2016/06/27

June Brideをめざして!──浜松町

2016.6.4【東京都】──「渋谷川水系を歩く_16」 古川(渋谷川)



金杉橋

 右は、日本教育楽器に陳列される豆腐屋のラッパ。ガキの時分は豆腐好きだったか覚えてないが、ラッパの音は夕刻のBGMで「もう少し遊べる」の合図だった気がします(ラッパのフォルムもきっちり記憶に残ります)。
 手鍋を持って自転車を呼び止め、水の入った木製の箱から取り出された豆腐に、父のつまみ(豆腐があれば満足)や、みそ汁を思い描いたのか?(麻婆豆腐なんてメニューはなかった)
 朝作られたものを夕方に買うのが当時の慣習で、現在のパック入りより、はるかにおいしかったことでしょう。

 右は現在、屋形船の船だまりとされる金杉橋付近で、江戸期には、夜でも金色の光を発する杉に似た栴檀(せんだん)の木が、船の目印とされたらしい。
 当時、伊豆諸島方面へ流罪者を運ぶ流人船は年2・3便程度で、ここや永代橋(霊岸島)付近から囚人護送用のはしけで本船に運ばれたとのこと。
 その手の施設は江戸市外に置かれたと考えると、古川は市中との境界だった(何度か変更された)ようです。

 下は、右写真奥の鉄道をくぐる歩行者専用道で、水面程度の高さと思われるも付近では重要な歩道です。




 江戸期の埋め立て地に作られた大名庭園「楽壽園」は、明治期に芝離宮とされ、関東大震災(1923年:大正12年)の翌年、昭和天皇ご成婚記念で東京市に下賜(かし:与えられ)されます(婚礼の儀は地震を受け翌年1月に延期)。
 昭和天皇は震災当日、壊滅的な被害を受けた箱根訪問の予定が、総理大臣(加藤友三郎)急逝により皇居に留まり命拾いをし、「加藤が守ってくれた」と語ったとのこと。

 庭園内で見られた「前撮り:結婚式前の記念写真撮影」は和装ですが、これもジューンブライドですよね?


竹芝桟橋


 竹芝桟橋は伊豆・小笠原諸島の玄関口ですが、付近にはホテル、パーティー会場に加え、クルーズウェディングが可能な船も停泊する、ウエディングエリアとしても人気の、船出の港でもあります。
 上のパーティーの出し物を練習する女子たちが、祝福よりも「はじけたい」姿に見えるのは、出会いのへ期待感や「次はわたしよ!」のテンションが高まるためでしょう。
 そんな、希望に満ちた活力がこの国には必要ですが、現代の若い男たちって、はじけてる?
 「純白」のドレスを汚すまいとの配慮は、きっと将来に生かされることでしょう。とても素敵なJune Brideでした。

 June Brideをめざす(?)女性たちが踊っていたのが古川の河口付近で、周辺は交通の要衝のため、首都高速、ゆりかもめ等の橋が幾重にも交差します。

 下は日の出桟橋に根を生やしたワゴン車で、初めて営業中の様子を目にしますが、何だかパッとしないようにも。


 今回で「渋谷川(古川)」は終了になります。
 都市化による流量減少等で多くが暗きょとされますが、地形の名残りに往時への思いをはせることができました。
 流れにフタをすることや大規模な再開発はあっという間でも、周辺の暮らしはおいそれとは変われない様に、ホッとした面も……



追記──「炉心溶融:メルトダウン」隠蔽を認めた連中に、原発運用の資格なし!

 国際原子力事象評価尺度(INES)で、最悪のレベル7(深刻な事故)に分類されるも、「5年経てば波風も弱まる」と、いけしゃあしゃあと頭を下げて済まそうとする連中(東京電力)に、原子力発電所を管理・運用させることなど、言語道断!
 善意の活動と受け止めてきた「原子力規制委員会」も、「嘘までは見抜けません」とヌケヌケと言い訳する「ザル委員会」に見えてきますし、背後に影響力を持つ組織や人物がいるならば、そいつらに言ってやりたい「お前らに人の命を左右する権利は無い!」と。
 「真実」の上に安全性を証明できていない調査報告は、すべての原発は「FUKUSHIMA」予備軍であるとの結論であることが、分からないらしい……


追記──「王国の名誉」も放棄したかのような、イギリスの惨状

 「えらいことになったぞ!」(NHK大河ドラマ『真田丸』真田昌幸:草刈正雄)が、流行語では済まない事態となりそうです。
 それがイギリス人らしさ? よくここまで辛抱した? どんな表現をしようが、他国と変わらない「自己中心的民族」である様を、事後の騒ぎが証明しています。
 女王陛下は伝家の宝刀を抜かないのだろうか? これを契機に「イギリス:グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」が瓦解しては、その威厳も弱まってしまいます。
 大迷惑を被る周辺国がおそれるのは「次はどの国?」の連鎖に違いありません……

2016/06/20

江戸っ子のひいき──赤羽橋

2016.5.28【東京都】──「渋谷川水系を歩く_15」 古川(渋谷川)



一ノ橋


 江戸期、首都高速「一ノ橋ジャンクション」付近には新河岸とされる荷揚げ場があり、下流域が運河として整備された様子は現在も見て取れます。
 そのおかげで周辺は物資の集積地として栄え、旧赤羽川沿いに麻布十番の商業地、古川沿いに歓楽街が発展し、路面電車が開通した明治期には映画館や芝居小屋もあったそう。
 付近は谷底の低湿地帯で、地下鉄駅も浸水被害を受ける場所柄のため、古川の護岸整備と共に地下調節池整備(恵比寿橋付近〜一ノ橋の約3.3km)が行なわれますが、環状七号線の地下調整池のような大規模工事のため、長期に及んでいます。


元神明宮(もとしんめいぐう)

 コンクリートの建物なのに、軽井沢高原教会のような印象を受けます。もちろん教会とは異なりますが、ここでも神前結婚式を挙げられます。
 ここは、1005年(平安時代:陰陽師の安倍晴明が亡くなった年)に創建され、江戸幕府の命により飯倉神明(現芝大神宮)に移されたことから「元」とされます。
 貝塚が残る四ノ橋周辺は縄文時代(縄文海進:約6000年前の海水面上昇期)の生活圏で、海退(海水面下降)により付近に姿を現した格段に広い平坦地に文化を築くまでの、時間の長さを感じます(5000年で2km程度の歩み)。

 右は神社下の石垣で、崩壊してしまった熊本城の「武者返し」(下はなだらかで上は垂直)のようでもあるが、上部が圧力で外側に膨らみ、波打つように見えるので、補修が必要では? とも。

 明治期、付近の平坦地は工部省赤羽製作所~海軍造兵廠とされますが、移転後の空き地は「ありまっぱら:下記に由来」と呼ばれ、戦後のバラックに始まったような住宅密集地が残るも、そんな下町風情も風前の灯です。
 進行中の再開発により、巨大なマンションが2棟完成し、現在1棟工事中ですが、いずれもデカイ!


中ノ橋

 江戸末期、付近には諸外国との条約締結により「赤羽接遇所:外国人の宿泊施設」が設けられます。幕府が独断で進める条約交渉に訪れる外国人を、攘夷派が見過ごすわけも無く、アメリカ公使タウンゼント・ハリスの秘書兼通訳ヒュ-スケンは、中ノ橋付近で暗殺されます。

 右は、中ノ橋から見た首都高速「芝公園入口」の裏側。
 首都高速は川沿いに建設されるが、崩れて川へ真っ逆さまでは二重苦のように思えてしまう。
 路上側は、空に向かう銀河鉄道のような道なのに、物事の見方全般で裏を取るようになってきたか?



 江戸期、中ノ橋付近にあった久留米藩 有馬家屋敷内の「水天宮:久留米から勧請(分霊を他の地に祭る)」は、塀越しに賽銭が投げ込まれるほど庶民に信仰され、後に屋敷内のお参りを認めると、有馬家・情け深さを掛けた「なさけありまの水天宮」という地口(じぐち:駄洒落)がはやります。
 また、当時では異例の高さ三丈(約9m)の火の見櫓を建てると、有馬温泉(出身地)・水天宮・火の見櫓を掛けた「湯も水も火の見も有馬の名が高し」とされるほど、江戸っ子がひいきにしたのは、「ありま」の語呂が受けたような気がします。
 水天宮は日本橋蛎殻町に移転し、現在も信仰を集めますから、ご利益は健在のようです(先日、新社殿が完成)。
 右は、いまどきでは贅沢な土地利用に見える「三田国際ビルヂング」(手前は低層部分の屋上空間)。


台徳院霊廟(たいとくいんれいびょう)惣門


 上は以前、増上寺で江戸幕府二代将軍 秀忠を祭った台徳院霊廟惣門。普段は表の日比谷通り側から見上げるも、この日は逆の霊廟(現 公園)側から見下ろします。
 一帯の霊廟は空襲で被災したため、秀忠の遺体は発掘調査後に火葬され徳川将軍家霊廟に改葬されます。秀忠正室の江(浅井長政女、豊臣秀吉養女)も、戦国乱世の終結を目にした後に、戦渦にまきこまれてしまい「これで最後に…」の思いでしょう。


アクアフィールド芝公園


 港区は、芝公園周辺に公園やグラウンド等をこまごまと整備しており、都心部の他区からはうらやまれそうです(上はフットサルなどのグラウンドで、この地下に屋内プールがある?)。
 ですが、先日の区長選挙結果はどうなったのだろう? 関心が無いわけではないが、まるで伝わってこない印象があります。


追記──前人未到の道を歩み始めたイチロー

 イチローにとって、これまで通過してきた記録は「一里塚」的な目標でしかなく、彼が目指すのは、われわれがギョッとするような、とてつもなく大きなものなのでしょう。
 「常に人に笑われてきた悔しい歴史が、僕の中にある」と語る道のりは、孤独な戦いだったと思われるが、「前人未到のフロンティア」に足を踏み入れ、42歳から「本当の孤独との戦いが始まる」状況は、歳と共に孤独感が深まるわれわれにも理解できるような気がする(って、意味が違うか……)。
 われわれも経験する、チャレンジする際「どうやって、やっつけてやろうか?!」の、ワクワク感こそが原動力なのではないか? と励まされます。
 これからの活躍こそ応援します!


追記──イギリスは「何を」選択するのか?

 イギリスのEU離脱是非を問う国民投票前に、残留を支持する議員が離脱支持者に殺害される事件が起きました。イギリス国民にとってEU離脱の是非は国を二分する議論であっても、今回の事件を受けて先鋭化するのではなく、同じ国民として「団結」の道を模索する姿には、敬意の念を抱きます。
 ですが「国際協調」vs「国粋主義」の対立は、経済が低迷する国に「資本主義に対する疑問」と共に拡大しているように感じます。国政への民意の反映は、民主主義国の大前提ではあっても、現実には「はじめに経済活動ありき」が実情です。
 そんな中で行なわれる国民投票に、イギリス人の「プライド」を守ろうとする選択肢があることに、世界の名士たる自負を感じました。
 リーマンショックのような、激震とならないことを祈るばかりです……

2016/06/13

気兼ねない麻布の下町──麻布十番

2016.5.21【東京都】──「渋谷川水系を歩く_14」 旧赤羽川

 旧赤羽川の流れは現在麻布十番大通りとされ、商店街にも旧流路の雰囲気が漂うため気兼ねなく歩けますが、「麻布」の冠が無粋な気取りを生んでいるようにも……



鳥居坂

 普段通勤で利用する港区コミュニティバス「ちぃばす 田町ルート」は、座席の荷物が転がり落ちてしまうような急坂を、ジェットコースターのように下ります。
 坂の名称は神社の鳥居ではなく、付近に鳥居氏の屋敷があったことに由来し。坂上には先日オープンしたスヌーピーミュージアム東洋英和女学院等があります。
 カメラの背後にも急坂の暗闇坂があり、谷底の旧赤羽川(現 麻布十番大通り)沿いにあった、麻布十番温泉(テレビでよく目にした)は2008年に廃業。
 坂の下でひとっ風呂浴びて、帰りの坂道で汗をにじませるのも風情とされたようです。


麻布十番

 江戸期、四ノ橋付近に白金御殿(麻布御殿=鷹狩りの休息所)造営に伴い、古川(渋谷川)の川幅拡張・改修工事が行われた際、工事の担当を一番から十番組に分け、付近を十番組が受け持ったことに由来するらしい。
 工事により低湿地帯に生まれた新開地に入り込んだのは私娼窟(非公認の売春施設)で、明治期には神楽坂と並ぶ繁華街だったとのこと。
 水辺に人が集まった時分は平等でも、上水道が整備された高台に水害を避け移り住むことの可・不可から、格差が明確になり始めたのではないか?
 右は映画『ローマの休日』のスペイン広場をめざした? パティオ十番広場。

 交通手段がバス路線しかない時分は「陸の孤島」とされ、周囲の高台にある大使館等の施設からも坂下に位置するため、当時は「知る人ぞ知る」隠れ家的遊び場とされましたが、2000年地下鉄南北線+大江戸線開通から多くの人が訪れるようになり、町の評判は高まります。
 右のようなおばあちゃんの焼き鳥が健在なのは、個人経営中心の商店街が発展したためで、豆屋、蕎麦屋やたいやき屋等、庶民向けの店にはいつも人が群れています(ここも5〜6人並んでいる)。
 交通の便が劇的に改善されてからは、売り上げが増えたとしても、地価や物価も上がり暮らしづらくなったのではないか?


 上は、付近の名士とされる善福寺(都内では浅草寺、深大寺に次ぐ古刹とされる)参道の湧水。
 幕末期には、初代アメリカ合衆国公使館が設置され、駐日総領事タウンゼント・ハリス、通訳のヒュースケンが在留するも、攘夷派の焼き討ちに合い、横浜を経て築地外国人居留地(現 聖路加国際病院)に移転します。

 福澤諭吉の墓、越路吹雪の碑(母がファンで、先日テレビを見た妹が「小学生の頃、怖かった」と)があるそう。
 右は看板だけが残る店だが、上・右とも柳の存在(上は葉)から、流れの畔だった名残りが感じられます。

 大使館関係者など外国の方が多く暮らす地域では、東日本大震災による原発事故後は多くの人が母国に避難したようで、人口が半減したかのような静けさに「日本人には逃げ場がない」と感じたことを思い出します。

 下は麻布十番マハラジャの跡地で、現在のしゃれたカフェも流れを受け継いでいるように。
 外からも見えるマリリン・モンローの写真を撮りたかったが、昼間はガラスに光が反射するため、会社帰りにiPhoneで撮ったので雰囲気だけ……


 付近を調べるうちに『美少女戦士セーラームーン』の舞台は、麻布十番(作中では十番街)と目にします。現在、六本木ヒルズで『美少女戦士セーラームーン展』が開催されていますが、何でいまなのか?(関心が無いもので……)


追記──113番元素「ニホニウム:nihonium」誕生へ

 「科学」と「学習」を大分類とすれば科学に関心を持ちますが、化学分野には素養が無く(数学・物理方面のため)、分子構造のおもしろさには関心を持てぬまま終わりそうですが、そんなやからも、日本で初めて発見された元素には科学のロマンを感じます。
 「ゲルマニウム」はドイツの古名ゲルマニア(germania)にちなむなど、名称の命名経緯など考えたこともなかったが、今後はそんな意識を持って研究に取り組む研究者が増えてくれれば、大きな希望となりそうです。

2016/06/06

オアシスを断つ町づくり──元麻布

2016.5.21【東京都】──「渋谷川水系を歩く_13」 旧赤羽川

 旧赤羽川は、麻布十番付近で古川(渋谷川)に流れ込んだ支流で、勤務先は流域内あるため「下水に響く水音はきっと湧水」を確かめようと、休日出勤(?)に向かいます。




 テレビ朝日のお天気コーナーによく登場する毛利庭園は、「三本の矢」毛利元就(もとなり)の孫 秀元が、上屋敷を設けた際の庭園に由来。
 昭和期、ニッカウヰスキー東京工場だった時分は、「ニッカ池」とされる湧水があったが、六本木ヒルズの建設で息の根を止められたのではないか? 旧池は「埋土保存」され、その上に現在の池が作られたそう。
 テレビ映像では、庭園のアップ+広く見せるための引いた絵を映すのでサイズ感を錯覚するが、実際の庭園は周囲の構造物が大きいためちっぽけに感じられます。


中国大使館


 付近には、中国政府が日本に向けた発言をする度に、拡声器をつけた街宣車がお礼参りにやってくる、騒がしい中国大使館があります(上は大使館の外壁)。
 周辺にはバリケードを備えた警官が張り付いているので、治安はいい地域(?)と言えそうですが、拡声器のやかましさや、その度に身動きが取れない渋滞となる状況を知る者は、近くに住みたいとは思わないでしょう。
 上の撮影で呼び止められたが(それを経験したかった面もある)、中国はサミットに関係ねえだろう!




 江戸時代、旗本屋敷の池に棲む大がまが人殺しの罪をわびて、防火につとめると誓った言い伝えが残る池(旧赤羽川水源のひとつ)で、十番稲荷神社にがまの像があります。
 現在はマンションの敷地とされ、以前NHK『ブラタモリ』で、マンションの住人に撮影を依頼した? 印象から、のぞけないと思っていたが、現在駐車場となる場所からチラッと見えました。中央左側に見える波紋は、カメ or 鯉によるものか。
 以前はタイトルリンク先のような庭園でしたが、水量が減っても埋め立てないのは、湧水の上に建築物を建てるのは容易ではないためか?

 付近の麻布学園(おもしろそうな学校)グラウンド下の狭い谷筋には、以前の水場に集まった住宅が残り、日本のオアシス(谷筋)の典型的な姿と出会えます。
 いまどきは、背後にそびえる元麻布ヒルズのように高級ブランド的な再開発をしたいらしいが、窮屈そうでも地域文化に根付いた庶民の生活空間は、したたかに根を張ります。
 付近に越してきた外国人に、ゴミ出しの説明をする様子(?)に遭遇し、「Youの日本文化への関心の持ち方は正しい。Good Choice !」と声をかけたくなりました。


 周辺にはいくつもの湧水が現存しますが、水量減少・水質悪化から上水に利用できないためそのまま下水に流されます。もったいない気もするが、六本木ヒルズ周辺では埋め立て(土を盛る)だけでなく、地下水脈を断つような工事が行なわれたのではないか?
 湧水を断ってしまうと土地は潤いを失い、やがて砂漠となりそうだが、水分を抜いて地盤の強度を高めることが都市整備と言われれば、反論の余地はありません。
 確かに、都心の宅地は斜面ギリギリまで土地活用を目指すので、水分を多く含む湧水付近の土地では土砂災害への対策が必要になります。
 その一方、人工都市の上では、管理された水辺が人々を潤わせています。


 上は、以前の谷筋(中央の道路が流路と思われる)を、丸ごと再開発した地区。
 高層ビルの建築制限地域かも知れないが、地形を生かした低層の再開発は、流路を道路とするコンセプトを含め、ひとつの理想型に見えます。上空を利用できないので超高級物件となりそうですが、売れちゃうのが不思議です。
 地下水脈を止め、排水設備をどれだけ整備しても、大雨時に水が流れ込む場所柄は変わらないので(舗装された道路の上を濁流が流れます)、不動産購入時の事前チェックって大変そう、と思ったりします(これは完全に負け惜しみ……)。


狸坂

 いまどきの陽気のいい季節には、時折自宅まで歩いて帰りますが(40分弱程度)、その際下から見上げるこの坂には常々「こんな急坂は登れない」と感じるも、普段とは違う機会に登ってみるかと。
 坂の下が上述の谷筋で、谷の反対側には狐坂の名を持つ坂があります。「狐と狸の化かし合い」では、狐は女性に、狸はお坊さんに化けたらしい。
 狸は現在も都内で生息が確認されるも、狐はいつ頃まで見られたのか? 狐は神話という気もしますし、神の使いと俗世の生き物が対峙する「生活の場」だった、とも受け止められる名称です。



 にぎわいが響く右の施設は結婚式場で、教会は坂の上が似合う立地に加え「麻布の教会」という響きのよさも、女心をくすぐりそうです。
 土曜日は在宅率が高いためか、付近で不動産関係らしき営業マンを見かけます。交通が不便で「陸の孤島」だった時分から残る古い民家を目指すようです。

 人と狸が共存していた時分の環境というのは、自然界と人の暮らしの距離感が保たれたようで、誇張はあっても映画『平成狸合戦ぽんぽこ:1994年』の主張が、抵抗無く受け止められる気がしました。
 オアシスの湧水を断ったり、下水に流すのではなく、自然の流れの畔での生活が理想と思うが、難しそうです……


追記──「ゲス」なく、是非「アモーレ」に!

 今年の流行語(?)として、ハマりすぎる場面で使われる「ゲス」は食傷気味なので、「アモーレ長友」の流行を期待したい! 何と言っても、彼の態度には男としてのカッコよさを感じるし、祝福しようと笑顔になれます。
 世間にも、吐き捨てるような「ゲス」ではなく、祝うような「アモーレ」が響けば、どれだけ明るくなることか!