警報」発表

 大型の台風8号接近の前に、初めて「命に危険が迫る異常事態」とした警報は、これまでの教訓を生かした判断と受け止めました。
 「空振りでもいいから、危険をアピールする」という姿勢が「防災意識」を高め、お年寄りの「雨が降る前に避難した」の行動につながります。
 過去の被害レポートは「一瞬のうちに」「みるみる間に」が圧倒的ですから、事前に逃げるしかありません。
 重大な危険が迫った際は社会活動をストップさせ、社会全体で被害軽減に取り組めるような枠組みや啓蒙の重要さを確認できた気がします。

2014/07/07

モヤモヤし続け数十年……──綾瀬

2014.6.28【東京都】──「隅田川を歩く_15」


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 近ごろ首都圏の私鉄各線では、地下鉄および反対側路線との相互乗り入れを戦略としますが、東急東横線〜地下鉄副都心線の乗り入れでは、2013年度JR渋谷駅の乗降客数が3位から5位に下がり収入も減少の発表に、その威力を思い知らされます。
 便利・不便は人それぞれでも、神奈川県育ちには見慣れた小田急線(地下鉄千代田線〜JR常磐線)や田園都市線(地下鉄半蔵門線〜東武伊勢崎線)の車両を、北千住駅付近で目にする違和感に「アウエー」を実感します。
 小田急線〜千代田線の直通運転は1978年に始まり、見慣れない「綾瀬行き」を目にした際、おそらく神奈川県綾瀬市(交通情報で耳にする「綾瀬バス停付近」の地)との混乱から「モヤモヤ」がはじまったようです。
 そんな数十年来の「モヤモヤ」を解消しようと、足を伸ばしました。


東京武道館〜東綾瀬公園(Map)


 上野発の常磐線快速は北千住まで各駅に停車し、その先は各駅停車との複々線となります(中央・総武線と同じ。場所的に近い総武線快速と各停に例えないところが神奈川育ち)。
 乗り換えで降りた北千住駅ホームの列車案内には各停が見当たらず、各停は当駅から乗り入れる千代田線が受け持つシステムを知らない初心者はオロオロしてしまいます。
 隣の綾瀬駅は各停停車駅ながら、地下鉄の終端(車両基地へ向かう支線に北綾瀬駅がある)のため印象に残ったようです。
 上の東京武道館は、裏側までいかつい姿です。


 駅に降り立った第一印象は、高い建物が少なく空が広い「練馬に近い?」というものでした。
 荒川をはさんで隣接する北千住に漂う下町の空気感とはまるで違う、新興住宅地が広がります。
 その理由は、1930年(昭和5年)に完成した荒川放水路(隅田川の氾濫を防ぐバイパス)のルートが、当時の市街地外側に引かれたと考えれば分かりやすそうです。
 湿地帯を整備した江戸期以来、昭和初期まで農地だったようで、時折歴史のありそうな農家の屋敷を見かけます。
 同じ農地でも高台の練馬とは違い、付近では水はけに頭を悩ませたことでしょう。
 雨上がりの野球場を整備する右の彼は、明日に備えるグラウンドキーパーとしたら、何と素晴らしい施設!

 本編の緑地や水路は東綾瀬公園の施設で、以前「日本一汚れた川」とされた綾瀬川近くに整備され、現在池ではカワセミも見かけられます(大きく撮れず不掲載)。
 水質浄化の成果にしても、都内で見かける場所が増えたのはカワセミのたくましさという気もします。

 北綾瀬駅付近の「しょうぶ沼公園:右」や堀切菖蒲園も近いことから、以前は水郷のような景色が広がっていた様が想像されます。
 時期が遅く花はほとんどありませんでした。
 
 右は以前の農業用水を整備した「八か村落し親水緑道」で、各家の玄関に架ける橋まで整備する姿勢から、本気さが伝わってきます(写真にはない)。
 いい施設ながら唐突に途切れてしまう(下水に流れ込む)のは、町中では仕方ないのか?
 以前暮らした武蔵小杉にも旧用水路を整備した緑道があり、どこまで続くのかと歩いてみれば、いつの間にか下水の中でした……



首都高速 加平インター(Map)


 近ごろ利用しないので忘れていましたが、首都高速の加平インター(上)は大橋ジャンクションのような構造物でした。地図上の2つの渦巻きは「バカボン」のようです……


 のどかな住宅地の玄関口である駅前で、エグい配色の飲屋街を見かけます。
 オヤジたちには、下町の下(しも)狙い的な品のない装飾が受けるのか?

 暮らしやすそうに見える綾瀬の町を生み出したのは、荒川ではないだろうか?
 川をはさんだ北千住の下町側と綾瀬の新興住宅地側が抱く、互いの「川向こう」意識のギャップを和らげる、緩衝地帯の役目を果たしているように思えます。
 そこには、皆が下町暮らしを好んでいるわけではない、の主張があるようにも感じました……


追記──ザッケローニ氏、離日

 前週まで「ザックジャパン」と応援した元監督が、大会期間中に日本を後にしました。
 結果がすべてのプロの世界ですから、早々の退散は当然とされるのでしょう。
 長谷部、内田選手が見送る姿には、指揮官ではなく同士と別れる「男の姿」が感じられ、響くものがありました。
 就任時から「日本にフィットしている指揮官」の印象があり、期待感を高めてもらったのですが…… お疲れ様でした!


追記──父が壊れました……

 先月、肺に水が溜まる症状改善のため入院したところ、暴れるため個室(独房)に移され拘束帯で縛られるも(その時点で「要介護申請をした方がいい」と)、映画『パピヨン』『大脱走』のスティーブ・マックイーンばりに、すり抜けようと闘志を燃やすため薬漬けにされてしまい(他に押さえようが無い)、家に戻ったら話も通じなくなりました。
 付き添う母のヘルプでわたしも一晩泊まりましたが、続けられるものではないと、病院に任せるしかありませんでした。
 テレビ等で目にする「食べたことを忘れる←ではなく、口を動かしてないと落ち着かないらしい」や、「行動目的を忘れる:衝動を落ち着かせると、その目的を忘れる」など、明らかに脳内の「線」が切れている印象です。
 改善の兆しもあるらしいが、経過観察という状況です……